手を伸ばすことを諦めかけた華
密かに想いを寄せている人がいる。 ――なんて、誰かに言えるはずもなかった。 けれど半年も前から心の奥に抱え続けてきたものは、消えるどころか時を重ねるごとに積もって増えていく。 もはや忘れることなどできるはずもない。 そういうところまで膨れあがっていた。 でも打ち明ける勇気なんてなくて。 溢れそうになるこの想いに、時々胸が締めつけられて苦しくなる毎日を送っている。 叶うならばどうか、彼に想いが届きますように。 (…わかってるんだ。叶わない夢だってこと) 毎日のように学校で見つけた彼の姿を目で追いかけて。 住んでいる場所はどこなのだろうと、さりげなく周囲の人間から聞き出した。 自分は元々どんな人間にでも話しかけられる方だったから、心臓の鼓動が速くなるのを感じつつそれを必死に抑え込んで話しかけることに成功し。 最近になってようやく、友人にまでなれた。 それだけでも十分幸せだった。 仲良く話をするだけでも恵まれたと思うべきなのだ、と。 なのに。 普段なら彼は笑顔を見せない。 そんな彼が一瞬だけ見せた、微笑み。 クラスの女の子に「好きな人はいないのか」と聞かれ、一瞬困ったような顔をした後に。 たった一言、いると答えた時。 自分の隣で彼は、僅かにふっと笑んだ。 あの時自分の中でどれだけの感情が沸きあがってきたことか。 まず最初に浮かんだのは熾烈なる嫉妬の炎。 彼に――斎藤に、珍しい微笑みを浮かばせる人間とは誰なのか。 想いを寄せてもらえるのは、一体誰か? 知りもしない相手へ、身を裂かれるような妬みを感じて。 その日からさらに斎藤の姿を目で追いかけることが多くなった。 頭の中では自分がストーカーじみていることなどわかっている。 でもこの想いを今さら止めることもできず。 もうすぐ冬が本格的に始まろうとしていたいつかの日に、あることに気づく。 斎藤が、稀に一点だけを集中して見ていることがあると。 気づいてすぐ、視線の先を探した。 そして知る。 必ず斎藤の視線の先に、土方がいることを。 自分は瞬時に彼の想い人が土方なのではないかと推測した。 もちろん確証などあるはずもない。 しかし稀にとはいえ、じっと見つめていることがあるのは事実。 間違いはないのだろう。 (さすがに…敵わない、かなあ) もう、諦めるしかないと思い始めていた。 後ろから近づいてくる人にすら気づかず。 「――…沖田、」 気配に気づかないなんてことはほとんどない。 なのに一瞬のうちに逃げ場を失い、壁際に追い込まれていた。 しかもここは人のほとんど来ない旧校舎。 思い返せばどうして自分がここに来たのかもわからないが、今目の前にいる男もなぜいるのだろう。 こちらの顔を固定するように、その両側の壁に手をつく男を改めて見つめなおす。 決して見たことのない顔ではなかった。 名前は確か――…… 「風間…?」 導き出した名前を口にしてみる。 身動きのできない状態にした男、風間が嬉しそうに微かな笑みをこぼした。 …と思えば表情が暗くなってしまう。 「――貴様、斎藤が好きなのだろう?」 投げかけられる問いに心臓が跳ね上がる。 突然本当のことを言い当てられて動揺してしまった。 それは無言の肯定に繋がり、風間の表情がさらに暗くなり。 どこか傷ついたような顔にも見えた。 やはりそうか、という呟きが耳に届く。 間違いではないため、否定はできなかった。 どうしようか悩んでいるところに「だが」という言葉が聞こえる。 「貴様も知っているはずだ、あいつは土方に気があるのだと」 「…っ…!!」 紡がれた言葉が酷く胸に突き刺さる。 わかりかけていたことを他人に言われるのは辛い。 現実から目をそらそうとしていたのに、引き戻された気分だ。 本当なら泣いてしまいたいくらい悲しい。 そんな自分の頬へ不意に、温かい手が触れる。 間違いなく風間の手だ。 「俺にしろ、沖田。俺がお前を幸せにしてやる」 自分にとって信じられない言葉が告げられた。 もう何度目だろう、眼前の風間に動揺させられるのは。 優しく頬を撫でられて、触れるだけのキスがされる。 唇が離れるまで身動き一つできなかった。 まるで刹那の出来事だったかのよう。 考えておいてくれと言い残して去っていく風間の背中が見えなくなるまで、ずっと呆然としていた。 混乱しているのはわかっている。 思考がごっちゃごちゃで訳がわからない。 だが、しばらくしたところで一つの考えが浮かぶ。 (風間の手を取ったら…僕は楽になれるの、かな) 最低な考えかも知れない。 それでもこの苦しみから逃れたかった。 いつまでも届かない高嶺の花を見上げている訳にはいかない。 これ以上独りでいるのは辛い。 ならば風間に縋って、僅かにでも悲しみを忘れたい。 よろよろと立ち上がり、先程風間のそれと重なった唇にそっと触れる。 帰路につきながら頭の中を整理した。 翌日の昼休み。 どうやら自分は浮かない表情でもしていたらしく、いつもとどこか違う雰囲気を漂わせた斎藤が屋上へ行こうと誘ってきた。 断る理由もないので、素直に彼の後を追いかける。 心が痛いのを感じていながらも。 屋上へと続くドアがあるところの反対側へ歩いていく斎藤。 それは隠れようとしているように思えた。 他にここへ訪れている人もいないのに。 「一くん?」 不審に思えて、つい彼の名前を呼びかける。 振り返った斎藤はこちらへ手を伸ばしてきた。 小さく首を傾げてそれを掴むと、強く引っ張られて身体がバランスを崩し。 斎藤のいる方へ転倒したが、自分よりもやや小柄な彼が難なく抱きとめる。 それだけならまだいい。 抱きとめられたまま、捕まってしまった。 腕に力を入れて身を離そうとしても、斎藤の力の方が強くて離れられない。 もう一度彼の名前を呼んだ。 すると耳元で低い声が囁く。 「――……好きだ、総司」 昨日の今日という出来事に目を瞬かせる。 夢でも見ているのではないかと、真っ先に考えた。 やっと拘束の力が緩められたので慌てて身体を離す。 そして勢いに任せて大声をあげた。 「嘘だ!」 ――そう、嘘に決まっている。 自分は悪い夢でも見ているに違いない。 実ることのない恋を忘れるため、己に都合のいい夢を見ているだけ。 でなければこんな都合のいいことなど、起きるはずがない。 斎藤の身体を突き放して首を左右に大きく振る。 夢ならば醒めてほしい。 こんな虚しいだけの夢ならば、見ない方がいい。 そう思った。 「嘘ではない。俺はずっと総司だけを見ていた」 「嘘だよ!…だって、一くんはずっと土方さんを見てたじゃない!」 きっと昨日よりも混乱しているのだろう。 一向に冷静になれず、感情のままに叫ぶ。 周りに人がいなくてよかった。 けれど己を守るために大声を出す自分が、あまりにも子供じみているような気がした。 「総司、それは…――いや、そう思うほど俺のことを見ていてくれたのか?」 「ぁ……違う、そうじゃない…ッ」 「…言っておくが、俺が土方先生を見ていたのは好きだからではない」 「じゃあ、なんで!」 おそらく斎藤の目には癇癪を起こした子供に見えていることだろう。 それが悲しかったが、これまで抱え込んでいた想いが爆発して抑えきれない。 ひたすら彼にぶつけるしかできなかった。 興奮している自分に対し、ずっと冷静でいる斎藤。 そんな彼を見ていると、余計に告白が嘘に思えた。 同情でもしているに違いない。 でなければなんだというのか。 一度口を閉ざし、斎藤は密かなため息をつく。 見つめ返してくる瞳は、今まで見たことはない程に強くて。 懸命に何かを伝えようとしているようだった。 でも、信じられない。 自分にそんな想いがあったなら、それらしい行動を取ってもおかしくないのに。 知りうる限りでは、そんな素振りなどなかった。 本当は信じたいのだけれど。 「確かに土方先生のことを尊敬はしているが、そのような想いを抱えたことは一度もない」 しっかりとした声が、紡ぐ。 脳裏に風間の姿が浮かんだ。 突きつけられた事実の言葉が頭の中で繰り返し響く。 そして目の前にはずっと好きだった人の手。 訴えるように、斎藤が再び自分の名前を呼ぶ。 (――この幸せが、例え一時のものだとしても……) 彼の手を、取りたい。 息を大きく吸い込んでから意を決し、おそるおそる手を差し出す。 改めて抱きしめられた。 「一くん…!!」 目に涙を浮かべるもなんとか堪え、斎藤の名前を呼び。 今までずっと口にすることができなかった想いを、気が済むまで伝えた。 半年余りという短いようで長い片思いが、終わりを告げたのだった。 ちなみに風間へは、斎藤が断りに向かったという。 |