転校生が動いた。日頃のなにも考えていなさそうなお気楽な様子からは全く想像もつかないほどに滑らかで速い動きだ。やつはこちらの間合いを完璧に把握しているのか、射程範囲の手前ギリギリからライフルをぶっぱなした。ぶん投げてくる爆弾も無駄が無く、ただおれを倒す為に必要な最低限の動きしかしていない。
そこから距離を取りつつ、おれは冷や汗をかいた。最初に会った時から感じていた嫌な予感は当たっていた。いつも手遅れになってから気づくのだ。
おれの射程距離は、ほんの僅かだがやつよりはこちらの方が長い。ノックバックからヒットアンドアウェイを繰り返せばいけるのではないかと薙ぎ払う。小さく呻いて飛ばされたやつだが、殆ど体勢は崩れていない。
微笑んだままライフルをおれへと向けた。迷いの無い切っ先は、ただ真っ直ぐおれのアキレス腱へと向けられている。舌打ちするしかない。足の故障から武道の選手になるという未来を永劫絶たれたおれの急所だった。
「しっかし驚いたなァ、先に潜入した人の協力者だって聞いてたのに。まさかこんな形で襲撃されるとは思わなかったよ。あの人殺したのお前だな?把握した」
恐ろしく優しい声が背中から聞こえた。次いでやけにひんやりとした感触。痛みより先にあつさがきた。おれは蜂の巣になったのだと悟った。
おれの体から≪黒い砂≫が噴き出した。グロテスクな光景が最後の光景だ。それは執行委員として聞いた話だとこの学園の墓地の奥にある遺跡を暴こうとする宝探し屋と戦う墓守を守る機能があった。
9月から海外から転校してきた葉佩九龍(はばきくろう)の放つ銃から、日本刀から、拳から、《黒い砂》はおれを守ってくれたらしい。
本来であれば致命傷となるあらゆるダメージも身体に巣食っていた《黒い砂》を媒介に化人(ばけもの)が降臨するのと引き換えに意識を刈り取られ、意識を取り戻したときに気がついた。
≪黒い砂≫のお陰で倦怠感しかなかった。
「大丈夫かー?死んでる?」
「死んでたら返事できないっつーの」
「それだけ無駄口たたけるなら大丈夫そうだな、残念残念」
「残念て」
「俺を利用して死のうとしたやつに言われたくはないな」
にっこり微笑んだまま言われて、おれはホールドアップするしかなかった。
執行委員だったおれは、たとえ死ぬとわかっていても、この戦いを止める事は出来なかった。葉佩も、恐らくは己の信念と理念の為に戦いをやめることは無かった。葉佩が死に、おれが勝つというビジョンが全く浮かんでこなかった時点で負けは確定していたのかもしれない。
「じゃあ、さっさと吐こうか、裏切り者くん。なんで協力者だったくせに寝返って前任を殺したのか」
「おれは殺してない」
「ほんとかー?」
「断じて殺してない。あいつがおれを庇ってトラップから脱出しそこねたんだ」
「ふーん、そこはほんとっていいはるのか。じゃあなんでおれを襲撃したんだよ」
「死にたくなかった。おれ以外はみんな行方不明になったんだ」
「うん?」
「他の奴らに接触できたのか?できなかっただろ?雛河先生の前の担任にも、協力者だった1年にも、2年にも、3年にも」
「おっと、そうくるか......なるほど。で、お前は屈したわけだな」
「怖かったんだ」
おれは懺悔する。
おれがそもそも新宿区にある全寮制の天香学園高校に進学した理由は、いわゆる家庭の事情というやつだ。おれの母親はおれが15年間父親だと思い込んでいた人と交際中に二股をかけていた男がいて、よりによってどっちの子供かわからないために一か八かの賭けに出てまともな方を騙して結婚した。もうひとりの男は行きずりの関係で行方不明だという。
母親は同じマンションでひっかけた不倫相手と離婚届をおいて逃げて、父親だと思っていた人は托卵されたという事実を知りながら親戚と縁を切ってまでおれを引きとってくれた。
17になった時、おれとたった10しか変わらない女性がやたらと父親がのまわりをうろちょろし始めた。再婚するつもりは無いと部下だという女性に困りきっていた父親だったが、変に気遣われて独り身でいるよりはさっさといい人を見つけて幸せになってもらったほうがいい。
そう思っておれは全寮制の天香学園高校を選んだわけだ。そしたら、受験先がバレてもめた。家の中が気まずくなり、女性が世話をやきにくるたびに申し訳なさそうな顔をして追い返す父親にいたたまれなくなった。逃げるように、おれは地方から東京に来た。もともと初婚時に駆け落ち同然で地方に出た父親の実家があるのは知っていたけれど、頼れる身分じゃないことくらいわかっていた。
ありがちだけど、この学園には秘密があった。
天香学園敷地内には古代遺跡があり、代々生徒会が墓守として管轄。執行委員が、生徒会長に、「自分の大切な思い出(おれの場合は、両親と幸せだったころの写真で、新しい母と打ち解けられない現実から逃れるために差し出した形になる)」を差し出すことで、特殊な力を得る。そして転校生や新任教師などの形で潜入してくる宝探し屋などの敵と戦うことになる。ちなみにその遺跡には、多くの化け物がいる。秘宝もある。でも何が封印されているのか、おれは知らない。
人間、順応力がもっとも武器になると言うが、どうやらおれは特化していたようで、その今思えば常識や良心から大きく逸脱した特異な環境に順応し、すぐに疑問も薄れ日常に埋没していった。外部の侵入者を排除するたびに、麻痺していくことすら気づいてはいなかった。それを変えたのが、葉佩九龍の前にきたクラスメイトの転校生の宝探し屋(ロゼッタ協会というエジプトに本拠地を置くギルド所属)だった。執行委員として戦い、そして敗北したおれは、失われていた記憶を取り戻した。
解放されたおれはバディ(いわゆる助っ人だ)としての役割を全うしながら、自分から行動する意欲や好奇心を取り戻していったとも言える。そして少しずつ、実家からの手紙にも返事を出せるようになっていた。だが彼はおれを庇って死んだ。遺体は見つからなかった。闇に消えた。遺跡に巣食うばけものに食われたのだと思った。
彼は墓の探索を最優先し、執行委員との接触を極端に避けていたために、その変わりつつあった日常を知っていたのはごくわずか。しかもバディは数えるほど。彼らは夏休みを境に行方不明になってしまった。挫折したのは、これで2度目だった。
「なるほど、だいたい把握した。生徒会もなかなかえぐいことするじゃないか」
ガキみたいにぽんぽん頭を撫でられ、おれは泣くしかなかった。
「喪失感に耐えられなくてまた執行委員になったのか」
胸の中ががらんどうになり涙さえ出ないような悲しみに死んでしまいそうになる。
「お前さ、居場所に飢えてるんだな」
葉佩とあいつが重なりそうになり、おれは首を縦にふって振り払おうとした。
寂しさってのはいつの間にか、気がつかないうちに人の心に巣食っている。ふと目覚めてしまった夜明けに、窓いちめんに映る青のようなものだ、と葉佩はあいつみたいなことをいう。
そういう日は真昼、いくら晴れても、星がどんなにたくさん出ても、心のどこかにあのしんと澄んだ青が残っている。
ずっと2人暮らした父親との暮らしが急になくなって、真っ青に染まっていたのだと思うと勝手に考察されてしまう。
悔しいことに図星だからおれは泣くしかなかった。
「俺もさ、あの人が死んだこと考えると、暗い深い穴に落ちていく感覚に襲われるよ。今でもあの遺跡の中に取り残されているんじゃないかってそんな気分になる。実際そうなんだろうけどな。あの人は暗黒の遺跡の中で、声も出なければ音も聞こえず、何も見えなくて、不安を覚えながら、永遠に漂い続けていて、その孤独を、俺もお前も救ってあげることはできない。俺たちはあの人を彼見つけることもできず、うっかりすると、忘れていることだってある」
涙が大粒になってきた。
涙声でおれはいうのだ。努力はしたと。なるべくいたずらにひまな時間を作らないように必死で努力した。 今思えばそれはそれは不毛な努力だ。本当はしたいことなんて、なにひとつありはしなかった。
あいつに会いたかった。夏休み中は連日連夜遺跡にいった。なにか手や体や心を動かし続けなくてはいけない気がした。そして、この努力を無心に続ければいつかはなにか突破口につながると思いたかった。まったくの無駄骨だったが。
夏休みが進むにつれて帰省中のはずの協力者からメールがこなくなり、行方不明の連絡が寮に居座っているおれに届き始めた。この時初めておれはなんだかとてつもなく巨大なものと戦っているような気がした。そして、もしかしたらおれは負けるかもしれないと生まれて初めて心から思った。人が出会ういちばん深い絶望の力に触れてしまったことを感じた。
夏休みの終わり頃にはなにもかもいやになって、朝起きるのもめんどくさかったし、本も読めず、字も書けず、台所に入ることもなくすごした。 いつまでも起きてこないおれを誰かが呼びに来て、そこから記憶があいまいだった。
今ならわかる。生徒会の連中がまたおれを執行委員にしたのだ。このままじゃ死にかねないと。
おれは泣いていた。ここがあいつが死んだ場所でなかったら、その不在の強烈さはこんなに強く襲ってこなかっただろう。
「なるほど。でもだからって自殺幇助はさせないでくれよ、迷惑だな」
「それについてはあやまる。ごめん」
葉佩は肩を竦めた。
「よりによってあの人が死んだこの場所で後追い自殺とか勘弁してくれよな。せめて俺が任務達成してから死んでくれよ、目覚めが悪すぎるだろ」
こうしておれはまた宝探し屋の協力者となったのだった。