夢幻に彷徨いし




ある時の合戦場。
数多くの足軽たちと、同じくらいたくさんの守るべき者たち。
その狭間に、自分はいた。

「…っ…」

どれだけの兵を自身の持つ刀で殺してきただろう。
勢いのまま振り回していたために今になって疲れを覚え、肩で息をしつつも必死に前だけを睨みつける。
背後など気にもとめていなかった。…否、すでに意識からはずれていた。
頭から住みついて離れないのは今までに聞いてきた断末魔の声と、見たくなくても見ることになる苦痛に歪む表情たち。
それから、最近連続して見る最悪な夢。ああいうのを悪夢というのだと思うほどの。

「Shit……!」

呟いて、絶えることなく新しく現れる足軽たちを見る。
いつもより重く感じる刀を振り上げ、力の限り大声をあげた。そして無理矢理駆け出す。

「――…政宗様!!」

慌てて呼び止める小十郎の声にさえ、認識不可能になっていた。








◇   ◇   ◇




初めて悪夢だと思ったその夢は、亡くなった弟のものだった。
最初は暗くて見覚えのない部屋に一人きりでいて、誰かのことをただじっと待っていた。
しかしどれだけ待っていても誰も現れず、退屈になってそっと部屋を出る。
開けた先もまた暗闇に閉ざされており、異様な空気をなんとなく感じながらも足を踏み出す。
じわじわと不安が心を支配していくのを感じた。けれど弱音だけは吐かなかった。

「――…誰も、いねぇのか……?」

人の存在を確認しようと、かすかに声を発する。
すると近くで光が浮かんだのに気づき、まっすぐそこへ向かう。
光は部屋を出てすぐの角を曲がった先。





「…!!」

角を曲がった先にいた人物は自分のよく知る者だった。
予想外の人間に一瞬言葉を失う。
彼は自らの手で殺した、弟の小次郎その人だったのだから。
まばたきを繰り返して見つめなおしても、確かにその姿は弟で。

「小次郎…だよな?」

「――…兄上、」

わかっていながらも確認してしまった。
懐かしい名前を呼べば、弟――小次郎も小さく呟いた。
この時、自分に不安は残っていなかった。それどころか、人を見つけたことに安堵していた。
小次郎は亡くなった時の姿のまま、そこにいたのに。

「兄上…あなたは幸せですか」

静かな口調で、小次郎はそう問いかけてきた。
だが、なぜか自分に問いの意味がわからず、彼の目を覗く。

「…どういう、意味だ」

「――数多の屍を重ねた山の上に立つ兄上は、本当に幸せなのですか?」

「…な、に…?」

そこで初めてこの場の異様な雰囲気に気づいた。
また、淡々と問いかけてくる小次郎の手に、いつの間にか刀が握られていることにも。
一歩後ろに下がり、再度小次郎の姿を頭から足の先まで見る。
どうして先程まで気づけなかったのか、小次郎に足はなかったし、口からは血も伝っていた。
死人なのだと、頭の中で何かが警告する。
背中に冷や汗を感じた。
…逃げようと思ったのだが、すでに体の自由が何かに奪われていて動けない。
目の前で小次郎が刀を振り上げているのを見て、大声をあげようとし…――



いつも、ここで目が覚めるのだ。












◇   ◇   ◇




「――…独眼竜が来たぞ!なんとしてでもここで食い止めろッ!!」

近いところから敵兵の言葉が耳に届いてはっとなる。
悪夢のことを思い出していたため、一瞬自分がどうしてここにいるのかわからなくなった。
前方から数知れない兵が向かってきているのを知りつつも、左手をそっと己の首におく。
それから少しして、視線を右手に向ける。
いつもより深く傷つき、それでも愛用している刀を離さぬ手。
…怪我を意識したその瞬間、全身に激痛が走った。

「――ぅああぁぁぁあぁああぁぁあ!!!!!」

叫び、その場に座り込む。
あまりの痛みに、もう一度立ち上がることがかなわない。
目の前まで敵兵が来ているのに、反応する余裕すら失っていた。
頭の中では斬られると判断できても、もう逃げられない。
そんな自分の視界の隅にふと、夢に出てきたままの姿で現れた小次郎を捉えた。
すでに色彩を失いつつある視界の中、小次郎だけがわずかに色を残している。

「……兄上、あなたは…幸せ、ですか…?」

ゆっくりと動かされた小次郎の口から紡がれる言葉。
周りの方がうるさいはずなのに、小次郎の声だけが鮮明で。

「やめろ…っ!!」

拒絶するように叫ぶ。
周囲にいた敵兵が、驚いて動きを止めた。

「――手を血に染めても、兄上は幸せなのですか……?」

「うるさい!!」

容赦なく耳に届く声。
拒絶することは許されない。
自らの血に染まった手で耳を塞ぐが、意味などなかった。





――…瞬間、自分の中の何かが失われた気がした。








「……」

ゆらり、と立ち上がり虚ろな目でどことも言えない場所を見つめる。
自然と笑みを浮かべた。
すでにそれはもう自分の意志なんかではなく。
何かに操られるかのように一歩、足を踏み出す。
痛いという感覚を失い、今までと何ら変わらないように刀を構えた。
勢いよく、一番近くにいた者を斬りつける。
それは敵兵ではなく明らかに味方兵だったが、最早自分に判断なんかできていない。
叫び声を聞きながら、再び刀を振り上げた。
次々と倒れていく人間たち。
自分自身が流す血や返り血は鎧に、人を斬りつけつく血は刀に。
ほぼ全身を真っ赤に染めあげた頃には、近くに人がいなくなっていた。

「……く、ははは…っ」

死体の山を見ていた自分は、なぜか笑い声をあげていて。
その場に座り込み、空を仰ぐ。
短い間忘れていた痛覚が徐々に戻ってくるのを感じた。
同時に、自らの命が消えかけているのも。
死ぬべきではないことはわかっている。
けれど、抗う力などなかった。

座ることもままならず、迫りくる死に身を委ねてゆっくりと倒れる。
閉じかけた左目が最後に映したのは、自分をあらゆる幻で狂わせた小次郎。
その姿は死者の國へと誘う神の如く。
あの世で待ってろよ、と心の中で呟いて、とうとう左目を閉ざした。















その刹那、遥か彼方から自分の名前が呼ばれたような気がした――…





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初出:2009/05/24





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