炎天下、神奈川県某所、海常高校。バスケットボール部専用の体育館ではボールの弾む音、振動、バッシュのスキール音、部員の掛け声が盛んに聞こえていた。

時は八月中旬に差し掛かった頃、インターハイで苦渋を嘗めた海常ファイブ率いる部は、早々にウインターカップに向けて練習を始めていた。
しかし大きな大会が終わった直後、そこまでハードな練習をすることもなく、太陽が真上にくる時間になる。



「昼休憩ー!」



主将、笠松が十二時を迎えると同時に声を上げた。ぞろぞろとコート中央部から部員たちがベンチ周辺に集まって我先にとドリンクを手に取る。



「笠松先輩、ケータイ光ってるっスよ。」
「え…なんだ?」



笠松がランプの光る携帯電話を手に取り、ディスプレイを眺める。



「――え…。」
「どうかしたんスか?」
「ヤバい。え…。」
「おーい、笠松ー!」
「はい!」
「お前に客だぞ。ほら、入りなさい。」



恰幅のいい、いつも仏頂面の監督が、あろうことかだらしなく目尻を下げて体育館の外にいるであろう人物を中へと促した。

部員の視線がそちらへ誘導され、自然と注目の的になった人物が恐る恐る扉から顔を覗かせた。

小学中学年ほどの小柄な体躯の少女が、そこにいた。麦わら帽子を被って、小花柄のワンピースを翻し、しかしその一方で似つかわしくない大きめの鞄を持ち、不安げに揺れた目、その表情は初めこそ固かったが、目的の人物を見つけて一瞬で恥じらいの混じった笑顔を見せた。



「幸男お兄ちゃん…!」
「名前!」



笠松はそちらの方へ走り、その手に持っていた鞄を受け取って少女と同じ目線まで屈み込んだ。



「ゆ、幸男お兄ちゃん…、」
「名前!大丈夫か、怖くなかったか?よく一人で来たな。」
「うん…あのね、おばちゃんがね、幸男お兄ちゃん、忘れ物したから…届けてって…。」
「ああ、ありがとうな。ったく…無茶させやがって…。暑かっただろう、ここでちょっと休め。」
「…うん、」



しかし、その恥じらいを含んだ笑みも笠松の背後に広がる、少女にとっては巨人とも思える部員たちによってかき消された。



「母さんからメール来てたんだ、名前の分も弁当入ってるからここで食って来いって。」
「え…。」



少女の不安も露知らず、笠松は少女にとって残酷とも言える言葉を言い放った。
そうして頭をゆるりと一撫でして、監督に事の経緯と少女の正体を説明するべく立ち上がる。



「監督、すいません。この子、今うちで預かってる親戚の子で…母の計らいや色々あってこういう事態に…。」
「構わん、構わん。花がある方がいい。なぁ、名前ちゃん?」
「あ……はい…、」



部員たちは突然話を振られてびくりと肩を揺らした少女に、行き過ぎた監督の態度を見て若干の危機感を覚えた。



「一番暑い時間を避けて帰らせますから。」
「しかし危ないだろう。夕方に女の子一人で…。」
「まぁ、そっすけど…。」
「詰まらなくないなら、今日はずっと居てもらってもいいんじゃないか?」
「え…でも…。名前はどうだ?」
「…いいよ、私、一人で帰れるよ…」



少女はきゅっとワンピースの裾を握って俯いた。

その目に何を見たのか、笠松は溜め息を吐いて今度は頭に手を置いて乱暴に撫でた。艶やかなセミロングの黒髪が揺れる。



「バカ、一人で帰らせるわけいかねぇだろ。今日は四時で終わりだからな。待ってろ。お前、手伝いな。」
「え…でも…」
「いいから、飯にするぞ。」
「あっ…」



やや強引に手を引かれ、体育館内へと引きずり込まれる少女を、興味深げに部員たちは見やる。



「そう言ったわけで、今日の後半はこいつが入る。大人しいから迷惑はかけねぇ。な、ほら名前は。」
「あ…苗字…名前です…よろしく、お願いします…。」



へこりと頭を下げて、少女は半歩後ろへ下がった。笠松は自分よりはるかに背の低い少女を見下ろして慈愛に満ちた表情でベンチに座るよう促した。

少女の挨拶が終わると、コンビニへ昼食を買いにいく者、売店や食堂へ走る者、近所のファーストフード店へ走る者…を除いて保冷剤によって腐食を免れた弁当を広げる部員たち数名が残された。

ベンチに座る少女の正面の床に腰を下ろして弁当を広げ始めた笠松に、笠松よりも一回りほど大きな影が近寄る。



「横、いいっスか?」
「あ?黄瀬かよ…。」
「なんスか、その扱い!不当っスよ!」
「うるせぇ!名前の教育に悪影響だ、近寄んな!」
「ひどい…うう…泣いちゃうっスよ…?」



あからさまに顔を歪めて、笠松は黄瀬をなじると、おろおろと動揺した様子で少女は笠松に恐る恐る話しかけた。



「あ…幸男お兄ちゃん…」
「ん、なんだ?」
「…可哀想、だよ、」



その言葉に呆れたように目を閉じると、笠松は自分は少し横に寄って黄瀬の座るスペースを作った。



「…座れ。」
「あ、失礼しまーっす!ね、名前ちゃんって、呼んでいい?」
「あ…はい、」
「オレは涼太。黄瀬涼太。よろしく。」
「こちらこそ…よろしく、お願いします…。」



黄瀬の話す勢いに気圧されてしどろもどろになりながらも少女は一つ一つ丁寧に答えていきながらも、麦わら帽子を床に静かに置いて、笠松の広げた弁当に手を伸ばす。
笠松は与えた冷えた麦茶が少女の喉を潤して、それ故かやや緩んだ頬の筋肉に安心感を得つつも、黄瀬のコミュニケーション能力に感謝していた。そっと見守るべく、黙って少女の持ってきた弁当を咀嚼していく。



「ね、オレのこと涼太お兄ちゃんって呼んでくれない?」
「バカ、お前は黄瀬で十分だ。」
「えっ!?」
「名前、こいつは黄瀬って呼べ。それで構わないからな。」
「えーっオレもお兄ちゃんって呼ばれたいんスよー!」
「黙れ!これはオレの特権なんだよ!ほら名前、黄瀬!」
「あ…えっと…黄瀬……さん、」
「…苗字で呼ぶならさん付けしてもときめかないっスよ…それならいっそ、呼び捨てでいいっス…。」
「よかったな、黄瀬。」
「…っス。」



そして始終黄瀬の話で昼食は終わってしまい、午後一時より練習が再開された。
少女はベンチに座ったまま、コートで部員たちが走る様をじっと眺めていた。
何を映しているか分からない少女の底の知れない瞳に、皆一様に何かしらの暗さを見出だしながら、各々のすべきことを熟していく。



「名前ちゃん。」
「あ、黄瀬…さん…はい…」
「黄瀬でいいよ。どう、見てて楽しい?」
「はい…」
「名前ちゃんもやってみない?」
「えっ、」
「ずっと座ってても楽しくないし、どう?」
「あ…あの…」
「黄瀬!なにやってんだ!」
「幸男お兄ちゃん…」



黄瀬がしつこく話しかけていることに気が付いた笠松は黄瀬に噛みつく勢いで叱責すべく駆け寄ってきた。



「いやぁ、名前ちゃん暇だと思って一緒にしないって誘ってたんスよ。」
「はぁっ!?」
「ね、名前ちゃん?」
「え、あ…あの…」
「バカ、こいつあんま運動得意じゃねぇんだよ。図書室にでも行って本借りてこい。黄瀬名義で。」
「えっ、オレっスか!」
「そんな名前と話してぇなら一緒に行け。…名前、本好きだろ?」
「…うん、」
「でもさすがに絵本とか置いてないっスよ?」
「名前の好きな作家は京極夏彦だから大丈夫だ。」
「うぇ、そんなの読めるの?」
「…ふりがな、あるし…読めます…」
「じゃあ行こう!行ってきまーす!」
「わっ、」
「速く帰ってこいよ!」



黄瀬はスポーツバッグから生徒証明書を取り出すと少女の手をやや強引に掴んで走り始めた。



「…どっか、似てんだよな…。」



親子のように背格好に差のある二人の後ろ姿を見つめながら、笠松は不意に呟いた。






12/07/25