不器用な看病でも、愛おしかった
残りの命がどれほど少なかろうと構わなかった。 今この瞬間に灯火が消えてしまっても構わないと。 元々自分は明日をも知れない毎日を生きてきたのだから、命を奪うかも知れない対象が浪士から死神に変わっただけのこと。 なんのことはない。 ――…だが決して、己の命を粗末に扱っている訳ではなく。 むしろその反対ともいえる。 生き長らえられるのなら、生きたい。 ただ、死することに恐怖を感じていないだけ。 愛しい人がいるというのに、死にたいと思うはずがない―― 「ん…」 ぱちっと目を瞬かせて夢から覚めた。 夢、とは言っても内容など何も覚えていない。 もしかしたら見てもいないかも知れない。 けれどなぜか、夢を見たような気がした。 でもそれは楽しくて明るいような夢ではなく、寂しい暗い夢だったような気がする。 このなんとも言えないもやもやとした胸の感覚がその証拠。 (生きてる……よね、僕) 起きてから身動き一つせずに天井を凝視する。 それまで気にしたことのなかった呼吸を、今は強く意識していた。 心臓が動いていることを実感し、それに安堵する。 まだ、自分は生きている。 (――?) 不意に己が寝ている布団の左側に、何かの気配を感じた。 否、おそらく起きる前からそこへ存在していたのだろう。 顔を少し横へ傾け、それを見やる。 胡座をかき、腕を組んで少し俯いて座っている風間の姿があった。 彼は今の自分にとって"生きる意味"を与えてくれる人物。 最初で最後の恋人。 どうやら座ったまま眠ってしまっているらしい。 ほんの僅かに身体を揺らしてはいるが、こちらに声をかけてこないのだから間違いない。 さらに視線を動かして状況を把握しようとする。 空の色は朱。色合いからして夕方。 その他、風間のすぐ横に小さな桶と手拭い…盆もある。 盆の上には湯のみが一つと薬包紙がいくつか。 後は屋内に変化がない。 次いで自分の身体が思ったより汗ばんでいないことに気づく。 治ることのない病に冒されてから、寝起きは必ずといっていいほど汗だくなのに。 そうでないということは。 (看病…してくれたのかな) 再び風間へと視線を戻して「らしくないことをするなあ」などと考える。 自己中心的で俺様な、あの風間が。 可笑しくなってつい笑みをこぼすと、風間もまた声を洩らす。 眠りから覚めようとしているようだ。 起きていたのに起こさなかったと言われるのがなんとなく嫌で、重たい手を動かして彼の膝を軽く叩く。 「風間、風間。――…あ、えーと……千景、起きて」 恋仲になってから苗字で呼ばれるのを極端に嫌うことを思いだし、慌てて名前を呼び直す。 しばらく声をかけ続けてやっと風間が覚醒した。 開かれた瞳には疲労の色が見える。 微かに「総司」と名前を呼び返された。 「…身体の調子はどうだ」 「え?――うん、結構楽かな」 起きたかと思えば早々に質問をしてきたので、些か面食らう。 こちらから看病をしてくれたのかと問うことはやめておいた。 彼のことだ、素直に認めるのが癪で無理矢理なことを言ってでも否定するはず。 療養の身となる前は敵同士だったために彼のことなど全然知らないが、これだけは察しがつく。 だから問いに答えを返しただけで口を閉ざした。 風間もまた返答を聞いただけで黙り込む。 相手とは恋仲という関係なのに、どこかでまだ一線を置いている気がする。 それは自分だけが感じているのだろうか? 実際、そういう関係になってからほんの一ヶ月と少し。 いちゃつくような親しさになるには早いのかも知れない、が。 自分に残された余生を、彼のために使いたいと思うことは悪いことだろうか。 少しでもいい、恋人らしいことをしたい。 一族の繁栄より想いを選んだ、彼のために。 (――そういえば…) 黙り込んで真剣な表情を浮かべながら何かを考えている風間をよそに、ある事柄を胸に引っかけた。 なぜ彼は雪村より自分を選んだのだろう? それまでに好意を寄せていてくれたとは思えない。 いつの間に男である自分を好いたのか。 気になりだしたら聞かずにはいられなかった。 「千景」 「ん…なんだ」 「どうして僕じゃなくて千鶴ちゃんを選ばなかったの?」 思ったよりも低く落ち込んだような声が出た。 問いかけた後で答えを聞くのが恐ろしくなる。 風間は軽く目を見開いたが、すぐにいつもの表情をした。 「総司が、見ていられなかった。それだけだ。……あの時はな」 淡々と言い放ったようで、やや暖かみのある言葉。 すぐにそれが偽りではなく本心だと見抜けてほっとする。 「じゃあ、今は?」 「ただ傍にいたいだけだ。一族など俺には関係ない。俺は俺、はぐれ鬼で構わぬ。――…それより、」 問いを重ねてみれば、口を挟むのを許さないというように一息で言いきられる。 最後の一言で、薄く笑みを浮かべていた。 身体を起こすのを手伝ってもらい、傍にある手拭いでやや乱暴に首元や額の汗を拭われながら「腹は空いているか」と聞き返された。 自分でできると手拭いを半ば奪うように取り、風間から視線をそらす。 空いた、と小声で返せば立ち上がった彼が無言で部屋を出て行く。 一体なんなのだろうと呆気にとられた。 首を傾げつつ上半身を起こしたままでいると、しばらくして新たな盆を手にした風間が帰ってきて。 そこには湯気の立ちのぼる粥を入れた容器が乗っていた。 まさか食事を用意してくるなど思わず、どう反応していいのかわからなくなる。 目の前にいるこの人間、いや鬼は本当に風間千景なのか。 「……僕は夢でも見てるのかな。千景がいろいろしてくれるなんて…変」 ついついそう言葉を洩らすほど、不思議で仕方ない。 だがさすがに風間が顔をしかめた。 先程と同じ場所に腰を下ろしながら、不服そうに唸る。 細められた目で見つめられて言いすぎたかと内心焦った。 「配偶者を気遣うのは当然のことだ」 粥を盆ごと差し出しながら少し拗ねたように言う風間。 怒ってはいないようで安心する。 ごめんと苦笑混じりに謝って盆をそのまま受け取り、匙を手にとって粥をすくい上げる。 湯気がすごい。猫舌な自分にはまだ食べられそうにもない。 ふうふうと息を吹きかけて冷まし始めると、横から寄越せと声がかかって匙を奪われてしまう。 奪った張本人である風間は身を乗り出した。 ということは、つまり。 「ほら、俺が食べさせてやる。口を開けろ」 「ちょっ…いいよ、自分で食べられるから!」 匙を容赦なく口元へ近づけてくる彼に戸惑う。 思わず顔を背けて抵抗したが、風間がそれで諦めるはずもなく。 結局自分が折れた。 おずおずと口を開いて粥が入れられるのを待つ。 満足げに微笑んだ風間は一度匙を引いて冷ましてくれた後、口の中へと粥を運んでくれる。 そうしながら「こんなことをしたのは総司が初めてだ」と言われた。 慣れないことをするのがどうも楽しいらしい。 風間が楽しいと思えるならいいかと思ってしまうあたり、自分も彼への想いが強いのだろうと思う。 だからこそ、もう少し生きたいと願う。 どのみち彼を一人残して逝ってしまうことに変わりはないが、それでも。 一分一秒でも長く傍にいられたら。 「――…千景、ありがとう」 食べられるだけ粥を食べ、ずっと用意したまま放置されていた薬を飲んだ後で呟く。 自然と感謝の言葉が口をついて出ていた。 いきなり礼を述べられた風間は一瞬だけ怪訝そうにしたが、すぐに察したのかふっと笑みを洩らす。 「礼などいらん」 優しくそう言った彼と初めての口づけを交わした。 |