噛み合わせが悪い


つい先日にも食べたばかりなのに、久しく食べていなかったような気がする。ラーメンの熱気に眼鏡を曇らされて視界が不明瞭になる。



「ラーメン…」
「咲、ラーメン食べたことないの?」
「いえ、ラーメンはついこの間も食べました。」
「咲の世界にもラーメンあるんだ!」
「はい。」
「…食べないの?。
「前が見えなくて、」
「あ、そっか!」
「しばらくしたら食べます。」



丼鉢の上から顔を上げて、曇ったレンズの隙間から辺りを見渡す。元の世界と同じように、街には人がいる。老若男女、好きなことをしている。働いてもいるし、買い物をしたり、お茶をしていたり、今の時間帯ではお昼を友人たちと共にしている人たち。なんら変わりのない世界だ。皆、にこやかに笑っている。
オープンテラスに座る私からは街の様相が一望できる。このような、日常を。



「何を考えている?」
「え?」
「何を見て、何を考えていた?」
「いえ、何処の世界でも人間は日常を営むんだな、と。」



ロー船長が炒飯をすくっていたレンゲを置いて、手を組みながら私に詰問してくる。



「こっちとお前の世界との相違点は?」
「人間が世界を我が物顔で闊歩していて、文明を持って日常を守るために生きている。違うといえば、悪魔の実があったり、治安が悪かったり、熊さ…ベポさんが喋ったり…動物が利口に発達している点。まだ把握しきれてないですけど、この世界の動物は少し賢いように思います。」



もうそろそろいいか、とラーメンを啜りにかかる。しかし猫舌の私には少し熱かった。熱い熱いと食べるのに苦労している私をロー船長が狩人の瞳で見据えていたことを私は知らない。



「午後からは服屋行くぞ。」
「はい。」
「お前、」
「はい?」
「…いや、何もない。」
「そうですか。」



ベポさんは二回も替え玉を要求した。
また、街へ繰り出す。
午前中よりも人通りが多くなっている。そのせいか、視線を感じる。やはり一般人ではないと目を引付けるのか。ロー船長を先頭にベポさんの隣を歩いていると、よく分かる。



「ベポさん、皆見ていますよね?」
「そうだね、海賊だから見られることはよくあるけれど、ここは頻繁に海賊も立ち寄る街みたいだし、きっとキャプテンが格好いいからだね!」
「ロー船長が?」
「そう、キャプテンは行く先々で女の人が寄ってくる花なんだよ!」
「花…」
「ベポ、もういい。」
「アイアイ!」



ベポさんにほとんどの視線が集まっているような気がすることは伏せておいた。ベポさんは海賊で、格好いいと視線を集める彼を眺めているのだ。実害が無ければいいのだが、万が一視線で人を殺せるのなら皆とっくに死んでいるくらいの視線が集中している。またしても恐怖心を煽られる。



「恐怖心が芽生えます。」
「どうして?」
「こうも集まると視線に殺されそうです。」
「まさか!」



ベポさんがあはは、と笑うが笑い事ではない。念というものは恐ろしいのだ。ロー船長は相変わらず単調な足運びで通りを歩く。と、ロー船長がおもむろに一つの店へと入っていくのでそれに続く。中は今まで私が着たことのないようなデザインの服がディスプレイされている。入店と同時に店員さんがにこやかに迎えてくれる。



「こいつに見合う服。」



ソファに案内されて座って待っていると、様々な組み合わせの服が並べられる。もう、ロー船長は私に選べとは言わなかった。その代り彼の目利きがその力を発揮する。



「右端から黒いワンピースまで。そう言うのは趣味じゃねェ。次。」



そんなに買わなくても洗濯は回るとは思うのだが。しかしまだ船上の生活を始めたばかりの私が口を出すのはよくないと思って黙っておく。
終わったと思えば、すぐさま立ち上がって札束をレジのカウンターに放り投げて自分は先に店を出てしまう。私はこの世界の貨幣価値や通貨事情は分からないので、取りあえず足りるかどうかだけ聞いておく。



「あ、た、足りますか?」
「お釣りが大量に…。」
「ベポさん…?」
「いいよ、キャプテンがあげるって!」
「え、でも…」
「ほら、行こう!キャプテン迷子になっちゃう!」



ベポさんに半ば引きずられる形で外に出る。彼の片腕にはいくつかの袋がぶら下がっている。
それから何店も回って、大量の服を購入した。今日だけで使ったお金は相当なものだ。そしてこの買い物を通じてこの世界と私の元いた世界の数字が同じであると判明した。よかった、変な数字があったりしなくて。例えば、一と二の間になんらかんの数が入るとか。そうだったら、きっと頭が可笑しくなってただろうから。

疲れた体を引きずって船へと戻る。そこには午前中振りに再開するクルーたち。我先にとロー船長へ報告やら何やらを告げようと躍起になっている。



「お帰りなさい!」
「うわ、すげェ量の服!」
「船長、飲みに行きませんか?」
「船長、物資調達についてお話が!」
「ログは五日で溜まるそうです!」
「咲、一日船長独占とか有り得ねェ!」
「うるせェ。今日は寝る。」
「「え…」」
「あとは勝手にしろ。ただし問題だけは起こすな。もしおれが自分で起きるまでに強制的に起こされた場合、バラされると思え。」



ロー船長は不機嫌に言い放つと中へと引っ込んでしまった。重い扉が閉じられて、甲板を静寂が包んだ。



「キャプテン、ここのところずっと徹夜してたから眠たいんじゃないかなァ?」



ベポさんの呟きが甲板に響いて、弾かれたようにクルーたちはその言葉に同意している。



「よし、起こさない。相当ヤバくなるまで起こさない。」
「シャチ、お前が一番危ないだろう。」
「ペンギン、お前うるっせんだよ!おれもそう思ってるから暗示かけてんだろ!」
「面倒な…。」



シャチさんが口の中で呪文のように繰り返している。昨日私を海へ突き落したペンギンさんがすかさず突っ込む。おそらくこの二人で漫才コンビを結成出来ると思う。するとシャチさんが私に質問を振ってくる。



「ところで、今日は何を買ってきたんだ?」
「あ、衣類や靴を…。」
「え、なのにつなぎでスニーカー?」
「私に合うサイズの靴がなくて作ってもらうことになったんです。それで急ごしらえということでスニーカーを。服は、買ったはいいんですけれどロー船長がスニーカーに似合わないから買った服を合わせるな、と…。」
「あー、あの人センス良いからなァ。え、でも全部船長が選んだわけでもないだろ?」
「全て選んでいただきました。」
「はっ?」
「なにか?」
「もう一回言ってほしい。」
「いえ、ですから全て選んでいただいた、と。」
「道理で疲れてるわけだ。でもなんで?」
「分かりません。でも途中から率先して選んでくださいまして…私は適当なものでいいと言ったのですけれど。」
「あー、なんとなく話分かったわ。」
「そうですか?」
「うん、うん。…そっとしておいた方がいいな。」



頭を縦に振りながらシャチさんは酒場へ行く、と下船。ペンギンさんもそれに続いた。ベポさんは私の部屋に荷物を置きに行くと先に行ってしまったので、それを追いかける。しかしシャチさんは一体何が分かったというのだろうか。長い付き合いだから分かることもあるのだろう。



船には数人の見張りのクルーが残っている。ベポさんと衣類整理をした後、昨晩騒ぎたいだけのクルーたち(ロー船長談)が私の歓迎会と称して行った飲み会が行われた食堂で残っていたコックさんが作ってくれたプレートを胃におさめた。ハンバーグはとても口に合った。
食事が終わるとベポさんはまだ船内が分からないでしょ、とシャワールームまでまたわざわざ私を届けてくださった。今日買った下着とパジャマも忘れずに携えて、いつも烏の行水と例えるくらい素早い入浴を終えて、やはり扉の前で待っていてくれたベポさんにお礼を言って、部屋まで送ってもらった。



「今日はありがとうございました。」
「おれも楽しかったから、そんなお礼なんていいよ!」
「いえ、それでも。…では、おやすみなさい。」
「おやすみ、咲!」



ゆるりと身体をベッドへ横たえる。猛烈な眠気が襲ってきた。これは飲まれる、と眼鏡を安全な場所へと避難させておく。普段あまり動かないから、少し歩いただけでこんなにも疲労を感じるのか。睡魔に抵抗する間もなく夢の世界へと誘われた。



11/11/1


  
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