非現実的な時間と言葉に惑う

斎藤羅刹化自己像幻視

























苦しかった。
ずっと、苦しかったのだ。
羅刹の身になってからたびたび訪れる衝動。
それは耐えれば耐えるほど、より強烈なものになっていく。
なんとも言えない渇き。
息をすることさえ難しくなって、解放を求めて喉を掻く。
無駄だと悟りつつも、本能的にそうしていた。

苦しい。苦しい。

あの妖しい輝きを持つ紅い液体を飲めばどうなるかわかっていたけど。
経験していなかったあの頃の自分は、この衝動を少なからず甘く見ていたのではないか。
いや、最初の方こそは予想していた程度の苦しみで済んでいた。
二ヶ月が過ぎた辺りから雪村に譲り受けた薬を服用し、抑えつけてきた。
だから気づけなかったのかも知れない。
徐々に耐えがたいほど強く激しい衝動になっているのを。
嗚呼いっそのこと死んでしまえたら楽になれるのだろうか、と馬鹿なことを考える。
いくら勝算の少ない戦いでもこんなこと思わなかったのに。
たかが吸血衝動に負けそうになるとは。

(…っ、こんなことを、考えていられる、だけ…まだ、いい方か……)

ぜえはあと荒い息を繰り返し、誰もいない夜の個室で必死に衝動が終わるのを待つ。
そうしながらまだ意識がある自分を少しだけ褒めた。
昔からその辺にいる人間より我慢強いとは思っている。
こうして目に映るものが畳だと認識できるだけ、まともではないか。
にしても今回はやたらと長い。
呼吸が微かにできているだけいいが、それが完全に不可能となれば死ぬ。
もしくは意識を失い、羅刹として誰かの血を啜りに行くのだろう。
どちらも勘弁してほしい。

「うっ、ぐ…!」

喉を掻くあまり、爪で肌が傷つけられてとうとう血が滲んだらしい。
自分の血の匂いが、やけに鼻についた。
墓穴を掘ってしまったかと舌打ちしたい気分になる。
服の袖で鼻を覆い隠し、甘い香りを吸わないようにしてから身体を倒す。
座るのも辛かった。
助けてほしいと思う反面、来てくれた人を襲ってしまいそうな己が怖くて誰も来ないでくれと願う。
とにかく、早く過ぎ去ってしまえ。
そう思う他ない。
心臓の辺りを服の上から握りしめる。
誰でもいいから、殺してくれ。
羅刹という闇へと堕ちた自分を。















不意に小さな足音が聞こえた気がして顔をそちらに向ける。
いつの間にか襖が開けられており、なんとか霞んだ視界に何者かの足が見えた。
誰だろうと思いはしたが、考えることなどできない。
ただ、どこかで見たことあるような。

「――苦しいか?」

この部屋の中へ足を踏み入れながら、何者かが問いかけてきた。
声もまた、聞き覚えがあるような気がする。
でも誰だかわからない。
知っているのに。
視線を上へ向けるのもできない。
こちらへ近づいてくるのを感じ取りながら、呼吸を懸命に繰り返す。
すぐ目の前まで足が近づいた。

「死んでしまえたらいいと思っているだろう?……斎藤一」

名前を呼ばれたその瞬間、錯覚を感じる。
今の言葉が自分の言葉に思えたから。
しゃべった覚えなどないが、名前を呼んだあの声は自分の口から放たれるべきもの。
――こいつは誰だ?
刀の抜かれる音がして、目と鼻の先くらいの位置に突き立てられる。
宵闇の中で刀だけが眩しい輝きを放つ。
目が焼かれそうだ。
耐えられなくて目をきつく閉ざす。
喉で笑う音が頭上からした。
それも自分の声で。
もちろん自分は笑ってなどいない。
こうして衝動を抑え込もうとしているので精一杯なのだから。
むしろ呻き声しか紡いでいなかった。

「苦しいのだろう、辛いのだろう?――…ならば、死んでしまえばいい」

言葉と共に畳へ刺さっていた刀が抜かれる。
だが黙って殺される訳にもいかない。
力を振り絞って身体を転がす。
勢いに乗せるように起き上がった。
自力で立つことは叶わないため、壁に寄りかかってはいるが。

「あんた……」

初めて自分の口から声を出す。
対峙しているのは"自分"そのものだった。
予感はしていたが、やはり驚きが隠せない。
しかも吸血衝動を引き起こしている己と同じ、白い髪に赤い瞳。
きっと眼前の"自分"は完全な羅刹としての自分なのだろう。
背筋に悪寒が走る。
はっきりとした殺意を感じるから、彼は自分を殺す気だ。
目的はわからない。
死んでしまっても構わないと思った報いとやらだろうか?

「…生気を取り戻したな。死ぬ気を失ったのか」

「俺は…、まだ死ぬ訳にいかない」

自分の置かれているこの状況がいまいち理解できないが、殺される訳にはいかない。
刀に手をかけた瞬間、あの衝動が失せていくのを感じた。
そして"自分"との違いができる。
向こうは白髪赤目。
こちらはいつもの暗い紫の髪に、蒼の瞳。
吸血衝動さえなければ相手が羅刹だとしても勝ち目がある。
敵対心を向けられているからには、戦わなくてはならないだろう。
が、しかし。

「あんたには支えるべき人間がいるだろう。…もう二度と、死ぬことを考えるな」

そう言って"自分"が刀を収める。
と同時に身を翻して闇に溶けるように消えてしまった。
ほんの僅かな、夢幻(ユメマボロシ)。





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