愛しく苦しいこの夜に 車窓から見慣れた風景が見えるようになると、私もマスターも口数が少なくなった。ついに来てしまった…いや、やっと来ることが出来たんだ。静かな空間の中、大きく鳴る自分の心臓の音だけが聞こえる。 「身分証明書の提示と、車内を少し拝見させて頂いても宜しいですか?」 街にはいつものような賑わいは一切無く、しんと静まり返っていた。時々ジュンサーさんたちの声がするくらいだ。長い検問が終わるとマスターの知り合いの家まで車を降りて徒歩で行くことになった。もし私たちがロケット団の仲間だったとして車で暴走されたら困るから、だそうだ。 「…」 見ないようにしていた、のに。 ふう、と呼吸を落ち着かせると私はゆっくりとそれを見上げる。 マグを持っている手が少しだけ、震えた。 14:00 「いらっしゃい」 マスターの知り合いはコガネでフォトスタジオを経営している人で、マスターと同じような雰囲気を持っていてとても頼りになりそうな人だ。 「で、君がそのチャレンジャーってわけだ」 「はい」 「連絡があったあと、いろいろ考えてみたけれどやっぱり方法は一つしか思いつかなかった」 「…はい」 「これを着て、団員のフリをする。それしかないね」 「え…これって…」 そう言って手渡されたのは、ロケット団員たちが着ていた彼らの制服だった。なぜこの人がこれを? 「団員には君みたいに若い子もけっこういるみたいだからバレはしないと思うけど…もし仮にバレたとしたら、はっきり言って命はないと思った方がいいよ」 「命は、ない…」 「恐い、死にたくない、そう思うなら絶対に行かない方が良い。何かあった後で帰ろうたって無理な話なんだ」 「……」 「それだけじゃない。いずれジュンサーたちがラジオ塔内に突入する時が来るだろう。そのとき君は、犯罪者の仲間と見なされる。きっと何を言っても信じてもらえないだろう」 「イチコちゃん、すまない。俺も軽く考えすぎていたよ。彼の元に行くにはリスクが大きすぎる…やはり、諦めるしか、」 「…少しだけ、考えさせて下さい」 そう言って私は外に出た。顔を上げれば見える、街の中心にそびえ立つあの塔に彼はいる。私が何もかも捨てていけば、きっと会えるはずだ。 諦めるなんて選択肢は、私にはもうない。 店の中にいる二人には何も告げず、私はそのままラジオ塔の方向へと歩きだした。手には奥さんのマグ、ときどきすれ違うジュンサーさんたちにすぐに家に戻るよう注意されたが、そのたび言い訳をしてやり過ごした。ロケット団員のフリをして行くのが無理であれば、人質として中に入るしかない。どこかに潜んでいるロケット団員の目に留まれば、なんて淡い期待を持ちながらゆっくりと街中を進むと、 「そこのお嬢さん。ちょっとよろしいですかな?」 . . . ほんの一瞬の出来事だった。年配のお爺さんに話し掛けられたと思ったら、額にひんやりとした感触がして思わず「ひっ」と声が出てしまった。それが拳銃だと気付いたのはそのすぐ後で、足が震えて動けなくなり、恐怖で声も出せない。少しして前からジュンサーさんたちが来るのが分かった。 「おっと動くなよ。拳銃を捨てたら手を頭の上に置いて後ろを向いてろ。んー…30秒!30秒たったら動いてよし!」 たすけて、なんて言えなかった。恐い、逃げ出したいけれど、こうなることを望んだのは自分だから。 後ろにいるお爺さん…に変装してた人はきっとロケット団の人間で、彼を捕まえようと追いかけてきたジュンサーさんたちは私の所為で逮捕のチャンスを逃してしまったに違いない。 ごめんなさい…でも、これを逃したら、私、 「かー!楽勝楽勝!人質ってもんはこう使うんだな…」 「…あ、あの」 「お、悪かったなねーちゃん。もう帰っていいぞ」 そう言って紫色の髪をした男の人は私に背を向けて歩き出した。行かせちゃダメだ、この人にラジオ塔まで連れて行ってもらわなきゃ。 「あの!ロケット団の方ですよね?」 「さあな。だったらどうする?」 「ラジオ塔に…連れて行って欲しいんです」 「マジ?ぶっちゃけ今行ったら人質としてとっ捕まるだけだぜ?」 「会いたい人がいるんです。どうしてもすぐに会って、話したい人が…」 男の人は何も言わずに私の目をじっと見た。まさか、敵だと思われた? 「事情はよくわかんねーけど、別にいいぜ?」 「本当ですか!」 「あぁ。んじゃ、とりあえず地下通路に向かうか」 「はい!ありがとうございます!」 思わず笑顔になってしまった私を見て彼も「変わってんな、お前」と笑っていた。何だろう、さっきは拳銃とか出されて恐かったけど今は平気だ。話せば普通に面白くていい人だし、悪いこといっぱいしてきた人に思えないな…なんか。彼のおかげで気持ちが前向きになって、足取りも軽くなっていった。 大丈夫、きっと会える。 |