甘イ誘惑




日本にずいぶんと大きな台風が上陸したらしく、窓の外は激しい暴風雨だった。
机に頬杖をつきながら、空が不機嫌だなあ、などと呑気なことを考えてみる。
視線を少し横にずらして向かい側に座っている恋人――風間の顔を見つめた。
彼はこちらの視線に気づいているとは思う。
しかしなんの反応も示さずに作業を続けている。
…作業というのは大学の卒業論文だ。
脇にはいくつかの本が積まれて置かれており、どれもこれも難しい内容のものばかりだった。
別に理解のできないものではないのだが、必要もなく頭を使うのが面倒なので興味はない。
自分も自分で、提出期限の迫っているレポートをやろうとしているのだが。
もうかれこれ三時間近く、言葉を交わしていないことが不満で仕方がなかった。
せっかく一緒にいるのにと思う反面、邪魔をしてはいけないとも思う。
けれどやはり寂しさは癒えない訳で。
無意識のうちにため息を小さくこぼしていた。
ちなみに今日は平日だが、台風のおかげで全て休講となってしまっている。
そして昨夜は傘が壊れてしまった関係で風間の家に泊まり込んだ。

(…まさか風間も一人暮らしだとは思わなかったな)

彼に相手してもらうことを断念し、家の中を少し見まわす。
それなりに生活感のある家ではある。
だがそれでもどこかもの寂しい雰囲気があると感じていた。
何より、広い。
一人暮らしをしているのは自分も同じだ。
でもそこまで広くはない。
不便でなければいいという程度のアパートだから。
ここはマンションだから、まずその違いがあるのだろうとは思う。
それにしてもやたらと広すぎる。
寂しいと思うことはないのだろうか。

「――…そんなに俺の家はもの珍しいか」

不意に低い声が耳に届いて驚く。
顔を声のした方へ向ければ、口元に笑みを浮かべた風間がこちらを見ていた。
手元のものを片づけている。

「終わったの?」

投げかけられた問いには答えず、別の問いを返す。
すると彼は首を横に振って「集中できん」と失笑する。
その反応を見て気を遣わせてしまったのだと理解した。
申し訳なさを少し感じながらも嬉しいと思ってしまう。
慌てて自らもレポート用紙やら筆記具やら資料やらを片づけた。

「飲み物でも入れてやろう。コーヒーでいいな?」

「あ、うん」

泊まる際に持ち込んでいた鞄の中を整理していたところへ声をかけられて頷き返す。
風間が席を立ってキッチンへ向かっていく。
最後にファッションの一つでかけていた伊達眼鏡を取り外し、眼鏡ケースにしまいこむ。
急に雨と風の音が強くなったような気がした。
戻ってくるのを待っている間、どうしていいのかわからずに机上をじっと見る。
積み上げられた本の間に、いつか見たことのある古い本が混じっているのに気づいた。
一体なんの本だか知らない。
いつも持ち歩いているらしいところから、大切なものではあると思うけども。
勝手に読むのは悪い気がしてやめる。
そこへマグカップを二つ持った風間が席に戻ってきた。

「――ねえ、風間…これなんの本?」

差し出されたマグカップを受け取りながら、ためらいなく問いかける。
彼は何を指して問われたのかわかっているらしい。
椅子にゆっくりとした動作で座り直しつつ、その古びた本を引っ張り出す。

「これは風間家に伝わるものの一つだ」

呟くようにして教えてくれたが、決して見せてくれようとはしない。
ふうん、と相槌を打つ。

「俺は……前世での"俺"の子孫に当たるからな」

次いで紡がれた言葉に目を見開く。
そんなことがあり得るのか、と内心思った。
もし本当なのだとしたら、彼は今も鬼であることになる。
口には出さないまでも、目でそれを問いただす。

「言っておくが鬼は絶えている。今では人間と変わらん」

ふっと風間が鼻で笑う。
パラパラと本がめくられていく。
それに目を通す風間の表情は相変わらずだったが、僅かに照れくさそうにも見える。
ひょっとしたら前世での彼自身が綴ったものなのかも知れないと、勝手に予想した。
思わずクスクスと笑った。
見せてくれない以上は何が綴られているのか不明だが、大切そうに持っている姿が可笑しい。
なぜ笑う、と眉間に皺を寄せた風間に聞かれて本を指差す。

「風間が何かを大切にしてるなんて、面白いなあ」

「…――」

素直に答えれば、彼はさらに深く皺を刻み込む。
ガタン、と椅子の動く音がして身を乗り出してくる。
やや強めの力で腕を掴まれた。
怒らせたことを覚悟して上目遣いに彼を見つめる。
すると突然唇を重ねられた。
しかし触れ合うだけの軽いキスに留められてしまう。
だが顔は離れていかない。
なんだろうと無言のまま風間の次なる行動か言葉を待つ。

「――俺のことをいつまで"風間"と呼ぶつもりだ?いい加減名前で呼べ」

しっかりと視線を捉えられたまま、念を押すように言われた。
予想もしなかった言葉に素っ頓狂な声を返す。
今度は無言で顔を近づけた姿勢の状態で「名前を呼べ」と囁かれる。
顔が赤くなっていくような感じを覚えながらも、仕方なく小声で名前を呼んだ。
嬉しそうに微笑むのを見てやっと視線をそらす。
総司、とこちらも初めて名前を呼ばれる。
そして彼はこう続けた。

「今夜も泊まっていけ。明日は一緒に大学へ行こう」

その誘いに迷わず頷いたことを後悔するのは、少し後の話。





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