愛しく苦しいこの夜に

1つ前の駅で列車を降り、慣れない道を小走りに進む。途中泣きそうになったのを必死に抑えて店の扉を開けた瞬間、テレビから聞き覚えのある声が耳に入る。


『我々ロケット団は、今ここで復活を宣言する』


夢であればいい、そんなことを思うことすら出来なくなって脆くなった心の行き場はもうなくなってしまった。



08:00



店にお客さんは1人もいなかった。そういえばまだ準備中の札がかかってたっけ。


「来ると思ってたよ」


まあ座りな、とマスターは私をカウンター席に招いた。私は奥のカウンター席、いつも彼がいた席の隣に腰掛け、マスターの言葉を待った。


「イチコちゃんは強いな。うちのはテレビを見て泣き出してさ。目が真っ赤だから顔洗ってから来るってよ」
「…そう、ですか」
「騙されたよなあ。予想の斜め上にいってな」
「マスター、わたし、」
「頭の良い彼が並大抵の覚悟でこんなことしでかすわけない。俺たちには想像出来ないくらいの信念があったんだろうな」
「…」


「もう遅いんだ、イチコちゃん」


その一言で、ぼやっとしていた視界がいっきに鮮明になる。


「……っ…」


本当は、分かっていた。

あのとき、テレビで彼の姿を見つけた瞬間、もう全てが遅いのかもしれないと。私が今から何をしたって無意味だということも。でも、それでも、どうしてもあの人に会って話をしたかった。



アポロさんの声が、聞きたかった。



.
.
.


――目を瞑る度に、思い出す。
あの店でコーヒーを飲んでいた間抜けな自分の姿、
何度口にしても飽きなかったあのコーヒーの香り、
純粋無垢な笑顔の少女を。


「珍しいわね」
「何がですか?」
「アポロからコーヒーの香りがしない」
「あぁ…」


悪人は死ぬほど嘘を吐く。
そんな言葉をいったい誰が言い始めたのか。人間は誰でも嘘を吐くが、吐いた嘘の大きさによって善人か悪人かが区別され、どうやら自分は悪人の域に存在しているらしい。

彼女は嘘を吐く人間が嫌いだと言った。そんな彼女に私はいくつもの嘘を吐いた。
真実を知った彼女はきっと私を忌み嫌っただろう。
悪人だとひどく軽蔑しただろう。


「下にいるジュンサーの数が増えてきました。そろそろ待機させている団員たちを向かわせて下さい」
『りょーかい』『了解』


展望台から臨むこの景色を見せても、きっともう彼女が私に微笑むことはない。


「…」


それでも私は自分を、あの方を信じて生きていくしかないのだ。




(たとえそれが彼女の笑顔を奪ってしまうとしても)




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