愛しく苦しいこの夜に

アポロさんが指揮している組織、ロケット団はマフィアだ。
人間でもポケモンでも自分たちに歯向かう者には容赦しない。カントーでの話を聞く限り関わること自体が命知らずな行為であり、それにマスターを巻き込んでしまうのかもしれないと思うと私が今しようとしていることは間違っているのではないかと頭が痛くなる。


「お腹すかない?きっと朝はなにも食べないで出てきたんでしょう?」


私も朝はぜんぜん食欲わかなくてね、そう言いながら奥さんはサンドウィッチを出してくれた。そういえば何も食べてなかった…


「いただきます」
「…イチコちゃん。本当は私も貴方たちとコガネに行きたいんだけど、あの人が許してくれなくてこんなことしか出来ないんだけどね」


奥さんがカウンターに置いたのは一本のマグ。前にマスターが保温効果を褒めていたものだ。

これは何かなんて聞かなくても分かる。
中身は、きっと、


12:00


展望台から、街で見張りをしていた団員が少しずつ減っていくのを見た。
タイムリミットがあることぐらい自分でも分かっている。…あと少し。もう少し待てば、あのお方はお戻りになるに違いない。塔内ではいつの間にやら小さなネズミが侵入して人質を解放しようとしているらしいが、そんなことなどさせるものか。


『チョウジのガキだよ、チャンピオンと組んでた…早いうちにやっとくか』
「いえ、今日は誰一人として手に掛けることは許さないと言ったはずでしょう」
『あーそうだったな。そういや局長のオッサン地下通路に閉じ込めといたから』
「分かりました。キーはお前が預かっておいて下さい」
『りょーかい』


以前、新聞で読んだ局長のインタビュー記事の「展望台から見たコガネの夜景は最高だ」という一文。本当ならジョウト全体を支配し、何もかもが我々のものとなった時、それを見たかった。

私は無力だ。


「分かっているんだ…」


少しだけで良い、何も考えない時間が欲しい。そんなことを思うなど自分らしくないだろうか。


.
.
.


店の外から突然、車のエンジン音が響いた。気付けば店にマスターの姿はなく、奥さんが「そろそろかしらね」とつぶやいた。


「イチコちゃん待たせたな。出発しよう。これからのことは車内で話す」
「はい!」


私は自分の鞄とカウンターの上にあったマグを手に持ち立ち上がる。隣にいた奥さんも私と一緒に立ち上がり店の外まで見送りに来てくれた。

静かな路地裏、マスターの車のエンジン音だけが響く。


「これ、冷めないうちに渡せるようにがんばります」
「ありがとうね、イチコちゃん。彼にも会えたらありがとうって伝えてもらえるかしら」
「…はい。必ず」


奥さんはまた涙を流していたけれど最後まで笑顔だった。


「まずコガネに行くのは問題ないみたいだ。路上にいたロケット団はジュンサーたちがなんとか制圧出来たらしい」
「はい…」
「問題はラジオ塔へ行く方法だ。知り合いがいい方法があると教えてくれたんだが、これは一歩間違えれば命の危険に晒される可能性もある」
「命の危険…」
「他にも方法がないか探してはいるんだが、今のところその方法しか思いつかない。コガネに着いたら知り合いと会ってもう一度話し合おう」
「マスター」
「なんだ?」


「このマグの保温効果ってどれくらいですか?」


命の危険に晒されたとしても、今すぐにでも彼の元へ行かなくては。
自分の抑えきれない気持ちと、この手にある温もりのために。


 


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