夢幻に彷徨いし
ある時の合戦場。 数多くの足軽たちと、同じくらいたくさんの守るべき者たち。 その狭間に、自分はいた。 「…っ…」 どれだけの兵を自身の持つ刀で殺してきただろう。 勢いのまま振り回していたために今になって疲れを覚え、肩で息をしつつも必死に前だけを睨みつける。 背後など気にもとめていなかった。…否、すでに意識からはずれていた。 頭から住みついて離れないのは今までに聞いてきた断末魔の声と、見たくなくても見ることになる苦痛に歪む表情たち。 それから、最近連続して見る最悪な夢。ああいうのを悪夢というのだと思うほどの。 「Shit……!」 呟いて、絶えることなく新しく現れる足軽たちを見る。 いつもより重く感じる刀を振り上げ、力の限り大声をあげた。そして無理矢理駆け出す。 「――…政宗様!!」 慌てて呼び止める小十郎の声にさえ、認識不可能になっていた。 初めて悪夢だと思ったその夢は、亡くなった弟のものだった。 最初は暗くて見覚えのない部屋に一人きりでいて、誰かのことをただじっと待っていた。 しかしどれだけ待っていても誰も現れず、退屈になってそっと部屋を出る。 開けた先もまた暗闇に閉ざされており、異様な空気をなんとなく感じながらも足を踏み出す。 じわじわと不安が心を支配していくのを感じた。けれど弱音だけは吐かなかった。 「――…誰も、いねぇのか……?」 人の存在を確認しようと、かすかに声を発する。 すると近くで光が浮かんだのに気づき、まっすぐそこへ向かう。 光は部屋を出てすぐの角を曲がった先。 「…!!」 角を曲がった先にいた人物は自分のよく知る者だった。 予想外の人間に一瞬言葉を失う。 彼は自らの手で殺した、弟の小次郎その人だったのだから。 まばたきを繰り返して見つめなおしても、確かにその姿は弟で。 「小次郎…だよな?」 「――…兄上、」 わかっていながらも確認してしまった。 懐かしい名前を呼べば、弟――小次郎も小さく呟いた。 この時、自分に不安は残っていなかった。それどころか、人を見つけたことに安堵していた。 小次郎は亡くなった時の姿のまま、そこにいたのに。 「兄上…あなたは幸せですか」 静かな口調で、小次郎はそう問いかけてきた。 だが、なぜか自分に問いの意味がわからず、彼の目を覗く。 「…どういう、意味だ」 「――数多の屍を重ねた山の上に立つ兄上は、本当に幸せなのですか?」 「…な、に…?」 そこで初めてこの場の異様な雰囲気に気づいた。 また、淡々と問いかけてくる小次郎の手に、いつの間にか刀が握られていることにも。 一歩後ろに下がり、再度小次郎の姿を頭から足の先まで見る。 どうして先程まで気づけなかったのか、小次郎に足はなかったし、口からは血も伝っていた。 死人なのだと、頭の中で何かが警告する。 背中に冷や汗を感じた。 …逃げようと思ったのだが、すでに体の自由が何かに奪われていて動けない。 目の前で小次郎が刀を振り上げているのを見て、大声をあげようとし…―― いつも、ここで目が覚めるのだ。 「――…独眼竜が来たぞ!なんとしてでもここで食い止めろッ!!」 近いところから敵兵の言葉が耳に届いてはっとなる。 悪夢のことを思い出していたため、一瞬自分がどうしてここにいるのかわからなくなった。 前方から数知れない兵が向かってきているのを知りつつも、左手をそっと己の首におく。 それから少しして、視線を右手に向ける。 いつもより深く傷つき、それでも愛用している刀を離さぬ手。 …怪我を意識したその瞬間、全身に激痛が走った。 「――ぅああぁぁぁあぁああぁぁあ!!!!!」 叫び、その場に座り込む。 あまりの痛みに、もう一度立ち上がることがかなわない。 目の前まで敵兵が来ているのに、反応する余裕すら失っていた。 頭の中では斬られると判断できても、もう逃げられない。 そんな自分の視界の隅にふと、夢に出てきたままの姿で現れた小次郎を捉えた。 すでに色彩を失いつつある視界の中、小次郎だけがわずかに色を残している。 「……兄上、あなたは…幸せ、ですか…?」 ゆっくりと動かされた小次郎の口から紡がれる言葉。 周りの方がうるさいはずなのに、小次郎の声だけが鮮明で。 「やめろ…っ!!」 拒絶するように叫ぶ。 周囲にいた敵兵が、驚いて動きを止めた。 「――手を血に染めても、兄上は幸せなのですか……?」 「うるさい!!」 容赦なく耳に届く声。 拒絶することは許されない。 自らの血に染まった手で耳を塞ぐが、意味などなかった。 ――…瞬間、自分の中の何かが失われた気がした。 「……」 ゆらり、と立ち上がり虚ろな目でどことも言えない場所を見つめる。 自然と笑みを浮かべた。 すでにそれはもう自分の意志なんかではなく。 何かに操られるかのように一歩、足を踏み出す。 痛いという感覚を失い、今までと何ら変わらないように刀を構えた。 勢いよく、一番近くにいた者を斬りつける。 それは敵兵ではなく明らかに味方兵だったが、最早自分に判断なんかできていない。 叫び声を聞きながら、再び刀を振り上げた。 次々と倒れていく人間たち。 自分自身が流す血や返り血は鎧に、人を斬りつけつく血は刀に。 ほぼ全身を真っ赤に染めあげた頃には、近くに人がいなくなっていた。 「……く、ははは…っ」 死体の山を見ていた自分は、なぜか笑い声をあげていて。 その場に座り込み、空を仰ぐ。 短い間忘れていた痛覚が徐々に戻ってくるのを感じた。 同時に、自らの命が消えかけているのも。 死ぬべきではないことはわかっている。 けれど、抗う力などなかった。 座ることもままならず、迫りくる死に身を委ねてゆっくりと倒れる。 閉じかけた左目が最後に映したのは、自分をあらゆる幻で狂わせた小次郎。 その姿は死者の國へと誘う神の如く。 あの世で待ってろよ、と心の中で呟いて、とうとう左目を閉ざした。 その刹那、遥か彼方から自分の名前が呼ばれたような気がした――… - - - - - - - - - - 初出:2009/05/24 |