愛しく苦しいこの夜に

『お客様にお伝え致します。当列車は、ただいま発生しておりますラジオ塔占拠事件においてお客様の安全を確保する為、コガネステーションには停車せず、一つ前の××ステーションを終点とし再びヤマブキシティ方面へと向かいます。理解のほど、よろしくお願い致します』

列車に乗り込んでまもなくこの放送が流れ、急いで他に交通手段はないかと探したがきっと何処かで足止めされることは変わらないだろう。

…このまま、時が経つのを待つだけしかないのかな。
そんなの嫌だ、どんな方法を使ってでもラジオ塔まで行って彼に会わなくては。


会って、話をしたい。


「…そうだ」


一つ前のステーションからお店へは歩いて20分くらいで行けたはず。マスターは頭が良いから、もしかしたらコガネに行ける方法を考えてくれるかもしれない。…いや、きっと「諦めろ」と言われる確率の方が高い。

それでも諦め切れない私が最後にどんな行動に出るのかなんて、自分でも分からない。


07:30


―――アポロさん、

私があの人の名前を知ったのは、彼が急用でお店に来れなかった次の日。
私が喫茶店に行くとすでに彼は奥のカウンター席に座ってコーヒーを飲んでいた。また見とれそうになったのを自分で制止して、挨拶をする。


「こんにちは」
「ああ、昨日の…」
「イチコです。昨日からこのお店で働かさせて頂くことになりました。よろしくお願いします」
「こちらこそ。私はアポロといいます。先週コガネに越して来てから、この店には毎日通わせて頂いてます。とは言っても昨日は急用で伺えませんでしたが」


アポロさんっていうのか。外見から想像してた名前とはちょっと違うけど、素敵だ。ていうかたぶん彼がどんな名前でも私は「素敵だ」とか言ってそう。ああやっぱりイケメンってずるい。こうやって何でも許されてしまうのだから。

ずるい!と私が一人でぼやいていると横からマスターが入ってきてアポロさんと話し始めた。


「なんだ、お兄さん越して来たのか。てっきり出張で来たのかと思ったよ」
「ええ、大きなプロジェクトがあるので長期滞在する予定です」


プロジェクト、か。見た通りのエリートサラリーマンなんだなあ、きっと。デボンコーポレーションとか、もしくはそれより大きい会社に勤めてたりして。


「へえ。じゃあそれが無事に成功したらうちでお祝いをしよう。な、イチコちゃん」
「えっ?あ、はい!応援してます!」


アポロさんは私たちの言葉に一瞬、驚いたような顔を見せたがすぐに優しく微笑んで「ありがとうございます」と言った。

うわあ…ずるいよこの笑顔。女の子なら一瞬で恋に落ちそう。いや私も女だけど、恋とかそんなんじゃないと思うし。でもこんな素敵な笑顔、見れるなんて幸せだ。

もっと仲良くなって、アポロさんのこと知りたいなあ。


.
.
.


それから暇を見つけてはアポロさんに話し掛けて、少しずつ彼のことを知ろうと頑張った。もちろん仕事が最優先だからいつも一言、二言、しか話せなかったけど。それに、アポロさんもここでの時間を大切にしているみたいだったからそんなに邪魔も出来なかったし。

そんなある日のことだった。


「イチコさん、」
「…はい?」


初めて名前で呼ばれた私は心臓をばくばくさせながら彼の元へ向かった。いつも通りの、優しい笑顔のアポロさんだ。


「花は何がお好きですか?」
「花…ですか?」
「ええ」


花…たまに目にするくらいだからあまり種類を知らないし、とくに好きな花なんてない。あ、でも、


「バラ、ですかね」
「なるほど…バラは私も好きです」
「本当ですか?」


バラはアポロさんに似合いそうだなって思ったんだよね。キレイで、大人な雰囲気の花だから。アポロさんは私にそれだけ聞くと「仕事中にすみませんでした」と言って、再び手に持っていた資料に目を通し始めた。急になんだったんだろう?

この会話の意味を知ったのはだいぶ先のこと。





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