ほんの些細なことであっても重大で
いつもはのどかな薄桜学園の昼休み。 そのはずが、今日だけは違っていた。 晴れの日には自分に斎藤と藤堂、雪村の四人で学園の屋上へ行って昼食を食べる。 主に藤堂と雪村を中心として談笑しながら時間を過ごす。 なので決して静かではなく、特別騒がしい訳でもない。 だが、今日は珍しく自分が話しっぱなしでいた。 なぜかといえば。 「目玉焼きって言ったら醤油でしょ?」 「ああ…そうだな」 「うん、一くんならそう言ってくれると思った。――…でも、千景はソースかけるんだよ」 恋人の風間と言い争った内容について、同意を求めていたから。 同棲をしている自分たちは当然食事を共にしている。 今朝もそれは変わらず。 しかしその朝食で揉めたのだった。 お互いに譲る気は毛ほどもなく、ついには決着がつかずに登校してきた。 つまり未だ喧嘩をしている最中。 自分が間違っているとは思えないため、こうしているとも言える。 「ありえん。目玉焼きには醤油しかない」 登校途中にコンビニへ寄り道して購入した菓子パンをかじりながら、投げかけた問いを全て斎藤が肯定してくれるのを嬉しく思う。 その横で藤堂は紙パックの野菜ジュースを飲んでいた。 さらに横には雪村が困ったような顔で黙っている。 「…オレは目玉焼きにソースでもいいと思うんだけどなー」 不意にそう声を洩らしたのは藤堂。 思わず彼を容赦なく睨みつけた。 次いで身を乗り出し、ずいっと顔を近づける。 間近で冷たい視線を注ぐ。 すると藤堂はまるで蛇に睨まれた蛙のように、怯んで身をすくませた。 隣にいる雪村までもが怖々とした目つきでこちらを見つめる。 控えめに名前を呼ばれても、気にもとめない。 弁当の上を横切られていた斎藤に「食べにくい」と文句を言われてやっと元の位置に戻ったが。 「僕も洋食は好きだけど、でも……とにかく、これだけは譲れない」 また一口菓子パンをかじって呟く。 今までも意見の違いで口論をしたことはある。 だが、こうまでムキになったのは初めてかも知れないと他人事のように思う。 理由はきっと、風間に否定されたから。 ほんの一部にすぎないだろうが、自分を否定されたようで少なからず悲しかったのだ。 しかも目玉焼きだけではない。 朝食の主食はご飯かパンか。 飲むのは緑茶かコーヒーか。 味噌汁の具には何を入れるか。 サラダにかけるドレッシングは何か。 そんな些細なこと。 けれど自分にとっては大きなことに思えて。 だから僅かにでも認められようと必死になっている。 我ながら子供じみていた。 「総司」 カタ、と小さな音を立てて箸と弁当箱を片づけながら斎藤が呼びかけてくる。 藤堂に反対されて黙り込んだから、心配でもしてくれたのだろうか。 声を発することはせずに目線だけを彼へ向けた。 「俺たちに意見を求めたり不満を並べたてるくらいなら、直接本人に言ったらどうだ?」 ため息のついでに発言したという感じでそう告げられる。 視界の隅で藤堂がしきりに頷いているのが見えた。 それに少しムッとしたりもしたが、ここは我慢しておく。 残り一口サイズとなった菓子パンを口に放り込み、脇に置いてあったペットボトルの水を手にとって一気に飲み干す。 空になったそのペットボトルはその場に置き直して立ち上がった。 また雪村が名前を呼んだ。 どこに行くのかと聞きたそうな顔で。 …もちろん、風間のいるところへ向かうつもりだ。 いつまでも喧嘩し続けているのは愉快じゃない。 それをどうにか解決させるために。 だがわざわざ教えてやるほど親切でもないので、黙って三人に背を見せる。 斎藤辺りが代わりに説明してくれるだろうと思い、屋上を去るために歩きだした。 ――が。 「――…やはりここにいたか、総司」 「あ…千景……」 校内へ戻る扉の前に、恋人はいた。 腕を組んで仁王立ちしているから、どこか威圧感がある。 久しぶりに見た今朝の冷たい眼差しを思い出して、心臓の鼓動が少し速くなる。 たった今放たれた声にも、重さみたいなのを感じていた。 まだ怒っているのだろうか。 そんな自分などそっちのけで風間はもっと遠くを――斎藤たちを、目を細めて睨んだ。 「相も変わらず、あの三人と仲がいいのだな」 明らかに普段よりも不機嫌で、低いトーンの声。 そして今の言葉は馬鹿でもわかる。 たっぷりと皮肉をこめて言ったのだ。 にしてもそこまで不機嫌にならなくても、と頭のどこかで考える。 何をそこまで怒っているのだろう? 「まあいい……総司、今すぐ生徒会室へ来い」 どうしていいのかわからずにいると、風間がそう告げた。 元よりそのつもりだったのだから、反抗することもなく後に続いて生徒会室へ向かう。 昼休みが終わるまで、あともう少し。 そろそろ予鈴が鳴ってもおかしくない頃に、生徒会室で風間と二人きりになった。 無意識にそわそわとして落ち着かないのが自分でもわかる。 やたらと視線を泳がせては頻繁に風間の姿が目に映って意識してしまう。 何か話を切りだしてくれないと、困るのだが。 「…今朝のことだが」 しばらく待っていたのち、やっと風間の口が開いた。 一般的に校長が座っていそうな椅子に、腰かけている。 自分も適当な場所へ座ろうとした。 「総司、こっちに来い」 座ろうとして、声がかかる。 彼の方を見れば手招きされたので一瞬戸惑ったが、とりあえず近づく。 素早く腕が掴まれた。 そして抵抗をする前に引かれ、突然のことにバランスを崩した身体が風間の方へ倒れる。 覆い被さるようになり、すっぽりと腕に収まった。 今まで厳しいオーラを纏っていたはずの風間だが、それを忘れさせるようにぎゅっと抱きしめられる。 互いの顔は見えない。 「今朝はすまなかった。ついきつい言い方をしてしまったが……許せ」 「千景――…」 彼には見えないとわかっていながら、ふるふると首を左右に振る。 同じくらいきつく抱きしめ返した。 「その…僕の方こそ、ごめん。僕自身が否定されたみたいで悲しかったから、本気になっちゃって」 もうすっかりいつも通りの優しい雰囲気を漂わせた風間に安心し、ポツリと本音をこぼす。 背中をそっと撫でられる感触がした。 頭を少し離して風間と見つめあう。 引き寄せられるように顔が近づき、キスを交わす。 そのまま五時間目の授業が終わる頃まで、自分と風間が生徒会室から出て行くことはなかった。 |