永く失われていた大切な記憶を
最後に風間の姿を見たのは一ヶ月も前だった。 大学内を歩く時、それとなく捜してみてはいる。 しかし一向に見つからない。 教授にも数人問いかけてみた。 そもそも風間が生徒なのかどうかも不明だったが、それは捜しているうちに判明した。 現役ではなく二年遅れでこの大学へ入り、すでに就職先も決まった四年生らしい。 授業数が少なくても、大学にはしっかり顔を出しているとのこと。 (…だったら一度くらい、会ってもいいはずなのに) 木陰に置かれたベンチに腰かけて、昼食の菓子パンをかじりながら考えを巡らす。 ――斎藤との通話中に喘息の発作が起きて、前世の記憶を僅かに思い出してからは二週間ほど。 まだ全てではないが、最低限は思い出していると思っている。 江戸の試衛館にいた頃のこと。 京に上洛して、新選組として過ごした日々のこと。 それから雪村千鶴と出会った時や、労咳によってどんどん衰弱していくだけの毎日の…こと。 けれど大切な部分だけはまだぼんやりとしている。 想いを寄せていた人物がいたはずなのだが、それが誰なのかわからなかったり。 死ぬ間際のことがすっぽりと抜けていたり。 だが、それをどうとも感じてはいない。 綺麗に全ての記憶を思い出す必要はないだろうから。 「さて…次はどこだったかな」 ため息を一つこぼし、それまで菓子パンが入っていた袋をくしゃくしゃにする。 ビニール袋に放りこんで鞄を手にベンチから離れた。 今日は残り一時間しか授業がない。 早く帰ることができると思えば気が軽い。 帰り道。 最後の授業にて課題を出されてしまったため、早く帰宅するという予定は削除された。 仕方なく大学の近くにある少し古めの喫茶店へ向かっていた。 店内が少し狭いが、落ち着いた雰囲気でお気に入りの場所となっている。 鞄を肩にかけ直しながら店へ入る。 いらっしゃいませ、という店員の声を軽く聞き流して店内を見まわす。 「――…あ、」 隅の方の席に、ずっと捜していた人物の背中を見つけた。 人目を惹くほど綺麗な金髪を持つ、風間千景。 瞬時に前世の記憶を辿る。 そう…彼は自分の属していた新選組と敵対していた。 薩摩藩に手を貸していた、西国の"鬼"。 「あの…お客様?」 入口で立ち尽くしていた自分を不思議そうに見つめながら店員が声をかけてくる。 それで現実に引き戻された。 慌てて返事をすると、にこやかな営業スマイルを浮かべた店員に「お好きな席へどうぞ」と返される。 少し恥ずかしく思いながらも歩き出して、風間へと静かに近づく。 彼が座っていたのは二人席だったため、反対側へ回って鞄を置いた。 すると明らかに驚いた表情をした風間と目が合う。 軽い会釈をするとすぐにいつもの表情へと戻る。 相変わらず冷ややかな眼差しを向けられるが、なぜか以前には感じなかったものを瞳に見た。 寂しさのような、切ない何かを。 「…思い出したそうだな」 どうやら風間はここで読書をしていたらしい。 手に持っていた本を閉じ、テーブルの端に置きながら呟く。 言葉の意味をすぐに理解して頷き返しつつ席に腰を落ち着かせる。 「まだ全部じゃないけどね」 「そうか――」 風間が言葉を言いかけたところで店員が現れ、注文を聞いていく。 コーヒーを頼むと風間まで追加注文していた。 彼をちらりと見やると、小声で「奢ってやる」と有無を言わせないように言った。 折角なので好意に甘えることにする。 「俺との約束は思い出せたか?」 ふと思い出したように問いかけられ、課題をやるために筆記具を鞄から出しながら首を傾げる。 その仕草で風間には伝わったらしい。 「やはり、まだか。…俺はずっと待っているというのに」 落胆した様子で呟かれても、わからないものはわからない。 僅かに顔をしかめてレポート用紙を置く。 風間は黙り込んでただじっとこちらを見つめるのみ。 約束とはなんだろう、と考えてみた。 どれだけ記憶を探ってみても霧がかかって見えない。 いつも腹が立って断念していた。 …と、その時。 「――え?」 突然、風間が手を伸ばしてきて指先が自分の頬に触れた。 すると今まで決して見えることのなかった記憶が流れ込んできて。 病によって命の鼓動を止めてしまう数日前、風間と約束を交わした日を…思い出した。 目の前が眩しいような気がして目を瞬かせる。 一瞬だけ、向かいに座っている風間の姿が前世でのものに見えた。 次いで眩暈がして、テーブルに肘をついて頭を支える。 些か動揺した様子の風間がどこか心配そうな声で名前を呼ぶ。 正直にいえば混乱していた。 「約束って、そういう…こと」 なんとか言葉を紡いで顔をあげる。 状況がわからない風間は、眉間に皺を寄せた。 乾いた笑いをしてみせる。 「今、思い出したよ」 「…約束を、か?」 信じられないというように問われて迷わず頷く。 いつの間にか運ばれていたコーヒーに気づいて自分へと引き寄せる。 「ならば俺から言う必要はないだろう。――…俺は賭けに負けた」 「…そうだね。僕は自ら記憶を取り戻したから」 「……ああ…」 悲しげにそう言った風間は、追加注文したコーヒーを一気に飲み干して料金をこちらへ差し出す。 そしてそれ以上は何も言わずに、席を立って店を出て行った。 残された自分は無言のままで手元のコーヒーに視線を落とす。 本当に全てを、思い出した。 彼と交わした約束から、過去に好きだった人まで。 嬉しいはずなのに、どうしてか胸が締めつけられる。 あの日交わした言葉を何度も頭の中で繰り返した。 『もし、人は生まれ変わるという話が本当ならば…前世の記憶とやらを、俺が思い出させてやろう』 『それで?』 『叶った時は、お前をもらう』 『…叶わなかったら、自由にさせてもらうよ』 『ああ。必ず……果たしてみせる』 |