ファンゴルンの森(草薙と和波)
ファンゴルンの森


ほんの気まぐれだった。

和波のお姉さんの話でひっかかりを覚えたから、なんとなく調べてみることにしたのだ。

今までゴーストの使用するアバターの前の持ち主を特定しようとしたことはあったが無理だったから放置していた。人間生体情報までは偽れない。どれだけパーツを重ねてもはいでしまえば、身長、体重、年齢、言動、声、さまざまな要素から絞り込むことができる。ゴーストがゴーストたる理由が、それをしても特定できないから、につきた。生体情報を大量に保有することなどできるわけがないのだ、普通なら。

可能な方法を草薙は見つけてしまった。


「うっそだろ」


二の句がつげない。ロスト事件の名簿にある研究員がある時期を境に電脳死しているのだ。1人、2人ではない、ひとつの研究室が壊滅したのだとわかる。死亡の文字が延々と続き、死因が電脳死という事実に薄ら寒さが浮かんだ。どいつもこいつも外部と接触が容易い職員ばかりである。草薙はとりあえずこの職員たちの情報をあつめて3D化し、ゴーストの膨大なデュエル動画と似ているやつを探し始めた。遊作や和波の目を盗んでの行動である。なかなか作業は進まなかったがある日、見つけた。見つけてしまった。同一の存在である確率は非常に高く、この国にいるならまず間違えない精度だとプログラムはデータを叩き出す。

ゴーストはロスト事件で電脳死した職員の生体情報をアバターの素体にしている。三ヶ月かけて調べた結果、少なくても12体は確認できた。いずれもグレイ・コードのメンバーだとリボルバーがよこしてきたリストと一致する。間違いない、ゴーストは意図的に使用しているのだ。入手できる方法、死亡した人間はただちに使用不能になるはずのリンクヴレインズにおいて、生体情報を平然と使用できる理由はただひとつだけ。通常のアバターをイグニスが生きながら取り込み、上書きしたときだけだ。草薙は震えが止まらなかった。


「誠也くんがゴースト……いや、HALが独断でやってる……ないな、遊作はリンクセンスで人間のアバターのときとAIのアバターのときがあると断言してた。でも誠也くんとゴーストはデュエルしてたぞ、どういうことだ……?」


草薙は頭が痛くなってきた。彼女の言葉が反芻する。

「誠也はその覚悟が出来てるし、後戻りできないことはHALが抱えてる生体アバターの数から察したよ。電脳死した工作員の数は尋常じゃないってこともわかってる」

誠也は遊作のように保護されたわけではない。自力で逃げ出したのだ。HALのおかげで。それは他ならぬ誠也から聞いていた。言葉通り受け取っていたがよくよく考えたら誠也はAIに体を取られ、自身はチップに閉じ込められていたらしい。事情が事情だ、半年で10年引きずるトラウマを持つ遊作を知る草薙は深入りしなかった。だがよく考えたらフランキスカが贔屓するのだ、工作員のような真似事もしていたのかもしれない。大会会場から逃げ出し、自身の体を取り戻すために侵入し、痕跡を残して消える。普通に考えたらいくらHALがいても不可能に近いが、誠也は電脳体という特殊な体質であることを強いられてきた。実質ネットにさえ出られればどこにでもいけたはずだ。そう、どこにでも。

草薙は唾を飲む音がやけにうるさく聞こえた。

電脳死した職員のなかには、ロスト事件で遊作や草薙の弟をはじめとした被害者6人を苦しめたVRプログラムの運営にかかわったと思われる人間もいたのである。

しかも死んだのはデンシティ、海の向こうではない。普通に考えればあの国の大会に出ていた誠也では無理だ。でもできるのだ、このときの誠也なら。イグニスが失踪したのはこのあたりだ。

いつもの草薙なら悩んだはずだ。いつになく慎重になったはず。遊作に告げるべきだと理性が叫ぶことはなかった。今の草薙は遊作には絶対に見せない表情が浮かんでいる。大切な弟を拉致し、監禁し、デュエルを強要した挙句に電撃による体罰、衣食住すらデュエルで管理という鬼畜な環境により廃人に追いやった未解決事件の犯人たちへの怒り。被害者家族に報復による死者が出たということで証人保護プログラムが適応され、奪われた草薙翔一になる前の自分、そして弟の過去。おかげで表面上は平和になったが隠匿された事件はもう10年は経過している。たまに感情の切り替えがうまくいかず遊作を心配させて気を遣わせてしまうから後悔ばかりが募るが、今から呼びつける相手は今の今までそんなこと気遣う必要すらなかったのだ。


「和波君、今すぐ来てくれるか?緊急召集だ」

「あ、はい、わかりました。今家なのですぐ向かいますね」

「ああ、大事な案件だ。急いでくれ」

「はい」


ぴ、とアプリを消してから、草薙は息を吐く。急いている自覚はあるが止められない。

playmakerの活動内容により、和波は指示される内容が違うのだ。通常は学校や私生活を優先し、playmakerの動画を見ながら待機。バイト中なら草薙の隣で待機していることが多い。ハッキング技術は劣るが誠也はマインドスキャンという嘘発見器能力がある上に相手のデッキ情報から相手の戦術などを憶測する能力をもつ。これはバックアップする上で極めて重要な体質だった。必然的に有事の時は草薙の隣で待機することが多い。デッキデータさえあれば思念から相手を読み取ることも可能なのだ、イグニスのアーカイブたるHALと手を組めば絶大な威力を発揮する。このとき和波はマインドスキャンを解禁している。傍にいる人間の心の声が流れ込んでくる体質なのだ、草薙は取り繕うのを初めから放棄していた。


「和波です、どうしました?」


息を切らして走ってきた和波に草薙は座るよう促す。すでにコーヒーが用意されていることに困惑しながら誠也はうなずいた。


「草薙さん?どうしました?僕にできることはありますか?」


心配そうに誠也は草薙を見上げる。遊作といい、誠也といい、どうしてこうも被害者であるこいつらはいいやつなんだと遣る瀬無くなる。


「ああ、ある。誠也くんにしかできない大事なことだ」

「はい、なんでしょうか」

「これは、誠也くんか?」


SOLテクノロジー社のコンピュータから強奪したデータを表示する。大規模な停電に伴う壊滅的な被害の連鎖の果てにひとつの研究室が一夜にしてなくなっている。


「あ、はい、そうですよ」


あまりにも呆気なく肯定され、草薙は汗がつたう。


「この電気反応は定期的に遊作や俺の弟のVR端末に飛んでるんだが、なにがあったんだ?」

「さすがですね、草薙さん。ボクの正体に気づいてくれたんだ」

「誠也くん、君は」

「どうせ正体がバレるならどっちかがいいなと思ってたから嬉しいよ」

「やっぱり君はゴーストなのか」

「うん、そう、ボクがゴースト。見つけてくれたお礼に教えてあげるよ、ボクが知り得ること全部。ねえ、なにがいいの?」

playmakerとのデュエルでいつも見てきた挑発めいた眼差しに草薙は口元が釣り上るのがわかった。

「なんで俺たちに近づいた」

「HALがどうしてもっていうから。あとはボクが遊作くんたちが好きだからだよ」

「デュエルが強いから、か。単純明快だな」

「でしょ?でもそれだけじゃないよ。気になってたんだ、ボク置いて先に解放されちゃったみんなどうなったのかなって」

「恨んでるのか」


誠也は首を振る。


「気になってた、それだけ」

「俺たちの状況聞いてどう思った?」

「遊作くんたちも地獄だったんだなって思った」


誠也は淡々としたものだ。それが防衛本能なのだと草薙は思う。草薙が感情を吐露するとき、大抵和波は黙り込んだままなにも言わない。無表情のまま待機している。それは少なからず草薙にとって罪悪感と同時に安堵を覚えるものだった。誠也と草薙の弟が置かれた状況は違うし、優劣つけるものでもない。ただ話を聞いて欲しいときはあるのだ。聞き流して欲しいこともある。和波は何も言わない、草薙の感情がわかりきっているのにだ。それがありがたかった。


「××くんのことが聞きたいんだよね、草薙さん」

「ああ」

「いいよ、教えてあげる」


和波から語られる弟の誘拐された直後の状況。一週間後、一ヶ月後、そして廃人になったころの状況。いずれも和波が発狂寸前になるたびにフランキスカにほかの人間を見せられて、自我を取り戻すたびに連れ戻される日々の中での断片だ。草薙は力任せにテーブルをたたいていた。初めて会ったばかりの遊作に対する八つ当たりを思い出してしまう。状況的に和波にどうしてをぶつけることは不可能だ。和波は実態をうばわれた幽霊状態、弟と交流を深めてデュエルを代行することで廃人化は遅れたが、それは和波の連れ戻しで終わる。なにもできないまま廃人になっていく弟を見ることしかできなかったのだ、和波は。デュエルにいくら勝って待遇を良くしても精神が死ねば戻らない。草薙の脳裏に強烈に焼き付いて離れない光景がある。和波が縋り、何度も呼びかけるのは容易に想像ができた。伝う涙を乱暴にぬぐい、草薙は和波の腕を引いた。びく、と体が縮こまる。


「なんでアンタは耐えられるんだ、和波誠也っ……!おかしいだろ、おかしいだろっ……!なんでアンタは平気で××はダメなんだ、なあ」


かろうじて聞き取れたのはそれだけだった。聞こえてくるのは嗚咽だ。和波は静かに目を伏せた。


「ごめん、ごめんな、誠也君。今日だけは許してくれ、二度と言わないからな」

「いいよ、覚悟はできてるもの」




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