素っ気ない貴方に少し仕返しした
今日は朝から雨が降っていた。 否、夜中に一度目が覚めた時にも雨音がしていたように記憶しているから、正しくは夜遅くから降り続いているのだろう。 この時期になると雨の降る日がやたらと続く。 特別雨が嫌いだということはないが、刀が湿気で錆びやすくなるというのは少々面倒だ。 隊務に追われてしまう日がもし続いた時は手入れもできない。 そう易々と刀を買う訳にもいかないのだから、とにかく錆びてしまうのだけは避けたい。 とはいえこの時期は一年に一度必ず訪れるうえに、自然の摂理であるため文句も言いようがない。 ……つまり、どうしようもないのだ。 土方のところへ報告に向かう途中、ふと空を見上げてため息をこぼす。 今夜は何も予定がない。 手が空いている時に愛刀を手入れしてやらねば。そう考えていた。 (……) 手入れすると決まれば時間が惜しい。 屯所に戻ってくるのも予定より遅かったため、土方をだいぶ待たせてしまっている。 今日という日も半分以上が終わり、すでに夕方の時刻だ。 ならばなおさら早く向かわねば。 気を取り直し、視線を前に戻して歩き出した。 相も変わらず激しい雨の音を聞きながら、土方の部屋へ。 一刻後。 無事に報告を終えた自分は自室に戻り、目的の愛刀を手入れしていた。 日はもう落ちているが、雨音の強さは変わってなどいない。 ちょうど集中が途切れた際、障子越しに外を見るように顔をあげてみる。 当然、雫が見える訳ではない。 けれども自分の目には見えるような気がした。 一滴一滴が大きく、重たい雫が。 これは明日も同じ調子で降るに違いない。巡察が大変そうだ。 ぼんやりとそう考えてまたもやため息が出る。 激しい雨に喜ぶのは蝸牛や蛙くらいなのではないか。 少なくとも人間はあまり喜ばない。 「――そういえば」 不意に、思い出す。 今朝屯所を出る前に非番の沖田と会った。 彼とは秘められし関係にあるのだが、自分が仕事だったので仲間としての態度をとった。 公私をわけるのは重要だと思っている。 それは沖田もわかってくれているだろうと。 そう思っていたのだが……よく考えてみれば帰ってきてから彼の姿を見ていない。 いつもなら遅れてでも必ず迎えにくるのに。 沖田の身に何かあったのだろうか? 様々な考えが頭を巡り、不安を募らせていく。 考えたくはないが、どこかで倒れているのかも知れない。 最早いてもたってもいられず、途中だった愛刀の手入れを手早くすませて立ち上がる。 白い襟巻を巻き直しながら部屋を出た。 すると角を曲がったすぐそこに藤堂と雪村がいたので足を止める。 二人も自分に気づいて軽く挨拶をしてきたので同じように言葉を返す。 「平助、雪村。総司を見ていないか?」 もしかしたら知っているかも知れないという僅かな希望を抱いて問いかけてみる。 しかし二人とも首を横にしか振らなかった。 そうだろうとは思っていても、やはり少なからず残念だ。 有難う、と短く礼を告げてその場を去っていく。 思いつくままに探し回ろうと決めてまずは勝手場へと向かう。 記憶の海に何か手がかりはないかと頭を働かせながら。 ――時は半日ほど前に遡る。 夜から雨が降り続けてじめじめとした朝、心地悪さを覚えながらも広間に向かうところで沖田に会った。 暇を持て余していたらしい彼は退屈そうに伸びをしていた。 そんな背中に声をかければ、愛おしい恋人がいつもの微笑みを浮かべて振り返る。 いつもの、とはいっても沖田が今浮かべているその表情は一際柔らかい。 他の人間に向けられるものとは少し違うのだ。 僅かな違いではあるが、自分はそれに気づいている。 きっと、本人ですら気づいていないだろうこと。 その小さな違いに気づけていることが嬉しく、思わず口元に笑みを浮かべた。 だがすぐにそれを消してしまう。 これから仕事なのだから、気を引き締めなくてはと思ったからだ。 沖田は同じ微笑みのままで「一くん」と名前を呼ぶ。 「これから仕事でしょ?…行く前にさ」 やはり普段の彼とは違う、どこか甘えるような声で何かを言いかける。 言葉の続きは容易に想像できた。 出かける前に抱きしめてほしいか、口づけでもしてほしいか。そんなところだろう。 しかし今は甘やかす時ではない。 彼自身が言った通り、これから仕事なのだから。 だから申し訳ないと心の中で呟きながらも首を横に振って見せる。 すると沖田は一瞬目を見開き、すぐに寂しそうな色を瞳に宿らせて瞼を少し伏せて。 そしてこちらに背を向けると雨空を見上げ、それきり黙ってしまった。 寂しい思いをさせたことに胸を痛めつつ、自分はそれ以上何も言わずに立ち去ったのだった。 沖田の姿は勝手場になかった。 彼の部屋にもいなかったし、道場にもいない。 いつも子供たちと遊んでいる場所にもいなければ、どこかへ出かけたということもないようだ。 けれど自分には他に彼の向かうだろう場所が思いつかない。 途方に暮れかけたその時、今朝の出来事が脳裏を掠めた。 もしかしたらそこにいるのだろうか、と一つの憶測が浮かぶ。 他に手がかりもないので迷わずそこへ向かうことにした。 あれは自室の近く、そしてあまり人の通らない場所。 思えば沖田は、自分が来るのを待ってあそこにいたのではないか。 今も、きっと――… 「総司っ」 知らぬ間に目的の場所へと早足で向かっていたらしい。 軽く息を弾ませながら、いるかも知れない沖田の名を呼んで角を曲がる。 するとそこにはやはり彼の姿があった。 しかも未だ降り続ける雨に濡れて、びしょ濡れの状態で縁側に腰かけている。 そんな姿を見て一瞬血の気が引いたような気がした。 名前を呼んだにも関わらず反応を示さないことに、さらなる不安を抱く。 もう一度名前を呼びかけて近づくと、僅かに沖田が反応を見せる。 ゆっくりと頭だけがこちらを振り向いた。 その表情に明るさはない。 今にも泣きだしそうなほどに悲しい顔をしているように見えた。 無言で少しの間見つめあうと、ふいっと沖田の方からそらされてしまう。 そこではっとなり、慌てて首に巻いている襟巻を取って彼に近づく。 何か言われる前に頭へかぶせた。 わしゃわしゃとやや力強く雨を拭きとってやる。 さすがに抵抗はしないらしい。それに一安心した。 とはいえいつまでも縁側に座られているのでは、いくら雨を拭いてもまた濡れてしまう。 せめて自分の部屋に入らせようと、そっと彼の肩を叩く。 「総司」 名前も一緒に呼びかけた。けれど動く様子はない。 顔を覗きこめば先程と同じ表情。 どうしていいかわからなくなったところに、沖田の口が動いた。 「…一くんの馬鹿」 微かな声をしっかり聞き取り、思わずうっと唸ってしまう。 やはり朝のことで拗ねている。それも相当に。 すまない、と呟くように返せば再び沖田がこちらを向く。 そして馬鹿、と繰り返し言われた。 さっきよりも元気のある声。 どうやら機嫌を直しつつあるらしいとみて再度移動するよう促してみる。 今度はすんなりと従ってくれた。 襟巻を頭にかぶったままの沖田が立ち上がって抱きついてくる。 「寂しかったんだから」 「ああ、わかっている…すまなかった」 子供のような甘えについ微笑みをこぼし、頬に軽く口づけを落とした。 以降、自分が任務の前でも彼を甘やかすようになったのは言うまでもない。 ついでに土方がそれで頭を悩ませるようになったのは別の話。 |