それが初めてもらった名前だから




雨の中、あの猫を連れ帰って来てから二週間後。
猫はすっかり家へ住みついてしまった。
とはいえ追い払う理由もないため、そのまま住まわせている。
元々一人暮らしだったのもあり、小さな同居人ができて少し嬉しいような気もした。
いや、正確には同居人ではなくて同居猫だが。
ともかく突然増えたこの同居猫のために、数日は使ったと思う。
これから先呼びかける時のために名前もつけた。

「総司――またこんなところで寝ていたのか」

ホットコーヒーの入ったマグカップを手に台所からリビングへ戻ってきて、ソファで丸くなっている同居猫――総司の姿にため息をつきながら呟く。
総司はあの雨の日から二日後くらいに熱を出してしまった。
それも高熱なうえに治りが遅かったため、あまり身体は丈夫ではないのだろうと思っている。
だから身体を暖めもせずにソファなどで寝ていることが心配なのだ。
マグカップをテーブルに置き、足早にブランケットを取りに行く。
そして総司の元へ戻ってきてはそれをかけてやりつつ声をかける。

「こら総司、寝るなら暖かくしろと何度言えば…」

「――…にゃ……じめ、くん…?」

身体を包むようにしていると、総司が目を覚ます。
眠たそうに目をこすっている。
その仕草が少し可愛らしくて思わず笑みをこぼした。
ソファに座るのは諦めてすぐ横の床に腰を下ろす。
テーブルに置いたマグカップを手にとって口をつけ、一口分だけ飲み下す。
ふと、総司がブランケットにくるまった状態でこちらを見ているのに気づく。
どうやらもう一度寝る気になれないらしい。
耳が少し動いていた。
きっと尻尾も僅かに振られていることだろう。
隠れてしまって見えないが。
手を総司へ伸ばしてそっと頭を撫でてやる。
心地よさそうにしているのを見つつ、穏やかな時間を感じていた。
――不意に、インターホンの鳴る音が微かにしたような気がして顔をあげる。
ちらりと総司へ視線を戻せば、彼もまたその音を聞き取っていたようだ。
耳が玄関の方へ向けられている。
来客を確信して立ち上がったところで気づく。

(そういえば、平助が来るとか言っていたような…)

記憶の海で引っかかるものを見つけ、それではっきりと思い出す。
ほぼ完全に忘れていた。
総司を飼い始めたと報告した折、一度姿を見たことのある藤堂がもう一度見たいと言い出したのだ。
興味深い存在であるのは否定しないが。
自分の家で住むことになる前から極力己以外に姿を見せないでいた総司が、藤堂と会うのだろうか。
物陰に隠れてしまう気がする。
まあその時はその時で考えようと思い直し、玄関のドアを少し開けた。
予想通り、そこには藤堂がおり――加えて原田の姿もあった。
こちらは予想外だ。
無意識のうちに眉間へ皺を寄せてしまう。
そんな自分に気づいてか気づかずか、いつもの調子で藤堂が軽い挨拶をしてくる。
続けて原田も同じような挨拶をした。

「一くん、邪魔しても大丈夫?」

ドアの隙間から家の中を覗き見しようとしながら、藤堂が問いかけてきた。
次に口を開いたのは原田。

「俺まで来ちまって悪いな、斎藤。お詫びに菓子を買ってきたからよ、邪魔させてくれ」

そう言って今までこちらからは見えていなかった、白い箱を掲げる。
瞬時にケーキか何かだろうかと推測した。
とにかく、以前約束をしていたのだから二人を帰す訳にはいかない。
帰れと言ってしまいそうになるのを堪え、ドアを開けてやった。
藤堂を先にして二人が中へ入っていく。
家が騒がしくなるなと思い、肩をすくめて失笑した。
ドアを閉めてしっかりと鍵をかけると、自分もリビングへと引き返す。
最初に目に入ったのはソファの上で身を起こし、中途半端にブランケットを被ったままの総司が藤堂に対して威嚇している姿だ。
やはりというかなんというか。
原田はその一人と一匹の様子を少し遠巻きに眺めている。
来訪者二人のために飲み物でも用意してやろうと台所へ向かうと、藤堂が大声を張り上げて呼びかけてきた。

「なあちょっと一くん!こいつ、オレのこと引っ掻こうとするんだけど!」

一度会ったのに!と叫び声が続くのを耳にする。
すぐに原田がそんな藤堂を宥めているのが聞こえた。
両手に来客用のコップを持って二人と一匹の元へ戻る。
同時くらいのタイミングで総司が叫んだ。

「僕はこいつ、じゃにゃい!」

突然大声をあげた総司に藤堂も…いや、自分も驚く。
どうも怒っているようだ。
覚え途中の人間言葉を駆使して何かを訴えようとしている総司に、自分たちが首を傾げる。
少しして原田が気づいた。
自分もあることに思い当たって藤堂の肩を軽く叩く。

「平助、名前で呼んでやれ。――"総司"だ」

「へ?名前?…そうじー」

こちらを振り返った藤堂が不思議そうに総司の名前を繰り返す。
もしかしたら怒っているのはそれだけではない気がするが、マシにはなるだろう。
しかし。

「………やっぱ、やだ。呼ばないで」

容赦なく嫌そうな顔をし、総司はそっぽ向いてしまう。
それを見て藤堂が不満げな声を洩らし、原田が苦笑しながら「嫌われたな」と呟く。
ゆっくりと自分が総司へ近づき、背中を優しく撫でる。
小さく「にぅ」と鳴いて膝の上に飛び乗った。

「ずいぶんと斎藤に懐いてんだな」

出したブラックコーヒーに口をつけた後で、原田にそう言われた。
我ながら不思議だが、確かに自分は思ったよりも総司に懐かれているらしい。
機嫌を僅かながら直した総司が膝の上で体勢を変える。
テーブルの方を向き、原田がお詫びにと持ってきた菓子に興味を示していた。
それを取って開けてやると、中にシュークリームが入っていたのでほんの少しだけ分け与える。

「…どうしてだかは俺にもわからん」

美味しそうにシュークリームの皮を頬張る総司を眺めながら、原田に答える。
本当に不思議なものだ。
特に恩がある訳でもないだろうに。

「つか、いつの間にしゃべれるようになったんだよ」

同じくシュークリームを食べ始めた藤堂が思い出したように口を挟む。
つい最近だ、と返してすぐに再び原田が聞いてきた。

「そういやさっき気になったんだが、どうして"総司"なんだ?」

「あ、それオレも気になる」

「――…」

名前の由来を問われ、返答に困ってしまう。
もちろんなんの考えもなしにつけた名前ではない。
かと言って真面目な由来である訳でもなく…正直、言うのが恥ずかしくて躊躇われた。
どうしようかと悩んだ挙げ句、しつこく問い続ける藤堂に負けて言うことにする。

「俺が拾う前、どうやら総司はよく近所の掃除を邪魔していたらしく…いい名前も思いつかなかった故、"総司"とつけただけだ」

いつもより小声で細々と説明し、藤堂と原田から視線をそらす。
間を置いて「それだけ?」と藤堂の声がして頷く。
それ以上にもそれ以下にも理由などない。
やはりというべきか、藤堂が弾けるように笑いだした。
顔が恥ずかしさで熱くなるのを感じながら視線を戻すと、原田までもが肩を震わせて笑いを堪えていて。
その後しばらく、笑われっぱなしになり。
つけられた名前を笑われた総司も尻尾の毛を逆立てて怒ったのだった。





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