愛しく苦しいこの夜に

テレビの画面が滲んではっきり見えなくなり、しだいに音も遠くなっていく。私が恋していた彼はいつでも穏やかな顔をしていたから、画面に映る別人のような彼を見るのが辛かった。

彼は今、何を考えているんだろう。
気付いたら私はコガネシティへと向かっていた。



06:30



あの人と出会ったのは半年前。
コガネの外れにある喫茶店に珈琲豆を買いに行った時、初めて彼を見た。

綺麗な人。
第一印象として感じたのはそれだけ。空色の髪にそれより少し濃い青の瞳、まつげはきっと私よりも長くて顔立ちはとても端正。スーツで身を包みコーヒー片手に書類に目を通す姿はとても様になっていて、やっぱり綺麗だった。


「お、いつものかい?これでも飲んで待ってな」
「こんにちは。ありがとうございます」


マスターが淹れてくれるコーヒーはいつ飲んでも苦くて、自分はまだまだ子供なんだなあと実感する。たくさんのミルクと砂糖がないと口をつけることも出来ない。同じカウンター席の奥にいるあの人を見ると、彼はそのコーヒーに何も入れずに飲んでいる。やっぱり大人だ。まだ苦さの残るコーヒーをちびちびと飲みながら色々なことを考えていると、後ろからトントンと誰かに肩をたたかれた。


「イチコちゃん、来てたのね」
「あ、奥さん。こんにちは」
「あのお客さん気になるわよねー。あんないい男、この辺じゃめったに見掛けないわよ」
「ですよね…ずっと見とれちゃってました」
「先週ぐらいに初めて店に来て、それからずっと毎日来てくれるのよ」
「ここのコーヒーが気に入ったんでしょうね。私の両親も仕事がなければ毎日でも来たいって言ってます」
「まあ、嬉しい。そういえばイチコちゃんはアルバイトとかしてる?」
「してないです。けどそろそろスクールにも慣れてきたし、探そうかなと思ってます」
「じゃあちょうどいいわね。うちで働かない?時給はコガネ並に出すから!」


.
.
.


奥さんの申し出に私は即答した。

だって、ずっと憧れていたから。好きなコーヒーの薫りに包まれながらお仕事が出来るなんて。それにおまけと言っちゃなんだけど、あの綺麗なお兄さんを毎日見れるし。なんて贅沢なんだろう。

今日は喫茶店に初出勤。そのせいかスクールからの帰り道もいつもより足取りが軽い。


「まったくお前は何をしているのですか」


お店のある路地裏に出ると人通りの少ない静かな空間の中に誰かの声が響いた。後姿しか見えないけど、つい最近見たことのあるような、この感じ。
あの空色の髪って、

通り過ぎる間際にさりげなく顔を確認しようとしていたら、振り返ったその人とばっちり目が合ってしまった。


「あ、」


うっかり声も出てしまい、この後なんて言ったら良いのか分からなくなってしまった。一人であたふたしていると、相手・喫茶店で見掛けた綺麗なお兄さんは顔色を少しも変えることなく「何か御用ですか」と言った。

すごい無表情だ。なんか恐い。それでもやっぱり綺麗だけど。


「あ、あの、わたし、あの喫茶店で今日から働くことになって、それで」
「ああ、そうでしたか。残念ですが今日は伺えそうにないので挨拶は後日に」
「お忙しいときにすみません!」
「いえ、お気になさらず。ではまた」


去り際に彼が浮かべた微笑とふっとした煙草のような香り。
今まで感じたことのない感覚がして、左胸で心臓がいつもより大きく鳴っていた。



(きっと大人の男性をまだ知らない私には刺激が強すぎただけ。)



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