参
池田屋内では刀と刀がぶつかり合う音と斬り伏せられた者が上げる断末魔の声ばかりが響いていた。 階下には近藤と永倉を中心に大勢の隊士が斬り合っている。 藤堂と共に階上へ来た自分は、やけに静かな部屋の前で足を止めていた。 中に人の気配はある。 刀をきつく握り直して、藤堂と顔を見合わせた。 彼が頷き返すのを見、浅く息を吐き出してから勢いよく襖を開く。 しかしすぐ斬り込むことはしない。 異様な雰囲気を感じていたから、というのもある――が。 (――!!) 視界に映った二人のうち一人に、目を奪われていたから。 その人物はいつかの日に巡察中で見かけた、金髪の男。 ここへ訪れる前、必死に忘れようとしたあの男だ。 傍にいる深紅の髪を持った強面の男の方には見覚えがない。 すっと消えるように部屋を移動していくその男を、迷わず藤堂が追いかけていく。 部屋には自分と金髪の男の二人だけになる。 持っていた刀を構え、思考を巡らせた。 この池田屋には長州の者たちがいたはず。 ということは男も長州の人間なのか? 険しい表情で数歩、にじり寄る。 男はまだ刀を抜こうとはしない。 そればかりか涼しげな顔で外を眺めていた。 足元にも及ばない人間だと思われているような気がして不愉快だ。 いっそ斬りつけてしまおうかと思った時、やっと男が振り返る。 顔に不敵な笑みを浮かべて。 「……ほう」 明かりの消された室内、月の光に男の顔が照らされる。 過去に遠目で見た時と変わらない、整っていて綺麗な顔立ち。 自分はただ、周りの喧噪も聞こえなくなるほど目の前の男だけに集中していた。 紡がれた短く低い声が頭の中で何度もこだまする。 「貴様の顔には見覚えがあるな」 次いで出てきた言葉に目を見開く。 彼も自分のことを覚えていたのだろうか。 否、そんなはずはない。 市中で見かけたというのはこちらの方で、しかも一方的。 そのうえ遠くから偶然に見ただけなのだから、男の方から見えていたとは思えない。 …不意に、刀を構えたままの状態で動かない自分に気づいた。 一気に現実へ引き戻されたような感覚を覚える。 途端、様々な音が蘇ってきた。 同時にさらなる大きな音と藤堂の声が聞こえてくる。 劣勢状態にある、と察することができる。 援助に向かわなくてはと思い、改めて眼前の男に向き直った。 構えが崩れていたのを直してかけ声もなく駆け出す。 迷わず袈裟にかけた。 しかし、男が僅かに動いただけで容易にかわされてしまう。 軽く驚きながらも冷静さを失わず、すぐさま次の一撃を見舞おうとする。 今度は男が持つ刀の鞘に己の刀がぶつかった。 素早い、と真っ先に思った。 「――面白そうな奴だ、この俺に刃向かってくるとは…」 男が愉快そうにくくく、と喉で笑いながら目を細める。 そしてゆっくりと綺麗な動きで抜刀した。 片手だけで構えられた刀に月光が反射し、こちらの目を差す。 酷く眩しい気がして眉間に皺を寄せた。 それが一瞬の隙となり、男が初めの一撃を繰り出すのを許してしまった。 明らかに速く、重い横薙ぎ。 かろうじて受けとめ、押し返そうと試みる。 だが、男の力は人間とは思えない程に強い。 ガチガチと刀が音を立て、徐々に押されていく。 押し戻せないとなれば飛び退くしかなかった。 距離を置いて奥歯を噛みしめつつ男を睨む。 「あんた、どこの人間?」 勝てるかわからないという予感を感じ始めていたが、それでも諦めるつもりはない。 微かに笑みを湛えた。 「答える義理はない」 「そう。…まあ、あんたには死んでもらうけど!」 負ければそれまでだと頭のどこかで考え、振り払うように再び攻撃を仕かける。 続けざまに四撃ほど。 けれどもやはり全ての攻撃が受けとめられたり、風のように流された。 最後の一撃の際、勢い余って男の脇を行きすぎてしまう。 振り返り、それを見逃さなかった男の蹴りが自分にまんまと命中する。 身体が飛ばされ、壁に背中を強く打ちつけて。 うっと呻き声を洩らし、喉の奥から何かが込みあげてくるのを感じた。 咄嗟に口へ手を当てると込みあげてきたものが溢れだす。 (――…血……) 畳にこぼれた液体。 赤黒いそれに、思わず目を見開いた。 蹴られた衝撃でどこかがやられてしまったのだろうか。 「沖田さん!!」 不意に聞き慣れた声が部屋に響き、その声の主が姿を見せた。 雪村だ。 どうして彼女が、と思う前に間に立つ男へ向かって何かを投げる。 男の注意が完全に自分からそれた。 与えられた予期せぬ機会に自然と身体が反応し、得意の突きを見舞う。 が、これもしっかり命中することはなかった。 僅かに着物を掠め、反撃をされる――と思いきや。 自分の元へ駆け寄ろうとする雪村へ向かって、男が刀を振りかざすのが目に入る。 反射的に雪村の腕を取って引き、自らの背に隠す。 刀を男へ向けた。 「この子に、手を出さないでくれるかな!」 「……盾になる気か?無駄なことを」 「沖田さん…!」 ぜえぜえと荒い息をしながら言えば、嘲る声と悲鳴のような声がかかる。 剣先が小さく震えているのに気づかない己ではない。 正直これ以上戦うのは無理だろうと思った。 それを察してか、男が低く笑う。 やがて刀をしまい、背を向けられる。 自分は負けたのだと強く思った。 次第に意識が遠のいていく感じがして。 男が去り際に呟いた言葉を、朧気に理解しようと頭を働かせる。 そのまま雪村が呼ぶ声を聞きつつ、闇の中へ身を沈めるように意識を手放した。 |