今日は朝から雨が降っていたが、昼をすぎた辺りから徐々に激しくなっていた。
使いに出している佐助のことが少し気になる。
この雨では自慢の愛鳥で滑空することもできないだろうから、自身が濡れるのも構わずに走っているのだろう。
そんなことを考えて申し訳なくなる。使いに出すのは明日にすればよかった。

「――幸村様」

背後で何者かが降り立つ音がしたのと同時に、名前を呼ばれた。
主だからとわずかに気配を滲ませた忍――けれど佐助ではない――が現れたのだと即座に理解した。
お館様と敬愛している信玄への文をかいていた手を止め、振り向かずに耳を傾ける。

「猿飛佐助が帰城致します。じきに、報告へくるかと」

それは忍がこの場に現れた時からなんとなく予想していた通りの知らせだった。
背を向けていて忍から見えないのをいいことに、思わず顔をほころばせてしまう。
筆を置き、初めて忍の方を振り返って一つ指示を出す。
外は今や大降りの雨なので、身体を拭く布を用意してやってくれ、と。
指示された忍はわかりにくいくらいわずかな苦笑を浮かべて、無言のまま姿を消していった。
部屋に一人残されて一つ息をこぼす。
佐助が帰城するという知らせを聞いてしまっては、再び筆を取ろうという気になれなかった。
信玄への文は急ぎのものではないし、今日やろうと思っていたことは全て片づいているのだと自分に言い聞かせて席を立つ。
それからしばし、外から聞こえてくる雨音に耳を傾けた。
















◇   ◇   ◇





忍が幸村の元へ報告に行ってから数十分後。
上田城の片隅に造られた忍たちのための小屋に、雨にずぶ濡れとなった佐助の姿があった。
幸村の指示により用意された布を使って頭を拭いている。
傍には報告に行った忍もいて、彼は暇そうに手にした忍び道具をもてあそんでいる。
ふと、思い出したように佐助を見やる。

「…そうだ、佐助」

「んー?」

頭を拭き終えて身体のあちこちを拭き始めていた佐助は、半分生返事をする。
それにも構わずに忍は言葉を続けた。

「雨の中お前を使いに出して、幸村様が申し訳なさそうにしてたぞ」

なんにも思ってないような口調で言う忍。実際、たいした興味はないのだろう。
話を聞いた佐助の手が止まり、その視線が忍へと向けられた。
外からは未だ激しく雨が地を叩く音がしている。
佐助は苦笑を浮かべてながら布を綺麗に折りたたむ。
それからその布を忍に投げつけた。
彼は避けることもしなかったため、肩の辺りに命中する。

「俺にものを投げるな、馬鹿」

少しむっとしたような表情を見せて、布を手に呟く忍。
やれやれと言うようにその布で手にしていた忍び道具を拭き始めた。
小屋を出るために戸を開けつつ、最後に一声かけようと佐助は振り返る。

「――自業自得でしょ?…っていうか、こんなトコで油売ってないで自分の仕事に戻んなよ、才蔵」

「…言われなくても戻る」

佐助の言葉に忍――霧隠 才蔵――は小声で答える。お前に言われたくはない、という顔で。
つけ足すようにお前もさっさと幸村様に報告してこい、という返事を聞いてから佐助は小屋を後にした。
小屋を出て、目に入った空を見上げる。
どうにもこの雨は休むということを知らないらしい。
自分と同じようにずぶ濡れになってしまった愛鳥も、今は羽を休めているはずだろう。
はぁ、とため息をついて歩き出す。ここから幸村の自室まで少し距離がある。
やや早足で廊下を歩いていき、当然のことながら迷うこともなく目的地へ辿りつく。
ピッタリと閉められた障子に手をかける。

「――旦那」

控えめに声をかける。
中が見えるくらいに障子を開けて、言葉を失った。

「ま、そんなこったろうと思ったけど…あーあ…」

部屋の中では幸村が、隅の方で壁にもたれかかって眠っていた。
無防備なんだから、と呟いて足音を立てないようにそっと幸村に近寄る。
近くに脱ぎ捨ててあった羽織を手に、彼の隣へしゃがみ込む。
身体を冷やさないようにそれをかけてやり、黙考する。

(…ご褒美くらい、先に頂戴しても…いいよねぇ)

思い立ったが吉日。
薄ら笑いを浮かべて、そっと幸村の顔に自分の顔を近づけていく。
――優しく触れるように口を重ねた。
起こすつもりはないので、本当に触れるだけのキス。
すぐに顔を離して満足そうに微笑む。

(あとは夜の楽しみにさせてもらうからね…旦那?)















この日の夜が長いものになると、幸村が知るよしもなかった。





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初出:2009/10/08





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