伍
土方が見舞いに来た二日後。 宣言通り、自分は午後からの巡察に出ることとなっていた。 左腰へ刀を差した後、隊服を羽織って鉢金をつける。 先に集合していた一番組の平隊士たちの元へ行き、無言で人数を確認する。 欠けている者はいないようだ。 そして同じく先に待機していた十番組とその組長、原田を見やり。 「僕たちはいつものところを回るから…十番組はあっちをお願いするよ。いい?」 「ああ、俺はどっちでも構わねぇからお前に任せるさ」 「ありがと。――よし、じゃあ行くよ」 巡察経路に決まった回り方がある訳ではないが、大まかにわかれてはいる。 自分がいつも回っている道順があるため、どの組と巡察が一緒になってもだいたい譲らない。 それは当然、原田でも同じ。 伺いを立てたりはしたが、否と言われても変えるつもりはない。 とはいえ了解を得た方がいいに決まっている。 あっさりと認められたことに満足し、笑みを浮かべずにはいられなかった。 隊服や髪などを風になびかせ、先頭を切って歩きだす。 後から平隊士がついてくる。 日中はまだ気温が高い。 時々吹く風が、滲んだ汗を吹き飛ばして心地いい。 日陰はもっと居心地がいいのだろうとか少し平和な考えを持ちながら、ふと視界の隅に男の子の姿が映る。 顔をそちらに向けると、泣いているのが見えた。 平隊士をひとまず待機させ、単身でその男の子に近づく。 「ねえ君、どうしたの?」 きっと母親とはぐれてしまった迷子なのだろうと思いつつ、努めて優しい声で話しかける。 目線をできるだけ合わせようとその場に軽くしゃがみこんだ。 男の子は泣いたまま、両手で目を擦ってしゃくりあげている。 そのため顔がよく見えないが、自分の知っている子のように思えた。 名前を呼びかけると、ようやく両手が顔から離れる。 真っ赤に腫らした目と見つめあう。 やはりこの男の子は自分とよく遊んでいる子供たちの一人だ。 清之介くん、と再度彼の名前を呼ぶ。 どうしたのかという問いも続けて投げかけた。 すると清之介はしゃくりあげたままでなんとか事情を話そうと口を開く。 途切れ途切れの言葉は聞き取りづらく、苛立ちが少なからず募ったが、子供相手に怒る訳にはいかない。 堪えて事の全てを聞き、頭の中で整理した。 話を聞く前に予想していたことにほぼ間違いがないらしい。 しかし単にはぐれたのではなく、母親が見知らぬ男――おそらく浪士だろう――に連れ去られたのだとか。 よくあることではあるが、見知った子であるために知らぬふりもできない。 清之介を連れて平隊士たちの元へ戻り、護衛を頼んだ。 おそらく巡察の時間はとっくに過ぎている。 だから護衛を頼んだ者以外には屯所へ帰るよう命じた。 それぞれ命令した通りに動き始め、自分の元には誰もいなくなり。 行動を開始した。 まずは近くの町人に声をかけて清之介が言っていた男の情報を集める。 通行人には期待ができないことなど明白。 目の前にあった食事処や呉服屋に入り、聞き込む。 なんとか一人だけ、清之介の母親が連れ去られていくのを見たという人がいた。 「酔っていたようで…たまたまぶつかった女性に難癖つけて、無理矢理どこかへ連れていきましたよ」 その人は自分より少し年上らしい男性。 食事処の跡を継ぐため、働いていると聞いた。 いや、そんなことはどうでもいいのだが。 「どっちに行ったかわかりますか」 「えーと、確か……この通りをまっすぐ行って、すぐ左へ曲がったかと」 男性の手が持ち上がり、話しながら通りを指差す。 示された先を見やってから顔の向きを戻し、軽く礼を述べて駆けだした。 さっさと解決してしまおうと考えて。 あの男性から覚えている限りの容姿も聞いておいた。 それを思い出しても、確実にかなり雑魚の浪士だろう。 最初に聞いた話で男を追いながら、途中で聞き込みを繰り返していた時。 山の方へ行ったという話を聞いてほんの少し苛立った。 どうして目撃しておいて助けようとしないのだろう。 相手が浪士だからだろうか。 とにかく早く追いつかなくてはと再び駆けだす。 もうしばらく走った先で男女の背中を目で捉え、刀の柄に手をかける。 だが息を吸って呼び止めようとした瞬間、血飛沫が飛ぶのを目にした。 それは浪士のもの。 真横でそれを見た女性は恐怖で腰を抜かし、その場に崩れ落ちるように座り込む。 自分にも何が起きたのかわからない。 けれど浪士の先にまた別の男が立っていた。 「あいつ…」 本当に会えるとは思わなかった。 見覚えのあるその人間は、間違いなく池田屋で出会ったあの男。 一撃で斬り殺された浪士のすぐ後ろに立ち、刀を収めている金髪の男を睨むように見る。 女性の方は一切見なかった。興味もない。 でもこの男だけはどうしても気になる。 ずっと男の姿が頭から離れないのだから。 「なんでここにいるのか聞かせてもらえる?」 有無を言わさないというほど強い口調で問う。 池田屋で話した限り、怯みもしないことなど知れていたが。 「――逆に問おう。貴様はなぜここにいる」 同じ問いを返され、そこで初めて座り込んでいた女性を見た。 彼女を助けるためだと答えれば、男はつまらなさそうにそっぽを向く。 今の問いに意味がないことはわかっている。 探るな、と暗に言っているのか。 追求を諦め、とりあえず女性を助け起こす。 それから清之介の傍に一番組の平隊士がいることを教え、立ち去らせた。 自分もそろそろ戻らなくては。 転がる死体も気にせず、動く気配を見せない男に背を向けつつ口を開く。 「あんたにこれだけは言っておくよ」 蝉の声が耳に届く。 今の今まで暑さを忘れていた。 そういえば後ろの男は汗をかいていなかったような。 いや、そう見えただけだろう。 この暑さの中、汗をかかない者などいない。 「さっさと京から出ていってくれないかな。……邪魔なんだ」 様々な意味を含めて告げる。 そして返事も聞かずにこの場を離れてしまった。 だから男が控えめな声で答えを呟いたことなど知らない。 |