白銀に溶ける
奥州は今年も、いつもと変わらぬ厳しい冬を迎えていた。 この言いようのない寒さにさすがの政宗も勝てず、これでもかという程暖めた自室で政務をこなしていた。 できるだけ早起きしたので、筆を素早く動かして一刻でも早く終わらせたいと思うものの、残念ながら全て片づくのはまだまだ先のようで。 一旦手を止めて閉めきられた襖へ目をやると、深いため息をついた。 すぐに手元へ視線を戻さず、そのままじっと襖を睨む。 そうしていたところで外の景色が見える訳でもないが、雪が降り続けていることだけは知っている。 つまらねぇ、と短く呟いて視線を戻す。 体を暖めるために着ている羽織に手をかけ、ほんの少し背を丸めた。 ――寒いのは嫌いだ。こうして政務をこなすくらいしか、やることがないのだから。 音もなく一本の枝に立ち、佐助は空を仰いだ。 太陽はまだ昇ってはいない。ほんの少し顔を見せはじめているくらいだ。 この分なら明け方には奥州に着くだろう、と判断して一息つく。 寒さに一瞬身を震わせる。用が済んだら早く甲斐へ帰ろうと考えた。 幸村に託された文を一度確認し、枝から枝へと飛び移る。 深く積もった雪の白さが綺麗で眩しい。 …そう、今から会いに行く独眼竜も、恐ろしい程に肌が白くて綺麗で。 軽々と六爪を操るくせに、意外と細身なのだ。 あの容姿を思い出すと笑みを浮かべずにいられない。 早く帰ろうと思っていた考えを頭の中で打ち消し、少しくらいゆっくりしていこうと新たに考える。 何も急ぎの用ではないのだ。 幸村の文は真剣勝負のことについてかいてあるだけなのだから。 ふと、視線の先に人影が見えたような気がして途中の枝で足を止めた。 (……?) 目をこらし、人影が一体誰なのか判断しようと試みる。 それは後ろ姿だったが、佐助にはすぐに判断ができた。 急ぎ無言で愛鳥を呼び寄せると、その足に掴まって人影の所まで滑空した。 雪に溶けて消えてしまいそうな人影に、思わず声をあげる。 「竜の旦那――!!」 必死に声を張り上げて相手――政宗に佐助の存在を気づかせようとする。 ある程度近づいたところで、やっと政宗が気づいた。 切れ長の左目が、まっすぐ佐助を見つめる。 そして彼の口がわずかに「武田の忍」と動く。 冷たい雪の上に降りたって、肩に愛鳥を乗せたまま政宗の隣まで歩いた。 「まさか奥州に着く前に会うとは思わなかったよ」 「…Ha, まさかこんなトコでお前に会うとはな」 お互いに薄ら笑いを浮かべて言葉をかけあう。 間に合ってよかった、と佐助は思った。 戦場で見ていたよりも静かな背中が、全く動こうとしない姿が、朝日に照らされ輝きはじめた雪に消えそうに見えたのだ。 どうしてそう思ったかなんて佐助にもわからない。 それは直感だった。 実際にはありえない話なのだろうが、とりあえず今は胸を撫で下ろす。 「――それで、奥州に何の用だ?…正確には、俺に、か」 佐助の肩で静かにしている鳥に手を伸ばして撫でながら、呟くように政宗が問う。 撫でられても微動だにしない鳥と政宗を交互に見てから、落とさないように大事に持ってきた文を取り出す。 旦那の文を届けにね、と答えて手渡した。 政宗は無言でその文を受け取り、簡潔につづられた内容を読む。 アイツらしい文だな、と言って楽しげに笑んだ。 一緒に佐助も苦笑を浮かべる。それでもまともな文にさせた方なんだよ、とだけ言った。 言って、文をかいているのを守っていた時のことを思い出す。 最初どれだけ悲惨な文になったことか。 様子がいとも簡単に想像できるように細かく説明してやると、政宗は声に出して笑った。 「テメェもいろいろ大変だな!」 「…うん、まぁ…慣れたけどね」 楽しそうに笑う政宗を見ていると、佐助も楽しかった。 お互いの身分のことも忘れてしまいそうになる程に。 不意に、遠くで政宗を見つけた時のことを思い出す。 雪に消えてしまいそうだ、と確かに思ったけど、それだけじゃない。 空へ帰りたいのに帰れない竜のように、寂しい背中だったように思う。 それだけが気になって、目の前にいる彼をじっと見つめる。 視線に気づいてか、昇ってきた太陽に目を向けていた政宗が佐助を見た。 「…どうした?」 「あのさ、何か悩みでも――…」 …――あるの? と聞こうとしたところで、遠くから政宗の重臣である片倉小十郎の声が届いた。 政宗を呼ぶその声は次第にこちらへと近づいてくる。 おそらく小十郎はやってきてすぐに小言を始めるのだろう。 それを予測して、政宗は心底嫌そうな表情をした。 問いかける機会を失った佐助は、ごまかしのように失笑して愛鳥を見た。 「俺はもう戻る。…じゃあな、武田の忍」 政宗様、と呼ぶ声の合間に別れを告げてくる政宗。 右手を軽くあげて佐助に背を向けると、すぐに歩き出してしまった。 その背中にはもう、寂しさなど感じられなかった。 - - - - - - - - - - 初出:2009/07/30 |