願うのはたったひとつの幸せなのに
松本先生に「お前の病は労咳だ」と言われた時、別に驚きはしなかった。 自分の身体は自分がよくわかっている。 風邪ではないことなんて…わかっていた。 だから話を聞いて「ああ、やっぱり」とすぐに思った。 あの時僕の心に飛来した感情は何だったろうか。 わからない。 とにかくいろんなものが頭の中をぐるぐるめぐっていた。 心の中でそんな自分を情けないと呟く。 らしくないとも、思った。 …そんな時にふと、気配を感じた。 それは最近(というほど近い話じゃないけど)自分たち新選組と過ごすようになった少女のもので。 他人事のように、彼女が話を聞いてしまったのだと考える。 「――…千鶴ちゃん」 土方さんにしつこく寝ていろと言われるようになった、ある日の夜。 どうにも気持ちよく寝つけなくて、静かに部屋を出た。 途端、少し冷たい風が僕の頬を撫でていく。 寒いとは思わなかったので、上着を羽織ることもなく廊下を歩き進む。 当然のことだが、どの部屋にも明かりはない。 解放感みたいなものを感じつつ、誘われるようにして中庭へ向かった。 やむことなく吹き続ける風に揺れる木々。 広大で綺麗な星空に、眩しいくらいに輝き浮かぶ三日月。 僕はそれらを、縁側に腰かけてぼんやりと見つめていた。 誰も起きてはこないだろうと、たかをくくっていた。 ――それがいけなかったのかも知れない。 「沖田さん」 すぐ後ろで僕の名前を呼ばれて驚く。 振り返ると少女――千鶴がそこに立っていた。 それも、悲しそうな表情で。 彼女の気配に全く気づかなかったことと、誰にも見つからないと思っていたのに見つかってしまったことに苦笑する。 とりあえず僕は、なんでもないように「こんばんは」とだけ言った。 すると千鶴は今にも泣き出しそうな顔をした。 「…そんな薄着で部屋から出たらだめじゃないですか」 優しく叱る声。 その言葉に、いつだったか土方さんが千鶴のことを僕の姉に似ていると言ったことを思い出した。 確かに…どこか似ているかも知れない。 ずいぶんと長いこと会っていない姉を思い浮かべ、素直に「ごめんね」と返す。 それが千鶴にとって意外だったのか、一瞬目を見開いたあとに微笑む。 今すぐ部屋に帰れ、とは言わずに僕の隣に座った。 ほんの少し間をおいて「考えごとですか?」と問われる。 そんなところかな、と自分でもわからないのに答えた。 先程と同じようにぼんやりと眼前に広がる風景を眺めると。 隣の千鶴も一緒にそうしていた。 …数分、そうしていただろうか。 「これ、羽織ってください」 思い出したように千鶴が呟く。 そして言葉を返す前に彼女が羽織っていた上着をかけられる。 気を遣ってくれたのはわかるが…これでは彼女が風邪をひいてしまう。 やれやれ、と思いながら彼女の身体を引きよせる。 ぴったりとよりそい、上着を自分と彼女にかけた。 「――お、沖田さん…?!」 顔を赤らめながら悲鳴にも似た声をあげる千鶴に笑みをこぼす。 そんな彼女に「僕のことを心配するなら、自分のことも考えなよ」と言った。 すみません、と少ししょんぼりとした声が返ってくる。 謝らなくてもいいのに、と思うが口にはしない。 再び、僕と彼女の間に沈黙が訪れる。 耳に届くのは風に揺れた木々の葉が掠れる音だけ。 自然と心が凪いでいくのがわかった。 ずっとこのままでいられればいいのに、なんて願ってしまう。 「……ねぇ、千鶴ちゃん」 「はい?」 「君はよく僕を構うけど…なんで?」 彼女を少なからず困らせる問いなのはわかっていた。 それでも、問わずにはいられず。 落ち着いていた彼女の顔が、またもや赤く染まっていった。 けれどそれだけで、答えをなかなかくれない。 「僕のこと好きなの?」 意地悪く、問いを重ねた。 こんなこと、誰もがすでに気づいていることだけど。 僕は、彼女の口から聞きたいと思っていた。 その後にはこちらから彼女を突き放すのだとわかっていても。 (だって、僕は彼女を幸せにできない) 聞かずには、いられなかった。 「……はい、好きです」 思っていた通りの言葉。 聞いた瞬間、僕の心を罪悪感が満たした。 「僕は…君が嫌いだ」 真っ直ぐに向けられた言葉が胸に痛い。 千鶴から視線をそらして、短くそれだけ告げた。 この言葉が彼女を傷つけると知っていながら。 僕の腕に捕まったままの千鶴が「そう、ですよね」と小さく呟く。 その声はあまりにも悲しさに満ちていて。 胸をさらに締めつけた。 ……違う、僕は彼女を悲しませたいんじゃない。 でも、僕じゃない人を好きになってもらうには、これしか。 君の幸せのため、なんだ。 自分に言い聞かせるように心の中で叫ぶ。 「――誰にでも優しい君が、嫌い」 「え…?」 知らないうちに口にしていた言葉。 後から理解して、何を言ってるんだろうと考えた。 これじゃ、まるで。 千鶴の背中へ回した腕に力が入る。 視線を彼女へ戻して、僕を見つめ返す大きな瞳を覗き込んだ。 彼女は聞き返してきたが、もう何も言わない。 身体の支えに使っていたもう片方の腕も千鶴を捕まえる。 そして少し乱暴に、口づけた。 最初は短く、一度離して次に深く長く。 唇が離れるたびに彼女の瞳を見つめてそらさない。 「沖田、さん…」 「――…ごめんね」 僕は君を幸せにはしてやれない、のに。 それでも君がほしいと、願って――ごめん。 |