ふとした仕草がこんなにも愛おしい




――……ここ最近、全くと言っていいほど睡眠を取れていない。
布団に潜って目を閉じ、眠ろうとすればするほど、どんどん冴えてしまうのだ。
結局は諦めて瞼を持ち上げ、外から聞こえてくる様々な音に耳を傾けて時間が過ぎるのを待つ。
そのまま途中で眠ってしまえればいいと思っているのだが、上手くいかない。
昨日も明け方まで風の音を聞いていた。


























「顔色悪いぜ、斎藤」

例によって寝つくことのできなかった日の早朝。
誰もが自分の寝不足に気づいているだろうと思っているところへ、見かねたように原田がそう言ってきた。
それは廊下を歩いていた自分が、前から向かってくる原田に気づかずに正面衝突してしまったからだろう。
謝罪の言葉を述べようとして眩暈を起こし、一瞬とはいえ足元をふらつかせたから。
手を差し出してきて両肩を掴み、支えてくれながら言った。
もちろん支えからすぐに離れた。
平隊士には当然のことながら、幹部にも自分が支えられているのを見られる訳にはいかない。
特に、沖田には。

「…大丈夫だ。すまない」

顔を少し俯かせていつもよりも低い声で、言い損ねた謝罪を述べる。
原田もそれきり何か言ってくることはなかったため、いつも通りに歩きだす。
これから真剣で軽い稽古をするつもりだった。
まだほとんどの者が寝静まっているだろうから、庭の片隅で。
目的の場所まで歩く間に、なんとなく空を見上げてみる。
冬という季節柄、それほど澄んだ空ではない。
気温も低く、吐く息が白かった。
思えば指先が酷く冷えきっている。
視線を手元に向けると、冷えて僅かに赤らんだ指が目に入った。
昔はよくこうして指先や鼻の頭などを冷やし、痛くなったのを堪えながら素振りや稽古をしたものだが。
そういえば最近は、それがなかったように思う。
なぜ、だっただろうか。

(昔から変わらないはずだが…)

久々に手が痛く感じられ、目的地に着いて足を止めてから右手へはあっと息をかける。
腰に差さず左手で持ってきた刀をゆっくり床に置き、その左手にも同じように。
けれど一向に暖まらない。
他の人間が起きる前に一人稽古を終わらせたいのに。
ぐずぐずしていられないと、手を暖めるのを諦める。
床に置いた愛刀、国重を持ち上げて静かに鞘から抜く。
手入れを欠かしたことがない、我ながら綺麗な刀身が輝きを見せる。
自然と笑みを洩らしていた。
鞘を誰かに踏まれぬよう壁の隅に立てかけ、庭へ足を踏み出してしっかりと土を踏む。
また吐いた息が白いのを見つつ、一度国重を正眼に構える。
そして誰もいない目の前の土地に敵を見出す。
例えば永倉、例えば大石。羅刹という存在もいる。
彼らの動きを思い出し、今そこにいるとして意識を集中させた。
深く息を吸い込んで、吐く。
ただひたすら国重を振るう。
易々と斬れぬ、けれど勝てぬ相手ではない人を、斬り伏せようとするように。
――自分はこの瞬間が好きだ。心の研ぎ澄まされる一瞬が。
思い描いた敵は当然隙を見せない。
そのような敵でなければ己の敵ではない。
こちらの一撃と同時に間合いへ踏み込んでくる。
だからできるだけ早く国重を引いて、少しでも後退しながら剣撃を受けとめる。
いや、実際には何も受けとめてはいないから重さはない。
物足りなさが胸の中を満たす。
次の瞬間、架空の敵が揺らいで消えかかる。
偶像はやはり駄目だと、袈裟をかけて斬り捨てた。
雑念を振り払うように国重を振り、はあと息をつく。
そこで初めて近くに気配を感じて些か驚かされる。
縁側を見やれば、国重の鞘を持って腰かける沖田の姿が目に入って。

「――……起きていたのか」

そう声をかけつつ近づく。
いつからそこに、とは聞かない。
一人稽古をしている間に現れたのだろうから。
沖田はいつもよりやや控えめな微笑みを浮かべて鞘を差し出してくる。
有難くそれを受け取って国重を収めた。
すると今度は隣に座るよう促される。
拒む理由もないので素直に従って沖田の左隣に腰を下ろす。
国重をさらに左手に置き、ぼんやりと庭を眺める。

「相変わらず熱心なんだね」

不意に、沖田はそんなことを言った。
彼が自分の稽古を見た時、必ずと言っていいほど言われる言葉。
ならば沖田はいつも不真面目なのかと返してやりたくなる。
そんな訳がないと、自分が誰より知っているけど。

「後で、手合わせしないか」

無意識のうちに願い出ていた。
視線の先は庭へ向けたまま。

「いいよ。……でも、その前にさ」

「ん?」

「手、貸して?」

「…ああ」

横から肯定の答えが返ってきて嬉しく思う前に、次の句。
聞き返せば手を貸せと言われたから、正直に沖田から近い右手をすっと浮かべる。
そこに彼の暖かな手が触れて、引き寄せられる。
かと思えば両手を使って包み込まれた。
予想もしなかった行動に、つい顔が沖田の方へ向く。
大切そうに包まれる己の手に、目をやる。
少し上を見れば、優しく微笑む沖田と目が合った。

「手が暖まらなくて寒かったでしょ?」

と、ちょっとだけ首を傾げてにっこりと。
ここまできてやっと、寒い日には毎日沖田がこうやって手を暖めてくれていたことに気づく。
ああ、だから今日はやたらと寒かったのかと一人納得する。
昨日も一昨日も、朝稽古の前に沖田と会っていたから。
あまり強く記憶していないが、おそらく毎日手を暖めてもらっていたはずだ。
当たり前になっていて気にしていなかったのかも知れない。

「はい、今度はそっち」

ある程度右手が暖まったところで声がかかる。
言われるまま、今度は左手を差し出して暖めてもらう。
小声で「ありがとう」と呟けば、「どういたしまして」と明るく返される。
それきりお互い口を閉ざす。
自分たちの視線は手元に向けられている。
ちらりと沖田を見ると、瞼が少し伏せられているので睫毛がよく見えた。
何故か悪戯してやりたくなる。
いつもやられる側だから、たまにはやってみようか。
手が暖まりきって離されそうになる瞬間を狙い、右手を沖田の背に回して身体を軽く引き寄せる。
抵抗もなく傾いてきた頭の上部、額に口づけを落とした。

「――…は、一くん…?!」

不意打ちに成功して手を離すと、沖田は慌てて身体を引いた。
そして僅かに頬を赤らめながら口づけた額に手をやる。
彼が急に可愛らしくなったように思えてくすりと笑った。

「総司が無防備だったからだ」

「…馬鹿…!」

からかってやると、沖田は案外やられることに慣れていないのだと推測する。
普段見られない彼を見ているようで楽しいし、嬉しい。
きっと自分にしか見せない姿。
恋人の特権だと、今さらのように思う。
クスクスと笑い続けていた自分を見て、突然沖田がほっとしたような表情を浮かべた。
それに気づいて笑うのをやめる。
どうしてそんな安心したような顔をしているのだろうか。
不安に思わせるようなことをした覚えはないのだが。
理由がわからずに無言でいると、沖田はどこか苦々しく微笑む。

「元気なさそうに見えたんだけど…そこまで心配することなかったみたいだね」

独り言のように告げられる。
その言葉は自分の寝不足を知ったうえでのものだと、すぐに理解した。
教えた覚えはないが、やはり悟っていたようだ。
彼に隠しごとはできないなと変な感心をする。

「…すまない」

「なんで謝るの?」

「心配をかけた」

気づいていたのならばと、謝罪の言葉を口にする。
隠していたことも、心配をかけたことも、申し訳なかった。
しかし、沖田はまたも優しく微笑みを見せる。

「いいよ。過ぎたことだし。……これから僕にちゃんと言ってくれれば、いいから」

どこまでも穏やかな声で、言う。
一昔前までの沖田では考えられないほどの穏やかさ。
これも自分が恋人だからかと自惚れる。
今までよりも強く、彼を愛おしく感じた。





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