夢から逃げて




ふと気がつくと、自分は辺り一面に降り積もった純白の雪の中にいた。
どうしてここにいるのか、いつからいるのかわからない。
それ以前に、この雪の中の前にはどこにいたのだろうか。
わからない。
――…わからないけれど、確かなのは。

(ここには俺しか、いない…)

身動き一つもせぬまま、辺りの景色だけを呆然と見つめ続ける。
そうすることで何かが変わる訳じゃない。
けれど眩しいまでに綺麗な雪は、この自分の意識をとらえて離さないのだ。
まるで死人のそれのように冷え切った、己の身体。
生きていることを示すように温かい血までもが、凍ってしまいそうなほどに寒い。
なのに震えることもしないこの身体は、一体どうしてしまったのだろう。
やっぱりわからない。

でも。





どうしてこんなに、泣きたいという衝動に駆られているのだろう?










思い出したように自分の右手を見つめてみる。
生気を感じさせない真っ白な手。
この手で刀を握り、数多くの命を奪ってきた。
独眼竜と恐れられて奥州の王と崇められて。
父親や弟の屍を越えて、一体自分は何を得た――?

『…政宗様』

頭の中で声が響く。
それが誰のものだったか、思い出せない。
大切な…大切な、守りたいと思ったもの。
頬を一筋の涙が伝う。
なんで泣いているのだろう。どうしてこの涙はこんなにも温かいのだろう。
歯を食いしばって目をきつく閉じる。
心の底から溢れてくるこの哀しみはなんなのだろう。
どうしてもわからない。答えなんてないのかも知れない。

わからないまま、目を開けてみれば――そこに純白の雪なんて消え去っていて。
代わりに、おびただしいほどの死体の山があった。
視界を占めるのは白ではなくて、深紅。
鼻をつく腐臭なんて気にせず、数えられないほどの死体たちを眺めた。
一番手前に、誰よりも慕っていた父親の姿を見つける。
その奥に弟の小次郎。周りには斬り殺してきたどこかの兵たち。
恐怖に顔をひきらせる。これは悪夢か何かなのだと自分に言い聞かせる。

「政宗…さ、ま…」

今度は頭の中ではなくて、直接耳に声が届く。
名前を呼ばれた方向へ目を向ける――

「こじゅ…ろ、う……?」

瞳に映ったのは屍の中に倒れた愛しい重臣。
彼はゆらりとその場で立ち上がったが、その目に光はない。
酷いとしか言いようがない腐臭を漂わせている。
どうして彼が、死人に?
心の中で疑問を呟くも、答えは浮かばない。
のろい足取りで近づいてくる小十郎。
思わず自分は一歩後ろにさがった。
それを見て、小十郎が光のない瞳でこちらの顔を見つめる。

「どうして逃げるのですか」

くぐもった声で問うてくるが、それに答えようとしても声がうまく出ない。
代わりに小さな悲鳴がこぼれた。
首を左右に振り、拒絶の意を示す。
もう一歩、またもう一歩と小十郎とは反対の方向へ逃げていく。
途中で何かに足を取られて転倒しそうになる。
慌てて足元を見れば、死体の一つが己の足を掴んでいた。
小十郎と同じように光のない目がこちらを睨む。

「――逃げるなんて…らしくねェなァ?梵…?」

それは小十郎と同じくらい幼い頃から一緒にいる、従兄弟の成実。
恐怖のあまり勢いよく成実の手を蹴り払い、なおも近づこうとする小十郎から逃げる。





「――…ぃ、やだ…!!!」






























「…政宗様、いかがなされた?」

すぐ近くで名前を呼ばれてはっとする。
顔をあげて小十郎と目をあわせ、一瞬慌てたが――すぐに彼が生きている人なのだと理解して安堵の息をつく。
自分の周囲をぐるりと見回してみる。間違いなく自室だった。
未だ恐怖を抱えながらも、今までのものが全て夢だったのだと安心する。
本当に嫌な夢だった。
心配そうにこちらの顔を覗いている小十郎に、縋るようにして抱きつく。

「ま、政宗様?」

困惑した声で再び名前を呼んでくる小十郎。
目を閉じて彼の温もりを感じ取りつつ、このままでいさせてくれと呟いた。





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初出:2009/10/13





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