自分は何よりも甘いそれを忘れつつあった






なんとなく、身体の調子がよくないとは感じていた。
しかし隊務をこなすのに支障はなかったために、深く気にすることはなかった。
日を重ねていくたびに倦怠感が増していったが、休むという選択肢はない。
風邪を引いたのだと途中で気づきはしたものの、それでも休まないというのは最早己の意地だった。








◇   ◇   ◇



仕事の忙しさと、体調の悪さに耐え続けて七日が過ぎようとしていた頃。
昼食当番で勝手場にいた時のことだ。
ちなみに同じ昼食の当番となっていた藤堂はいない。
つい先程、食材の不足分を買いに出て行ってしまった。
…故に勝手場には自分一人。
黙々とこなせるだけの作業をこなしていた。
残りは主菜が二人分と副菜が一人分のみ。

藤堂の帰りはまだなのか、と振り返ろうとして――




「――…っ」

ぐらり、と身体から力が抜けて倒れていく感覚。
目の前が瞬間的に真っ白になった。
限界がきたか、などと他人事のように考えていると、いつまでも身体が倒れきらないことに気づく。
視界やら五感が全て同時に元に戻ってくる。
後ろから己の身体を支える人物が目に入った。

「……大丈夫?」

不機嫌そうな声で頭上から話すその人物は、道場にいて隊士たちに稽古をつけているはずの沖田。
どうしてここにいるのだろうと疑問に思ったが、わかるはずもない。
彼は気まぐれで行動することが多いのだから。
ひとまず転倒しかけていた自分を助けてくれた彼に礼を告げる。
そしてゆっくりと身体を離してその場に立ち直した。
僅かに崩れた着物を整えたところで沖田が再び口を開く。

「ねえ、一くんさ」

「…なんだ」

相変わらず機嫌の悪そうな声。
加えて並の人間では怯んでしまいそうな眼差し。
いつもなら気にもとめない彼の威圧に、思わず緊張してしまう。
風邪にも関わらず無理をし続けているという事実があるからかも知れない。
呼びかけてきたあと、沖田は言葉を発しようとはしない。
火にかけたまま放置されている味噌汁を心配して、一度彼に背を向けた。
ここでも彼は何も言ってこない。
それが逆に自分を居心地悪くさせるのだが。
まあひとまず火を消してしまおうと近くの水に手を伸ばす。

「――もしかして、僕が気づかないとでも思ってる?」

伸ばした手が、一瞬止まる。
常に落ち着いて行動することを意識している自分だが、この時ばかりはそうもいかないと感じていた。
沖田は"何に気づいているのか"を明らかにしていない。
だがおそらく――いやほぼ確実に、風邪を引いても休まないでいたことを指しているのだろう。
しかし今日まで隠してきた以上、今さら打ち明ける気になれなかった。
何のことだ、と後ろめたさを感じながらも言葉を返す。
瞬間、沖田の纏う雰囲気が一層厳しく重いものになったのを感じ取る。

「とぼけないでくれるかな。もうだいぶ前から風邪引いてるの、知ってるんだよ。なのに仕事を休みもしないんだから」

やはり知っていたのか、と彼の言葉を聞いてすぐに思った。
ならば隠す必要もない。
彼に気づかれないよう、小さくため息をこぼす。
ふと、この勝手場に近づいてくる足音に気づいた。おそらく藤堂が帰って来たのだろう。
この気まずい空気から解放される、と思うと少し気分が軽くなった。
火を消して振り返ってみると、もうそこに沖田の姿はなく。
すぐに藤堂がやってきた。












◇   ◇   ◇






(――…?)

ひんやりとしたものが額に乗せられて目を覚ます。
見覚えのある光景で、すぐに自室だと判断した。
だがどうして己が寝ていたのかがわからない。
最後の記憶を掘り返してみる。
確か、昼食を終えてその後片づけをしていて。
それで? ――わからない。
そこからぷっつりと記憶が途切れてしまっていた。
やらなくてはならない仕事があることを思い出して身を起こそうとするが、なぜか身体が言うことを聞かない。

「――ああほら、無理に起きようとしないの」

傍らから聞き覚えのある声が届いてそちらに視線を向ける。
布団の右手に座っていたのは間違いなく沖田だった。
様々な疑問が頭に浮かんでは消えていく。

「俺がこうして寝かされているのはなにゆえ…?」

とりあえず真っ先に思いついた疑問を彼に投げかけた。
勝手場で会った時あんなにも不機嫌だった彼は、笑みすら浮かべて。

「一くんが高熱で倒れたから、僕がここまで運んであげたんだよ」

いつもの調子でそう答えてきた。
しかしどこか心配そうな声だとぼんやり考える。
間をおいて馬鹿だね、と言葉をつけ足された。
言い返してやりたかったが、言い返せる言葉もない。彼の言うことは事実だ。
視線を沖田からそらして天井をじっと見つめる。
おそらく熱で倒れたことは他の幹部連中に知れ渡っていることだろう。
となると仕事をしようにもどうせ阻まれるに違いない。
ならばもういっそ諦めて素直に静養しよう。
そう結論を出して自らを納得させると、ため息を一つこぼす。
いざ休もうと決めてしまえば身体は急激に休息を求める。
自分は眠りに落ちていこうとしていた。

……が。
不意に視界が暗くなったかと思えば、すぐ目の前に沖田の顔が迫っていた。
それに気づいた頃にはすでに、彼の唇が己のそれと重ね合わせられていて。
抵抗することすら忘れ、久々の感触を楽しんでいる己がいた。
思えば自身の体調と仕事ばかりを気にして、沖田と一緒に時間を過ごすことがほとんどなかった。
もしかしたら彼はそれについても少し怒っていたかも知れない。
構ってやる余裕もなかった自分を申し訳なく思う。
そっと口を離した沖田の顔を見つめ、苦笑した。

「すまなかった」

色んなことに対して謝罪の言葉を口にする。
彼はそれを察してか、困ったような笑みを浮かべて首を左右に振った。

「別に謝らなくてもいいから。ただ、もう無理をしないでよ」

心配しちゃうでしょ? と言って再度口づけをされる。
風邪がうつる、と後から思ったがもう遅い。
沖田が満足するまで何度も交わした。

























数日後、沖田に風邪がうつったのは言うまでもない。





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