今はまだ鍵だけしか存在しない






時は遡って――…慶応四年。
少し前から不知火と行動を別にし、薩摩との関わりも薄くなっていた頃。
天霧に女鬼である雪村の行方を捜させている中、自分は江戸にある一軒の民家へ訪れていた。
まるでひっそりと隠れるように建てられているこの家に誰がいるのかは知っている。
労咳のために新選組を離れて静養をしている一番組の組長、沖田総司。
単独行動してまで彼に会いに来た、と知ればどれだけの人が驚くだろうか。
相手は池田屋での騒動で会ってから、ずっと興味を持っていた人。
なぜだか彼に会うことが雪村を手に入れることよりも大切になっていて。
その理由を知りに来たというのが理由なのかも知れない。

(この俺が一人の人間に興味を持つなど、あり得ぬこと――……)

言い聞かせるように心の中で呟く。
そして周囲の気配を探り、目的の人以外の人間がいないか確認した。
幸い、誰もいなさそうだ。
表情を変えることなく一安心して、堂々と家の中へ入っていく。
初めて来た場所だが、沖田の気配を探り歩けば迷うことはない。
すぐに沖田がいるであろう部屋に辿り着き、襖に手をかける。
ほとんど音も立てずに開くと、そこには確かに彼の姿があった。
しかし特別驚いた様子はない。
どうやら自分の来訪を悟っていたらしい。

「――なんの用?」

起きあがって、病により痩せ細った身体を揺らして咳をしながら問いかけてくる。
それを見た自分は痛々しい姿だ、と第一に思った。
彼の問いに言葉へ答えることなく足を踏み出す。
無言のまま近づいていけば、沖田は震えるはずもない刀に手を伸ばした。
こちらを睨みつけてくる瞳の鋭さだけは、以前のそれとなんら変化はない。
口元に笑みを浮かべると、彼は怪訝そうな表情をして見せた。

「貴様と殺り合うつもりなどない。刀を置け」

そう言いながら、自分も刀を床に置く。
様子を見ていた沖田は渋々といった様子で刀から手を離し、再び咳をする。
抑えに添えられた手の、指の隙間から血が伝って落ちていく。

「…新選組の一番組組長とは思えぬ姿だな」

思ったことをそのまま口にすると、咳に混じって怒号の声が部屋に響いた。
うるさい、と吐き捨てるように。

「用がないなら帰ってくれないかな…目障りだよ」

「――用なら、ある」

この場にいることを拒否されるのがなぜだか嫌だと思った。

「お前を手に入れたい」

淡々と話すことを意識していた時、自然とそんな言葉が口をついて出ていた。
自分でも些か驚く。
沖田ならそれ以上に驚いているに違いない。
厳しい表情を浮かべた沖田は探るような視線をこちらに注ぐ。
は、と嘲笑をする。

「…何それ、もしかして愛の告白でもするつもり?」

冷静に、かつ揶揄するように沖田が言う。
言われて初めて、考えを巡らせてみた。
これまでそういった意識はなかったが、そうなのかも知れない。
いつの頃からか、彼の姿ばかりを追いかけてきていた。
興味を持ち、手元に置きたいと願った。
それが叶うなら、雪村すら必要ないと思うほど。
問われたまま返す言葉が思いつかずにいると、やがて沖田はどこか切なそうな顔をして呟いた。

「残念だけど、僕には心に決めた人がいるから」

「……雪村千鶴か?」

「さあ――?」

自分の中に飛来する感情。
それが何かはわからなかったが、とにかくそれは重く感じて。
僅かに苛立ちを覚えながら、今天霧が追っているだろう人物の名を挙げて問う。
だが沖田の反応は予想していたものとは違っていた。
動揺することはなく、むしろ落ち着いた表情で自身の手を見つめている。

「沖田…――」

視線を沖田からそらし、踵を返しながら最後に一言残すために口を開く。
襖に手をかけつつ、願うような思いで。
互いに覚えていられないかも知れない約束を交わさせてから、その場を去った。
























◇   ◇   ◇



重たい瞼をゆっくりと開く。
ベンチから身体を起こし、首を回す。
いつの間にか眠りについていたらしい。
布団でもベッドでもない場所で寝ていたせいか、身体のあちこちが軋む。
夢の内容を思い返しながら空を仰ぐ。
あの夢を見るのは久々だった。

「――俺が見ても仕方ないというのに」

やれやれと呟いて立ち上がる。
機嫌が悪くなったので、さっさと帰りたかった。
脳裏に沖田の顔が浮かんで離れないのが気に入らない。

「これではストーカーのようではないか…」










(鍵だけが存在しても、扉が存在しなくては意味がない)





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