互いの記憶だけが、約束の証
けほ、と一つ咳をこぼせば途端に斎藤から心配されることとなった。 普段はあまり感情を表に出さない彼が、厳しい目つきをして叱る。 無理をするな。ちゃんと休め。自分を大切にしろ―― もう何度そう言われたのかわからない。 数える気もないのでどうでもいいが。 自分は最初、それを友人としての心配なのだと捉えていた。 けれども最近そうは思えず。 何か特別なものを感じずにはいられなかった。 しかしそれは友人以上の想いなどではなく。 …否、もしかしたらそれもあるのかも知れないが、もっと別の何か。 風間に出会ってから、それが何かを知りたいと切に願っているもの。 授業のない時間、暇を持て余して図書館へ足を運んだ日のこと。 何か面白い本でもないかと散歩気分で歩いていると、聞き覚えのある声が耳に届いたような気がして足を止めた。 気のせいかとも思ったが、耳を澄ませばやはり微かに話し声が聞こえる。 それは風間が頼るなと言った土方と、自分と仲のいい斎藤のものだった。 自然と聞き耳を立てるが上手く聞き取れない。 本棚の影から探るように声のする方向を見つめ、二人の位置を確認する。 そしてゆっくりと彼らに近づいていく。 辛うじて途切れ途切れに言葉が聞こえるだろう位置まで辿り着き、気配を消す。 「――…いいか斎藤、あいつの傍をできるだけ離れないでやってくれ」 先に聞こえてきたのは土方の声。 いつもより少し低いそれは、念を押すように放たれていた。 こちらからは見えないが、おそらく斎藤は頷き返しているのだろう。 「心得ています。俺も、無理に思い出してもらおうとは考えていません」 彼らの言葉に隠れている意味はわからない。 なのに自分のことを言われているような気がして仕方がなかった。 考えすぎだと心の中で自分を叱咤して息を殺し続ける。 名前を出されていない以上、確信はないから。 二人が誰のことを指して話をしているのか、やたらと気になる。 あまり褒められた行動ではないと悟りつつも、この場を去るという選択肢は早々に消された。 「ああ…それじゃ、後のことは頼んだ」 「はい」 どうやら会話は終わってしまったらしい。 これといった情報を得ることもできないまま、斎藤がこちらへ歩いてくるのに気づいた。 慌てて別の本棚の影に隠れなおす。 不思議なことにそこには風間の姿があったのだが。 「なんであんたが…!」 思わず逃げ出そうとした自分の腕をがっしりと掴まれる。 人差し指を立てて口元に添え、静かにするようにという仕草をされて仕方なく従う。 そして斎藤と土方の気配が完全にこの図書館から消えると、やっと解放された。 安堵の息をつき、改めて風間を睨むように見据える。 ここにいる理由を聞こうとする前に、風間が口を開く。 「貴様を追ってきた――と言えば納得するか?」 僅かな笑みも見せることなく、短くそう告げられる。 全然、と不機嫌を全面に押し出して答えれば鼻で笑われた。 「あいつらはお前のことを話していたようだな」 「…え?」 思ってもいない言葉を聞いて風間を見つめなおす。 恐怖にも似た感情を覚えつつも、それを押し殺して彼の考えを探ろうと瞳を覗く。 しかし当然といっていいのか、何も感じ取れない。 「――知りたいと思うか?」 なんの脈絡もない風間の言葉。 自分が踊らされているような気がして癪だ。 けれど知りたいと願っているのもまた事実。 視線を風間からそらし、迷うように遠くを見た。 その先には窓があり、外の眩しい日光が館内に降り注ぐのが見える。 「あんたは何を知ってるの」 絞り出すように言葉を言い放つ。 正直、自分でも何が知りたいのかわからなくなりつつあった。 とりあえず何度も見続けている意味のわからない夢の正体と、風間がこちらのことを知っているような態度をとる理由を知りたいとは思う。 どちらも繋がっているように感じるから、どちらかがわかれば全て謎が解ける気はする。 風間の言葉を待っているうちに微かな咳をし始める。 それを見た風間は一瞬訝しげな表情を浮かべたが、すぐにいつもの冷めたものへと戻り。 「おそらく、貴様の知りたいと思うもの全てをだ」 「どうして――…ぅ、げほげほ!」 食ってかかる勢いで問おうとした瞬間、激しく咳き込んだ。 一度や二度ではなく、何度も。 次第に息をするのも苦しくなっていって、視界が揺らぐ。 さすがに風間も狼狽した様子で名前を呼んできた。 その場で膝を折って崩れるように座り込み、一向に落ち着かない咳を繰り返す。 意識が朦朧としていく中、本棚によりかかるようにしてなんとか立ち上がる。 「かざ、ま……僕の、鞄から…」 言いかけて再び咳き込む。 喉からゼーゼーと喘鳴の音がしていた。 それで風間も事態を察したのか、急いで立ち去っていく。 数分としないうちに目的のものを手にした彼が戻ってきた。 今だけは感謝しながらそれを受け取って口に運ぶ。 慣れた手つきでそれ――薬を飲むと、必死に呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻そうと深呼吸する。 しばらくすればいつも通りの呼吸ができるようになった。 「…驚かせてごめん」 世話になったことを思い出して風間に謝罪する。 すると風間は目を細めてこちらをじっと見た。 「貴様、喘息持ちだな?」 的確な問いに黙って頷く。 小さい頃から気管支が弱い。 今ではだいぶ落ち着いている方だが、それでも突然発作が出たりする。 手短にそう説明すると、風間は何かを考えていた。 じっと二の句を待っていると「約束を」と微かに聞き取れた。 「――果たしたいが…まだ叶わぬ」 「どういう意味?」 「お前は沖田総司であって沖田総司ではないからな」 「何が言いたいの」 「……」 今、核心に近いものが聞けそうだったのに。 最後まで聞くことはできず、逃げるように風間が去ってしまった。 |