君の悲しむ顔が見ていられなかった




ある雨の日のこと。
自分は目の前に立つ友人の言葉が信じられないでいた。
何度も自らの耳を疑った。
思わず聞き返すも、返ってくる言葉は同じ。
少なからず自分が想いを寄せていた雪村千鶴と交際している、と。
その言葉が、事実が、頭の中をぐるぐると回る。
親友とも呼べる間柄にあった彼が、あの雪村と交際を始めた。
一体いつから?
自分が想いを寄せていることを、彼は知っていたはずなのに。
――裏切られた。
頭の中はそれでいっぱいになった。
同時に悔しさが込みあげてくる。
唇を強く噛みしめ、彼に何も言わずに踵を返す。
大股でその場を去った。
とにかく友人のいる場所から離れたかった。




◇   ◇   ◇










「…っ…」

知らず知らずのうちに走ってきていたらしい。
足を止めてから息があがっていることに気づく。
歩道の片隅に立ち尽くす自分に、雨は容赦なく降り続ける。
だがそんなことも気にせず、しばらくの間ぼんやりと走っていく車や歩いていく人々を見つめていた。
身体から体温が奪われていくのを感じられたが、そんなことはどうでもいいと思えた。
どうしてここまで落ち込んでいるのだろう。
雪村を奪われたことも悔しいし悲しい。
しかし何よりも友人に裏切られたことがショックだった。
自分が想いを寄せていると知って、わざとやったのだろうか。
それともすでに彼が彼女を好きでいて、隠していた…?
なんにせよいいように泳がされたような、踊らされたような気がして不愉快だ。
気づけなかった自分に苛立ち、次第に表情を険しくする。
あれこれと考え、行き着いた結論にうなだれる。
結局何もかも、自分が悪いような気がしてきた。
寒さに身を震わせ、これ以上雨に打たれていては風邪を引いてしまうとわかっていながらも、動けずにいた。
もうどうなってもいいとさえ思った、その時。

「――…にゃー…」

微かに猫の声が聞こえてきた。
空耳かとも思ったが、聞き慣れたその声にあの猫が近くにいることを疑えず。
至るところに視線を向けて猫の姿を探す。
すると街路樹の根本にある茂みの中から、猫は現れた。
心なしか、切なげな表情に見える。
真っ黒の耳がペタンと倒れているからかも知れない。

「こんなところまで来て…どうした?」

ここはこの猫を普段見かける地域からは離れている。
相も変わらず自分を追ってきたのだろうか、と心の隅で思った。

「…にゃ、……にゃぁ」

自分と同じように雨にずぶ濡れとなった猫がとてとてとこちらにやってきて、足元で鳴いた。
そして頭を擦り寄らせてきたので、ひょいっと抱えあげる。
見つめあうような姿勢で抱くと、一瞬だけ猫が嬉しそうな顔をした。
が、すぐにまた切なげなあの表情に戻ってしまう。
何かを心配しているようにも見えた。
さすがに猫を雨に打たせたままにすることは気が引けたため、抱きかかえたまま足早に歩き出す。
雨のしのげるような、屋根のある場所を探した。
その探して歩いている最中、何度か猫が鳴いたのを覚えている。
近くにあったマンションの駐輪場で足を止め、猫を下ろそうとするが。
なぜか猫は離れようとしない。
やや大きな声で鳴き、嫌がられた。
仕方ない、と呟いて抱いたままその場に腰を下ろす。
壁を背にして座り込んだ。
猫は引き剥がされないことを察してか、鳴きやんで小さい手を顔へ伸ばしてくる。
ぺち、と頬にぶつかった。

「にゃ――…は、じ、め…くん」

またあの心配そうな顔で見つめられた、と思ったところに予想外の言葉が耳に届く。
目の前の猫が、自分の名前を呼んだ気がした。
ショックで耳がおかしくなったか。
けれども猫は再びたどたどしい人の言葉を発し、名前を呼んできた。
言葉が通じたことに少し自信を得たのか、難しい顔をしつつまた口を開く。

「はじめ、くん……泣か、ない、で」

今度は先程よりもややハッキリと。
確かに猫は言葉を紡いだ。
驚きを隠せずに目を軽く見開き、未だ半信半疑で問い返す。

「――俺を、心配しているのか…?」

「みゃあ」

しっかりと頷き返される。
それまで大人しくしていた耳が立ち、しょんぼりとしていた尻尾も僅かに動く。
濡れてしまった髪を気持ち悪そうにしていたため、ポケットに入れていたハンカチで拭いてやる。
正直自分も気持ち悪い。
ひとまず猫を上着の中へ隠し、タクシーで家へ帰ることにした。





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