本日の授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。教室を出て行く途中で島は先生に呼ばれて前の供託に戻っていった。そして何度かやり取りをしたあと、えー、という顔をしたのだが先生はそのまま立ち去ってしまう。渡された2枚のファイルを片手にがっくりと肩をおとした。そんな島の肩を叩く者がいる。びっくりして振り返った島の頬に指が突き刺さる。
「ひっかかったー」
声を上げて笑っているのは、島が見上げるほど身長差のあるクラスメイトだった。遠くからでもわかる金髪、そしていくつものピアス。そしてぶら下がっているじゃらじゃらうるさいアクセサリー、そして指輪。メリケンサックと化しているのは確信犯だろうか。ぐぐぐぐと押し込まれ、いはいへふ、と島は声を上げた。
「よぉ、島。どうしたんだよ、しんきくせえ顔しやがって。なんかあったか?」
「え、あ、先輩。ちょうどいいところに」
「なんだなんだ、こないだみたいに面倒ごとに巻き込まれてんのか?なんならしめてやろうか?」
「いやいやいや、大丈夫ですよ」
「なんだ、じゃあなんでそんなとこにつったってんだ?」
「いやー、プリントもってってくれって押しつけられちゃって」
「へえ?あー、ここの学校自分の机もロッカーもねえからな。もってってやりゃいーじゃねえか、任されるってことは知ってるやつなんだろ?」
「実はあんま話したことねえやつなんですよ。どのあたりに住んでるかはさっき先生に聞いたんですけど、俺住んでるところと真逆の方向で」
「まじかよ、適当だな。どいつだ?」
「同じクラスの藤木ってやつなんですけど」
「へえ」
「あとは財前?」
「ふーん」
「俺も何度か話したことあるだけだし、一度デュエル部に来たっきりだし、藤木の家にいくのもなーって」
「プリントか?」
「いつの間にか早退したらしくて」
「へー、どこらへん?」
島が口にした住所に、青年は笑った。
「なんだ、俺の家の近くじゃねーか。プリントだろ?ならポストにでも放り込んでやるよ」
「ほんとですか?ラッキー!」
「ま、ついでなついで。今日は部活ねえだろ、島。カラオケ行こうぜ、カラオケ」
「いいですね、カラオケ。そーだ、鈴木さそってもいいっすか?」
「いーぜ、んじゃ俺他のやつに声かけてくるから玄関でな」
「はーい」
ひらひら手を振り去って行ったのは、先輩と呼ばれているが実はクラスメイトの男子である。まず体がでかい。そして、1年間海外留学をしていたせいで単位が足りず、進学できなかったため島達と同学年になったが、実は先輩。しかも髪の毛を染めているし、ピアスの穴を開けまくってるし、いつも長袖なのは入れ墨があるんじゃないかと噂がたってるし、中学時代はあちこちでやんちゃしていたと噂で聞いたことがある。だから自然とあだ名が先輩で、みんな敬語を使っているのだ。気に入ったやつには面倒見がいいらしく、島はデュエル部の幽霊部員である先輩と共通の趣味があるということで、気に入られているのだった。もっとも話してみるとちょっと怖い雰囲気があるだけで、噂に聞くようなとんでもない武勇伝はもっていないようだ。そうじゃなきゃあの部長と仲がいいわけがない。ラッキー、と思いつつ島は鈴木を呼びに教室に引き返す。バイトの給料日の翌日は先輩は羽振りがいいのだ。
カラオケ帰りの真っ暗な道の先で、彼はおんぼろアパートを見上げる。まさかこんなところに高校生が住んでいるとは思わなかった。どこをどうみても泥棒に入ってくれと言わんばかりの構造である。しかもセキュリティ会社の管理シールが張ってないあたり、不安しかない。この時代になんて不用心なと思わなくもないが、顔をろくに知らない、知っているのは名前だけの同級生である。ま、いっか。クリアファイルごとポストに突っ込み、先輩はその場を後にした。
彼は頭がよかったから、税理士なり弁護士なり国家資格を取って、ゆくゆくはフロント企業に就職しろといわれて今の高校に入学した経緯がある。一人暮らしなのは、実家からここに通うには遠すぎたからと言う大義名分がある。すぐ近くの高校生が住むには結構高いマンションに彼は住んでいる。さーて帰るか、と彼は歩き始めた。
どうやら藤木遊作くんとやらは不真面目なのか、それとも不登校寸前の暗いやつらしい。何度目になるかわからない提出物に彼は頭をかいた。安請け合いしたけどまさかこんなに通うはめになるとは。すっかり道を覚えてしまった道を行く。いつものようにポストにファイルを突っ込んでいた彼は声をかけられた。
「なにをしてるんですか?」
「ん?」
「ここ、俺の家のポストなん……だけど」
学生証をみて同級生だとわかったらしく、ため口になる。物怖じせずにため口をきくようなやつは久しぶりに見た、と彼はちょっとうれしくなった。ポストに突っ込んだせいでぐにゃりと曲がってしまったファイルごと渡す。
「おお、お前が噂の藤木クンか。ほらよ、今日のプリントだ。来週までにやってこいってさ」
「届けてくれたのか」
「おうよ。何度もポストに入れてたけど実際に会うのは初めてだな。ま、あんま学校休むなよ、俺の仕事が増えちまう」
「ありがとう」
「どーいたしまして。それじゃあな」
にかっと笑った彼は、そのまま立ち去った。遊作が早退するたびにplaymakerがリンクヴレインズに出現することに彼が気づくのはまた別の話である。
物音がしないと寝れない。人の気配がしないと寝れない。誘拐事件から解放された後、遊作を苛む不眠症は深刻だった。一人暮らしを始めたときはテレビをつけっぱなしにするか、スマホを起動したままわざとアプリを起動させたまま寝ることが多かった。無理矢理寝るとかつての悪夢を思い出してしまうのだ。遊作が学校に通っているのは、少しでも睡眠時間を確保するため、ということもある。保健室ではなく教室で眠るのはそのためだ。ざわざわしていないと寝れない。誰かがいなくなるとき、それは遊作の貴重な睡眠時間の終わりでもある。今日は移動教室ばかりの授業だったせいで睡眠時間がほとんど確保できなかった遊作は、昼休みと放課後をずっと机に突っ伏していた。まだ足りない、寝たりない。これは草薙さんのところにお世話になるか、と考えていたのだが、さぐった先に鞄がない。あれ。すかっと空振りする右手。ぼーっとしている自覚はあったがデュエルディスクと鞄まるごと忘れるとは思わなかった。
もう校門付近まで来ている。振り返った遊作はいつかの青年を見つけた。
「やーっと追いついた!」
「あんたは……」
「鞄とデュエルディスクまで忘れるとは思わなかったぜ、大丈夫かよ?」
「ああ、ごめん。ありがとう」
「おう、気をつけろよな」
「ああ」
ばしばし肩を叩き、彼は去って行く。どうやらどこかに出かけるようだ。
「おいおいおい、大丈夫かよ藤木君?」
「ごめん、何度も」
「お前大丈夫かよ、マジで。割とマジで。ぼーっとしすぎだろ、大丈夫か?」
「だいじょうぶ、だ」
こらえきれない欠伸がもれる。
「お前今どんな顔してるか、わかるか?まじで大丈夫かよ、すっげえ顔してるぞ?」
「心配かけてごめん、だいじょうぶだから」
「いや、いや、いやいやいや、さすがにこれは駄目だって、倒れるやつ!なんだよ、どっか頼れる人はいねーのか?」
「アンタには関係ないだろ」
「関係あるわ、なんかあったら寝覚めが悪い!んで、どこいきゃいいんだ?つれてってやるよ」
「……」
「おいこら、喧嘩するのか寝るのかどっちかにしやがれ、おーい、おーいっ!!」
遊作は意識を手放した。
「おー、目さめたか?」
「大丈夫か、遊作」
「草薙さん……」
冷たいものが近くに転がる。ほとんど水になった氷枕が転がった。
「なんかしらねーけど気をつけろよ、藤木。あれか、ナルコスプレシーとかいうやつか?いきなり眠くなっちまうやつ?」
「いや、そういうわけじゃ……でもありがとう」
「おう」
じゃーな、と彼は買ったばかりのホットドックを頬張りながら笑った。
「…」
「……」
「………」
「…………藤木よぉ、もしかしてなんか脅されてんのか?それとも訳ありか?絞めてやろうか?」
「大丈夫だ、そういうのじゃない」
「ならいいんだけどよ、さすがにこれはまずくねーか。なんで先生何も言いやがらないんだ」
「(診断書が出てるからな)」
「俺らみてーにゲームとかやってっから寝不足なわけじゃねーだろ?」
「違うな」
「あそこのにーちゃん優しそうだし、ブラックバイトってわけでもなさそうだし」
「ああ」
「やっぱ訳ありじゃねーか」
「あんたには関係ない」
「いやいやいや、ここまでくるとさすがにな?途中まで乗りかかった船じゃねーか、ほら手かせ」
「いい、歩ける」
「じゃあ荷物かせ」
「だからいいって」
「だーもう強情だな、2回も3回も同じだろうがよ。くっだらねえこといってないでほら、かせ」
なかば強奪だった。取り上げられた鞄を取り返そうとするが、ぼーっとしているのは事実のようで、遊作はいうほど真剣ではなさそうだ。
「保健室行け、保健室。そこらへんでぐーすか寝るよりましだろ」
「保健室いくくらいなら教室で寝る」
「はあ?なんで」
遊作はため息をついた。お節介焼きな上に面倒見がいいクラスメイトは厄介なことこの上ない。事情を説明しないとてこでも動かないという意志の強さを感じ取ってしまう。彼は困ったように頬を掻いている。ならほっとけばいいのに。
「誰かいないと寝れない」
「はー、それはまた」
「わかっただろ、だから返せ」
「仕方ねえなあ、ほら、いくぞ」
「は?」
「だから、誰かいねえと寝れないんだろ」
「まさかサボる気か?」
「おーい、島。俺今日急に腹痛くなってきたから、こいつといっしょに保健室行くわ。あとよろしくな」
藤木荷物持ちかよ、お疲れさん、という声が聞こえてくる。彼は気にする様子もない。
「いいっすよー、先輩。あとでどっか奢ってくださいね!」
「おー、いいぞ」
「やった」
「……先輩?」
「ん?ああ、ぼっちの藤木君は知らなかったか。俺、去年も1年生だったんだわ。海外留学してたせいで単位足りなくて留年したわね。おっけー?」
「後輩が混乱するやつか」
「あはは、そーだな。だからお前みたいにため口聞くような度胸あるやつ久々に見たからな。結構気に入ってんだよ。世話焼かせろ」
ここまできて、ようやく遊作は自ら先輩の好感度を上げていたのだと気づいたがもう遅い。手のかかる後輩とでも思われているのだろうか。鞄を抱えた時に制服の袖からがっつり刺青が入っていることに気づいてしまった遊作は冷や汗がうかぶ。まさかこのクラスメイト、ガチでやばいやつなのでは。シールではなさそうだ。ペイントでもない。これはガチで入っている刺青だ。しかも上半身を覆っている面積は尋常じゃない。だからこいついつも長袖なのかと気づいてしまった遊作はすっかり目が覚めてしまう。下手したらガチでやばいやつらに目をつけられてしまうのでは?勘弁してくれ、という悲鳴はかろうじて飲み込まれた。
「せんせー、腹いてえから休ませて」
常連なのだろうか、あきれたように肩をすくめた先生はベッドにいけと指示を出す。遊作にはいくつか栄養剤を渡し、カーテンの間仕切りをしてくれた。先生はこれから職員会議があるらしく、開けるらしい。いつもこのタイミングでやってくると先生はあきれている。間違っても酒やタバコはするなよとの忠告に、はーいと返事だけは大きい。
「そいじゃお休み」
「……アンタはいかないのか」
「寝れねえんだろ?俺もサボりたかったからちょうどいいんだよ」
「………わかった」
「やっと観念したか、この野郎。寝れないなら言えよ、サボりにつきあってやっからよ」
ベッドの隣からはアプリゲームの起動音がする。観念して目を閉じた遊作は、久しぶりに悪夢を見ない気がした。
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bkm