ないものを持つ貴方に、惹かれて




練習をする時、試合をする時…ただひたすらに打ち込めるから剣道が好きだった。
いや、過去形ではなくて今も好きでいる。
顧問の教師に腕を褒められたこともあり、これまで負けた経験もほとんどない。
だから自信もあった。
――けれど高校に入学して一人の人間に出会ったことで、自分の世界が変わった気がする。
今までどんな人間も目に留めなかったのに。
その人だけは思わず目で追っていた。

同学年の、斎藤一。





ないものを持つ貴方に、かれて




















高校生活初めての夏が、そろそろ終わろうとしていたある日の昼休み。
残念ながら財布を忘れて昼食を抜くことになった自分は、気晴らしに屋上へ来ていた。
まだ日差しが強く、苛々するほどには暑い。
しかしそよ風があるだけまだいい。
じんわりと滲む汗を、時々シャツで拭う。
影になっているところを見つけてそこに腰を落ち着けた。
空腹を忘れるために考えごとを始める。
すぐに思いついたのはあの斎藤という男。
剣道部に入って初めて見たのだが、ずいぶんと凛とした男だという印象を受けた。
口を利いたことはまだ一度もない。
なんとなく声をかけるのに気が引けたから。
とにかくその斎藤の練習試合を見た時、彼が綺麗だと思ったのだ。
もう飽きるほどに見ているのに、彼の立ち姿だけはすごく真っ直ぐで。
纏う空気が違うと感じていた。
それでいて鋭いほどの視線が、容赦なく相手を威圧する。
本気で殺してしまうのではないかと錯覚するほど。
そんな斎藤とはまだ一度も試合をしたことがない。
自分の体調が優れず、部活を休みがちだったため。
だから早く戦ってみたい。
最近はそればかり思っていた。

「でも…負けるつもりはないよ、斎藤くん」

これまで他人を意識したことのない自分が、斎藤だけはすごく気にしている。
ひょっとすると自分より強いかも知れないというのが気にかかる理由かも知れない。
今まで自分を負かすことのできた人間は、この高校の校長でもある近藤くらい。
あとは、誰がいただろう。
おそらく他にはいない。

「――俺が、どうした」

不意に頭上から降ってきた声。
聞き覚えがあるような気がして顔をあげると、そこに斎藤がいたので少なからず驚いた。
彼がどうしてここにいるのかわからない。
そもそもまだ一度もまともに会話をしたことがないのに、なぜ。
疑問がいくつも浮かび、どれを問いかければいいのかわからなくて言葉を失う。
ただ目を瞬かせていると、無表情のままで斎藤が口を開く。

「あんた、沖田と言ったな?」

「え?…うん、そうだけど」

名前を問われ素直に頷く。
そうしたところで斎藤の声をまともに聞いたのも初めてだということに気づいた。
仕方がない。
クラスも違うし、彼自身口数が多くない。
部活でも無愛想だと呟きを洩らす先輩がいたほどだ。
こうして話しかけてくるのも、滅多にないはず。
ならばなおさら、なぜ自分に声をかけたのだろう?
考えてみても答えは自分の中にない。
とりあえず斎藤が立ったままじっとこちらを見下ろし、自分だけが座っていることに気づく。
目線を合わせるために立った。
こうして並んで立つと彼の方が背が低い。
自然と斎藤が見上げてくる形になる。

「……同じ剣道部員、だったな」

「そうだよ。…それがどうかしたの?」

「一度、手合わせをお願いしたい」

淡々と述べられる言葉を、聞き流しそうになった。
手合わせ、という単語を聞き取って目を見開く。
まさかそういう話をされるとは思わなかった訳で。
思わず聞き返してしまう。
自分は部活で初めて見た時からずっと目で追っていたが、斎藤はこちらをほとんど見てないはず。
それなのに突然、試合の申し込みをしてくるとは。
彼の考えが全くといっていいほど理解できない。
もしかして剣道部員全てに声をかけ、片っ端から試合を申し込んでいるのだろうか。
そして一人残らず打ち負かしている?
やや顔をしかめて斎藤を凝視していると、僅かに視線がそれていく。

「ここの剣道部で…あんただけが強そうだと思っていた故」

少し言いにくそうに放たれた言葉は、小さくても確かに聞き取れた。
だが同時に予鈴が鳴り響いて、再び目があう。
失礼、とだけ告げて斎藤が先に屋上を去っていく。
その背を見送りながら、自分は空腹のことをすっかり忘れていた。








◇   ◇   ◇




放課後、一番に剣道場へと走ってきた自分はすぐに支度をしていた。
後から順に現れる部員たちを余所に、斎藤が到着するまで素振りをする。
先輩に何度か声をかけられたが、適当な返事をするだけ。
落ち着いてなどいられなかったのだ。
立ち居振る舞いの綺麗なあの斎藤と、手合わせできると思うと。
久しぶりに心が躍っているのを感じている。
自分のやり方では荒っぽいところがあるから、斎藤と並んでも綺麗に見えないだろうと思う。
でもだからこそ、隣に立った時に引けを取らないようにしたい。
試合をすれば、何かがわかるかも知れない。
そんな風に思っていた。

「沖田」

やがて名前が呼ばれて一度手を止める。
振り返った先に斎藤と顧問の教師がいた。
どうも話はしてあるらしく、今すぐにでも始められるようだ。
教師に会釈をして決められた位置へ向かう。
反対側に斎藤が竹刀を手にして静かに立つ。
どちらも同じように構えた。
そして間に立った審判の生徒が号令をかけて試合が開始する。
長いようであっという間の試合。
端で見ていただけの斎藤は、想像以上に強い。
一瞬の隙すらなく、こちらの弱点を見つけだそうと無駄のない一撃を仕かけてくる。
だが防戦のみということはなかった。
一撃を受けとめるたびに斎藤の癖を見出そうとしていく。
ほんの僅かな隙を見つければ突きを見舞う。
無意識に笑みがこぼれた。
これほどまでに楽しい試合はしたことがない。
…けれど、油断した。
そろそろ一本取ってしまおうとして踏み込んだ時、斎藤が一瞬早く動いていたことに気づいた。
まずいと思っても避けることができず、そのまま斎藤の竹刀が自分の左腕に強く当たる。
あまりにも強くて重い一撃に竹刀を落とした。
少し遅れて審判が大声で一本を宣言する。
負けた。その事実は悔しいけれど、後悔はない。
むしろ清々しいほど。

(次は負けてあげないけど)

辞儀をして落とした竹刀を拾ったところに斎藤が近づいてくる。
彼もまた、わかりにくくも嬉しそうな顔をしていた。
それだけではなく、心配そうな色も見せていたけど。
おそらく自分の左腕を気にかけてくれているのだろうと思う。
ただの竹刀で骨が折れるということはないが、軽い打ち身にでもなっているような気がする。

「…ありがとう、沖田。面白い試合だった」

声からどこか斎藤が興奮しているのが窺える。
にっこりと笑んで「こちらこそ」と返した。

「――……腕は痛くないか?」

次にそう問われ、左腕を掴まれる。
反射的に腕を引こうとしたが無駄だった。
同じ男なのだから力が強い。当たり前のことに驚く。
大丈夫、と言っても聞いてもらえず。
袖を捲られて赤く腫れ始めている部分を晒された。
それを見た斎藤は険しい表情でこちらを見上げてくる。
しかし何も言わずに腕を掴んだまま引かれていく。
どこへ行くの、と聞く必要はない。
保健室へ連行されるのだ。
ここは従っておこうと失笑しながら考える。
斎藤という男はずいぶん礼儀正しいようだ。
なぜなら剣道場を去る際、顧問に丁寧に説明してきたからだ。
自分はそんなことはしない。面倒だから。
面白い人間だなという感想を抱きつつ、保健室へ辿り着いて椅子に座れと半分命じられる。
ついついクスクスと笑いながら言う通りにした。

「斎藤くんさ」

保険医がいないため、無断で治療を開始しようとしている斎藤の背に声をかける。
意識がそちらに向いているせいか、案外素っ気ない返事がされた。
気にせず話しかけ続けることにする。

「僕のこと、名前で呼んでくれると嬉しいな」

そう言ったところで一度ピタリと動きが止まる。
湿布を持った状態で振り返った。
なにゆえ、と口が動く。
どうしてだろう。自分でもわからないが。
肩をすくませて問いに答えを返さずに名前を告げる。

「総司、でいいよ。――で、斎藤くんの名前は?」

半ば無理矢理、名前で呼ぶように促す。
まだそんなに親しい訳ではない。
でも名前で呼び合えたら仲良くなれる気がした。
いろんなものを手にして座っている自分の元に戻ってきた斎藤は、腕を差し出すように指示しながら。

「…一だ」

と、小さな声で教えてくれた。
一くん、と試しに呼んでみる。
響きのいい名前だ。呼びやすい。
もう一度名前を繰り返すと、顔をしかめた斎藤がこちらを見る。
何がしたいのかと聞きたそうな顔だった。
そんな彼に何か言いたくて考えてみる。
微笑んで、一言。

「かっこよくて優しい一くんに惚れました…って言ったら、どうする?」

お遊び半分の言葉。
けれど自分はほとんど本気だった。
全面的に拒絶されるのが怖くて冗談めかす。
嘘だよと笑えれば拒まれてもすぐ立ち直れそうだから。
なのに斎藤は反応はとても中途半端なもので。
どちらとも取れなかったから、翌日から自分は斎藤に密かなアプローチをし始めることになる。
そしてめでたく結ばれたのが高校二年の秋。





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