プリンセスアイロニー


黄瀬涼太は恋をしていた。

Love is blind.という言葉通り、相手の欠点を欠点と思っていなかったし、嫌われていることも見えていなかった。


笠松に話してからというもの、何かが吹っ切れたのか黄瀬はバスケ部内通称かぐや姫にアピールを繰り返している。

無理難題を黄瀬という完璧人間に押し付けた揶揄からそう名付けたが、実際問題それ以上に相応しい名前などなかった。



「月島さんっ」
「…」



クラスメイトも明らかに恋をしている黄瀬の猪突猛進具合に、正直引いていた。

しかしかぐや姫は歯牙にもかけないでスケッチブックに向かっている。

これが休み時間のたびに繰り返されているのだから、流石の女子生徒も嫉妬云々の問題でなく、ただただ圧倒されていた。



「絵、上手いっスね!」
「…」
「美術部とか、入ってんスか?」
「…」
「え…?しつこい…?」



密かに聞き耳を立てていたクラスメイトは固まった。声はしなかったのに、黄瀬がぼそりと彼女が放ったであろう言葉を繰り返したからだ。

とうとう妄想に走ったかと、そちらを盗み見た時黄瀬が次なる言葉を発した。



「筆談っスね!じゃあオレも筆談…ここに書いちゃ、ダメなんスか…?」
「…」



どうやらスケッチブックの片隅に書かれていたらしいことを口にしただけであることを察知した周囲は何故か保たれていた緊張を解いた。

しかしあの黄瀬にそれを言うのか、と皆一様に思った。挙げ句、とことん黄瀬を毛嫌いしているのかと疑うほどに邪険に扱うのだ。



「…じゃあ適当なプリントに書くっス…!」



黄瀬が一瞬、彼女の席を離れた瞬間、かぐや姫は驚くべき速さと静けさを保って教室から出ていった。



「月島さんっ…て、いない!」
「さっき出てったぞ…。」
「そうなの…。」



黄瀬は肩を落とした。

と同時に彼女には中学の同窓生の十八番が出来るのではないかと、苦笑いを浮かべる。



ところで、こんな状況がここ一週間続いているのだが…しかし回りもただ傍観しているだけではない。

真っ先に動き出したのは、勿論黄瀬のファンと呼べる女子生徒たちだった。

無視から始まり、仕舞いには実害まで。



「…はあ、」



黄瀬はため息を吐いた。

それをも含めて彼女がまずは自分に突っ掛かってくることを想定していたのだが、ところがどっこい、彼女は一向にして嫌がらせに気が付かないのだ。

気付いたのは敏感な黄瀬本人で、自身も求愛しているのだから、自分が彼女を守らなければならないということも承知していた。というよりも、それを前提としていた。

ただ、無視していると言っても彼女は周囲と会話をしないのだ。故に意味はない。さらに言えば、喋っているところを見たことがないのだ。



「ほんとに喋るんスかねぇ…」



実のところ、一番初めに話し掛けたときも口からの言葉ではなく文字で返されたのだ。

彼女の荒らされた机を片付けながらぼそりと呟いた。

こうして部活終わりに教室に立ち寄って、かぐや姫の席が荒らされていないか確認するのが、最早黄瀬の日課となっていた。



不安は募るばかりだった。



「黄瀬。」
「笠松先輩…。」
「うわぁ、ヒデェな…女子は怖い怖い。」
「姫を守るのも騎士の勤めでしょ。」



「オレには求愛してる番犬にしか見えないけどな。」とは、とても笠松には言えなかった。

黄瀬の近況を知った上で、話し相手になるべくやって来た笠松は近くの席に腰を下ろした。



「…まだ騎士止まりかよ。」
「王子には程遠いっスわ。」



言葉を選び、柔らかく黄瀬に返す。

一息吐いた黄瀬に、笠松はさらに話題を吹っ掛ける。



「なんだ、嫌がらせにも気付かない鈍感な姫さんなのか。」
「まぁ…まず喋んないっスからね。」
「え、話したっつってただろ、お前。」
「…筆談されたんス。」
「嘘だろ…思わぬ猛者だな…。」



たった今知らされた事実に、笠松は動揺した。

打ち明けられて何日かは経過したはずだったが、とにかく進展というものがない。

こんだけの天然の女誑しはいないのに、と笠松は不思議だった。そこである一つの可能性を口にした。



「もう好きな奴、いるんじゃねぇの?」



黄瀬の顔から余裕が消えた。笠松はすかさずフォローに回ろうと試みたが無駄に終わる。



「…二次元じゃないと、愛せないそうっス…。」
「お前も大変だな。」



同情しか出来なかった。



やがて、ウィンターカップに向けてバスケ部の練習は激化していった。

しかし黄瀬のかぐや姫への求愛は止まるどころか練習に比例はしなくとも、いつも通り続いた。



「月島さんっ!はよっす!」
「…」



黄瀬の甲斐甲斐しい嫌がらせ防止策と、しつこく付き纏う姿を見せつけてやったためか、いつの頃からか嫌がらせは無くなっていた。



そんな肌寒くなってきた頃のことだった。

嫌がらせは無くなったが、毎度部活終わりに教室に赴くのが日課になっていた黄瀬はいつもの様に教室へ足を踏み入れた。



「っ…月島さん…」



いつもと異なる情景が教室で繰り広げられていた。

かぐや姫がいたのだ。

アタックし続けて暫く経つが、二人きりになったことなどなかった黄瀬は狼狽えた。



「ど、どうかしたんスか、こんな時間まで。」
「…」



狼狽した黄瀬の声が教室に響く。



「…」
「もう外真っ暗っスよ。送ってきますから、帰りましょ。ね?」



自分の席に座ったまま一心不乱にスケッチブックに向かう彼女に、ようやく自分の声が届いていないことを知る。

黄瀬はそろりと彼女の背後に忍び寄った。

そこには絵ではなく、とてつもなく小さな字で何かが書いてあるが、顔を少し近付けただけでは何が書いてあるのか分からない。

黄瀬は背後で声を発した。



「月島さんっごぶっ」
「…」



黄瀬の顔、顎が跳ね上がった彼女の肩にめり込んだ。黄瀬は不意討ちの痛みに悶える。

続いてがたがたと席を立つ音。



「あっ…待っ…」
「っ…」



咄嗟に持ち前の反射神経が発揮されて、彼女の腕を力任せに引いた。



「ってぇなあ!」
「えっ」
「鬱陶しいんだよ、てめぇ!」
「月島さんっ…」
「もう名前も呼ぶな!しっしっ!」



空気を裂くような怒号に続いて、黄瀬は勢いよく手を振り払われ、かぐや姫は逃げ出した。

本能のままに追い掛けた。

暴れる彼女に、黄瀬は無理とに後ろから羽交い締めにし、耳元に口を寄せた。



「やっと、声…聴けた。」
「はーなーせー!っやぁっ!」
「おっと…肘鉄って…ね、月島さん」
「くっそ…放せ放せ放せぇえ!!」
「オレ、月島さんが好きなんス…。」
「………えっ」



絶望と形容出来る、落胆の声が響いた。






12/05/23