そして常に岐路で待つ




真っ暗闇の中、息苦しさで瞳を醒ます。
障子戸から僅かに差し込む月明かり、至近距離で揺れる金色の細い髪。

「…っん、ふぅ、」
「何だ…、少し会わぬ間に、これくらいの接吻にも耐えられなくなったのか?」

口元を僅かに歪めながら、風間が告げる。
だらしなく寝間着を着ている僕に対し、きっちり着こまれた白い着物。
何処か気恥ずかしくなって、大きく開いた襟を正す。


「…久々に来たくせに、」
「ふ、素直に寂しかったと言えば良いものを。」
「誰が、そんな事…っ!」

上半身を起こし睨み付けても、たっぷりと余裕を含んだ笑みを返されるだけ。
僕はぎりぎりと唇を噛み、苛立ちを露わにする。
想定の範囲内、と言わんばかりに表情を変えない様子が、更に僕の神経を逆撫でした。


「顔に書いてあるでは無いか、逢えなくて寂しかったと。」
「勝手に都合の良い妄想するの、止めて貰えるかな。」
「ふ…都合の良い妄想、か。」
「…何がおかしいの。」

布団の横、悠長に座りながら風間の視線は障子戸の向こう−−−月明かりへ。
締め切った部屋、外なんて見えないのに。

揺れる金糸、遠くを見詰める真紅の瞳。
整った横顔に、僕は見惚れる。

どんなに否定したって、此の胸の高鳴りも頬に差す赤みも誤魔化せない。


「気分が逸れたな。」
「…何が、」
「言わぬ方が良いと思って居たが、貴様と恋仲であると思って居たのは俺の都合の良い妄想なのであろう?」
「な、に…?」


普段の軽口、そんなの風間だって解ってるでしょ?
僕が冷たくするのも嫌がるのも、強引に奪って欲しいから。

解ってるくせに。
解ってるくせに。

今日の風間は酷く意地悪−−−否、何処か違う。


「先日、妻を娶った。」


どくり、心臓が脈打つ。
頭で理解出来ても、心は其の事実を受け付けない。
口を開いても、何も出て来ない。
変な汗が背筋を伝う。

真紅の瞳がゆっくりと、僕を見詰めた。



「…っう、そ、」
「嘘では無い。何れは娶らねばならなかったのだ。貴様とて解っていたのだろう?」
「……、」


そうだ、僕だって解ってた。
いつかは婚姻を結んで、強い鬼の血を残す。
そんな日は避けられないと解ってた。


其れを覚悟の上で、僕は風間に恋をした。


「…此れで終わりにしたいと言うなら、止めはせん。」
「な、」
「妻を娶っておきながら貴様も手放したくない等、其処まで俺も勝手では無い。」


無意識だった。
僕は布団を蹴り飛ばし、風間の正面に回る。
両肩を思い切り掴み、力任せに畳へと押し付けた。

まともな抵抗も無く、そのまま雪崩れる様に倒れ込む。


至近距離で絡まる瞳。
畳に付いた手が、触れそうで触れない唇が、震える。


「…許さない、」
「何をだ。」
「自分だけ幸せになるつもり…?僕を捨てて?そんなの、許さない…っ、」



勝手に屯所へ入って来ては、執拗に僕を追い回して。
更には好きだ、愛してる、と四六時中伝えて来て。

鬱陶しくて仕方なかった筈なのに。
恋も愛も知ら無いまま、ただ新選組の剣で居るつもりだったのに。




気付いたら心ごと、全て奪われていた。



「…こんなに好きにさせておいて、…っ許さない、」


もっと睨んでやりたいのに。
枕元に掛けてある刀を抜いて、其の白い喉元に突き付けてやりたいのに。

眉は下がり、声は掠れ、挙句の果てに涙が風間の頬へ堕ちる。


「…誰も、手放すとは言って居ないだろう。」
「嘘!」
「嘘では無い。貴様は俺の話を聞いて居なかったのか?貴様に選択肢をくれてやった筈だが。」


風間の表情は変わらない。
濡れた頬を拭う訳でも無ければ、僕を宥める訳でも無い。

何時だって風間は余裕に満ち溢れている。
先に好きになったのは風間なのに、今では僕の方が好きで好きで堪らない。

悔しい、けれど、好き。
僕には此の気持ちを偽る余裕も、何も無い。



「……狡い、よ、」
「何がだ。」
「僕が別れたくないって…そう言ったら……、どうするの、」

濡れた瞳で見詰める。
こんなに近くに居るのに、ぼやけた視界じゃ上手く映せない。


「言葉のままだ。恋仲で居続ける、そうだろう?」
「……風間の、気持ちは?」
「…言わねば解らぬのか?」

呆れた様な口調、視線。
ずきり、僕の胸が痛む。

嫌々恋仲で居て貰うなんて、辛い。
そんな優しさは要らない、其れは優しさじゃない。


あんなに好きだって、しつこいくらいに言ってくれたのに。
四六時中、歯の浮く様な台詞ばかり言ってたのに。

もう、心は変わってしまったの?
子を産めない僕に、用は無いの?


「嫌だよ……、僕は、僕は…っ、」
「何を勘違いしている。俺は貴様が好きだと、何遍言えば解るのだ。」
「…今、も?」
「好きでも無い奴の所へ、会いに来るほど俺も暇では無い。」


震える僕の背中を、ゆっくり撫でられる。
厭きれた様な、何処か優しい微笑み。

僕の腰を引き寄せると、そのまま上半身を起こす。
二人の間に距離何て無い、抱き合った状況。
心臓の音が聞こえてしまいそうで恥ずかしい。


「…鬼は約束を違える事はしない。」
「……、」
「だが、貴様と居るのは俺の意志だ。約束したからでは無い。俺がそうしたいからだ。」
「…な、」
「そんな事も解らぬとは、まだまだだな。」

ふ、といつもの様に憎らしい笑みを浮かべる。
僕は唇を噛み締め、俯く。


「…僕ばっかり、好き、みたい、」
「何を言う。」
「僕からは会いに行く事も出来ない、ずっと此の部屋で待つだけ……ねぇ、風間、」



−−−−寂しいよ、



ずっと胸につっかえていた言葉。
言ってしまえば案外其れは、簡単でもあった。

「ふ…貴様にも可愛い所があるでは無いか。」
「煩いよ、」
「俺が愛おしいと思うのは貴様だけだ、覚えておけ。」


顎を掬われる、顔が近付く、瞳を伏せる、唇が重なる。
一つ一つの動作が、まるでスローモーション。

どくり、どくり、胸が高鳴る。


「…ん、ふぅ、」


絡め合う舌が気持ちいい。
気付けば僕の腕は、風間の背中に回っている。

ぴったりと触れ合って居るのに、もっと、もっと、触れ合いたい。
空気さえ疎ましく思える程、触れ合って居たい。


「…風間、」
「あまり物欲しそうな顔をするな。」
「だって、」
「明日も来てやる。大人しく待って居ろ。」


初めて交わした、次の約束。


「…どうした、返事は無いのか。」
「あ、……うん、待ってる、」


もう一度だけ接吻をして。
細く開けた障子戸の向こう、音も無く消えて行った。


こんなに穏やかな逢瀬の別れは初めてだ。
すっかり冷えた布団の中は、熱くなった頬を冷ますのに調度良かった。





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