ほろ苦い口づけを捧げましょう




まだ春の遠い二月の中旬。
自分は白い息を吐きながら、土方の家を目指して歩いていた。
これからすることを思うと自然と歩く足が速くなる。
少なからずわくわくしていた。
手には小さな紙袋が握られていて、そこには昨日作ったチョコが入っている。
もちろんこれは土方に手渡すつもりのもの。
なぜなら今日はバレンタインというイベントの日だからだ。
とは言っても去年まではこんな日に興味などなく、むしろ忌まわしいとさえ思っていたが。
土方という恋人を持って始めて、悪くない日だと思うようになった。
チョコを渡した時の反応を想像するのが、こんなにも楽しいのだから。
どこぞの製菓が考えたと聞くが、今ならよく考えたと褒めてやってもいい。
まあ、自分が偉そうに言えたことでもないのだが。

「…ええと、確かこの辺だったはずだけど」

一番最後に来たのは一体いつのことだっただろう。
どう考えてもずいぶん昔のことのように思えるから、道を忘れてしまうのも無理はない。
必死に記憶を辿りながら道程を思い出す。
確かここで右折したような、と首を傾げながらその道を曲がった。
しばらく歩いた先で無事に土方の家を見つける。
たったそれだけでほっとした。
ズボンのポケットから以前にもらっていた合い鍵を取り出し、なるべく音を立てないように扉を開ける。
家の中はずいぶんとシンとしていた。
そういえば気がかりなことが一つある。
実は今日という日は平日なのだが、土方は学園に出勤していなかったのだ。
なんでも熱を出してしまったのだとか。
事実の程は定かではない。
しかし、やはり心配になる。
話に聞いた通り、学園ですれ違うことがなかったから。

(本当だとしたら――たぶん、寝室にいるよね)

玄関の鍵を閉め直した後、そっと靴を脱いでひとまずリビングに入る。
いつだかにお邪魔した時と同じ風景。
土方の家は相変わらずさっぱりとしていた。
決して余計なものがない訳ではないのだが、きちんと整理整頓されているからそう思えるのだと思う。
とりあえずここに土方はいない。
本当に寝込んでいるのだろうかと、紙袋を持ったまま二階へと移動する。
玄関と同じように音を最小限にしてドアを開く。
窓際に置かれたベッドの中に、土方はいた。
それがわかると同時に複雑な心持ちになる。
熱を出して寝込んでいることは残念だけれど、家を留守にしていたのではなくて安心した。
実際は元気にピンピンしていてくれた方が嬉しいが、それで外出されていたら寂しい。
だから喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなかった。

「土方さん…」

紙袋をベッドの脇に置き、控えめに声をかけてみる。
さすがにこれで起きることはない。
それだけ深く眠りについているのだろうから、無理もない。
どうしようかと悩んで、苦しそうな表情をした土方の額に浮かぶ汗が目に入る。
拭ってやろうと考えて一度その場を離れた。
一階に引き返してタオルのありそうな場所を探す。
何度か訪れているのだから大体の予想はついている。
難なく目的のものを見つけ、もう一度土方の部屋へ戻った。
そしてまだ目の覚めていない彼の額を丁寧に拭いていく。
すると土方の眉が少しだけひそめられた。
目覚める兆しだと察してタオルを持ったまま手を離す。
ゆっくりとした動きで瞼が持ちあがる。
数回瞬きをして目があった。

「……おはようございます」

「…ああ、総司か…」

軽く言葉を交わすと土方が息を吐きつつ右腕で顔を覆う。
情けないとでも言うような仕草だ。
気にせず体調を問うと、存外悪くないという答えが返ってきてほっとする。
だが、食欲はまだないらしい。
お粥でも作りましょうかとさらに聞いてみた。
少しの間をおいて土方の首が左右に振られる。

「何も食う気にならねえ」

面倒だと言うように呟く土方。
その様子におそらくしばらく何も口にしていないのだろうと予想した。
当然それではいけない。
早く治すにも栄養を摂ってもらわなくては。
視界の隅にベッドの脇へ置いておいた紙袋――チョコが入った。
せめてこれだけでも食べてくれれば。
何も食べないよりマシだろうか。
紙袋をひょいと持ち上げてガサゴソと漁る。
耳に届く音を不審がって土方が右腕を顔から退けてちらりとこちらを見やる。
しかし何か言うことはない。
小さな疑問を解決するのに問いかけをする元気などないからだろう。
不意を打ちたくて土方から見えないようにチョコの箱を開封し、一番小さい粒を口に含む。
口の中で噛み砕き、体温で溶かす。

「…ちょっといいですか」

口内で液体になりかけているチョコを飲み込まずに、土方の名前を呼ぶ。
向けられた顔に自分の顔を近づけ、迷わず唇を重ねる。
驚きに土方の目が見開かれた。
けれど抵抗はない。
それに安心して僅かに舌を出し、彼の唇を突く。
微かに開かれたそこへ溶かしたチョコを流し込む。
こぼれてしまわないように、ゆっくりと。
途中で土方が顔をしかめたが、口の中からチョコがなくなるまでキスをやめることはしなかった。
やがて口を離すとチョコを飲み下して彼の喉仏が上下するのを目にする。
ちゃんと飲んでくれたことに一安心した。

「おい、総司」

が、顔をしかめたまま名前を呼ばれてまた少し不安になる。
気に入らなかっただろうかと思いながら相槌を打つと。

「このチョコ、ずいぶん苦いな。ビターか?」

という問いがされて肩から力が抜ける。
自分は苦いのが得意ではないから、口移しするまでかなり苦い思いをした。
だが土方は甘い方が苦手だと聞いていたから。
だからビターチョコにしたのだが。

「気に入りませんでした?」

わざとらしくしょんぼりとして見せて、聞き返す。
ベッドの端に両手をついて土方の顔を覗き込むような体勢をした。
そうすれば引き寄せられて抱きしめてくれると知っていて。
思った通りに抱き寄せられては熱があるのも構わずにぎゅっと抱きつく。
顔をピッタリと寄せれば高い体温を感じられた。
今夜はつきっきりで看病すると勝手に決めている。
先程は食欲がないと言っていたが、後で粥を作って食べさせよう。
誘われるままベッドの中に入る。
さすがに布団が汗で濡れて湿っぽかった。
気持ち悪いのを堪えて土方の顔を見上げる。
やっと見せてくれた微笑みでただ一言。

「最高のキスだったな。…気に入ったぜ」

そう囁き、髪を撫でながら優しくキスをしてくれた。





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