愛しく苦しいこの夜に

アポロさんはここにくるのが日課だと言っていた。だから私もだいたい決まった時間にくる彼を毎回心待ちにしていた。けれど、今日はどうやら忙しかったみたいだ。閉店間際になっても彼は現れない。


「そろそろ閉めようか」


店内の片付けをしながらぼーっとアポロさんのことを考える。ちゃんとごはん食べてるかな、体調を崩したりしていないかな、とか。1日来なかっただけで大袈裟かもしれない。けど最近アポロさんは店に来ても元気がないような気がする。…まあ、もともとそんなおしゃべりな人ではなかったけれど。


「こんばんは」


一杯だけ宜しいですか、と少し息の上がったアポロさんが来るとマスターと奥さんはとても嬉しそうな顔をして彼を特等席まで招いた。
自分もきっと二人と同じような顔をしているに違いない。

4人で過ごすこの時間が私は大好きだ。



Some:day



静かな店内、マスターが淹れた珈琲にゆっくりと口をつけるアポロさんを私は隣からちらちらと見ていた。
あまり見すぎると怪しまれるし。笑っているアポロさんが1番好きだけれど、珈琲を飲んでいるアポロさんも好きだなあ。


「御馳走様でした」
「なあ、あんまり無理するなよ」
「そうよ。連絡さえくれれば会社まで持っていくのに」
「いえ、この珈琲をここで頂くのが好きなんです」
「あ、それわかります!」
「イチコちゃん、珈琲をまともに飲めないくせによく言うよ」
「マスター意外と意地悪ですね…雰囲気が違うと味も違うんですよ、きっと!」
「確かにそれはあるわね。…あら、もうこんな時間!イチコちゃん、そろそろ帰らないとご両親が心配するわよ」


奥さんの言葉で私はすぐに腕時計を見た。門限はないけど、あまり遅くなって心配掛けるのは避けたいし…
アポロさんともっとお話ししていきたかったけど、今日はもう帰ろう。


「私も今日はこれで失礼します」
「あらそう…あ、それなら!ついでと言っちゃなんだけど、イチコちゃんをステーションまで送ってもらってもいいかしら?」
「えっ私1人でぜんぜん平気ですよ!」
「なに言ってるの。イチコちゃんは年頃の女の子なんだから、こんな遅い時間に1人で歩いてちゃ危ないでしょう」
「で、でも…」
「私は構いませんよ」
「決まりだな。はい、じゃあ店閉めるぞ。さあ帰った帰った」
「マ、マスター!」


締め出しってこういうことを言うのかな。
アポロさんと二人、店から追い出されて急に二人っきりになってしまった。
どうしよう。考えてみれば二人きりなんて初めてだ。


「行きましょうか」


しんと静まり返った空間に彼の声だけが響く。
それがとても心地よくて緊張が少しだけほぐれたような気がする。
薄暗い街灯に照らされた彼は優しい顔をしていたけれど、やっぱりいつもとは違うような感じがした。



.
.
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二人きり。
何を話せば良いのか分からなくなって、とりあえずこの間店に来たおかしなお客さんの話をしてみた。アポロさんはクスッと笑ってくれたものの、やっぱり話が続かない。こんな機会は二度とないかもしれないのに。


「お仕事、大変そうですね」
「…ええ、まあ」
「あとどれ位かかりそうなんですか?」


何気なくした質問に、彼の表情が変わった。無表情だ。初めて会話したときと同じ、あの恐い顔。


「もうじき終わります」
「そうなんですか…?」
「長い道のりでした。その間、支えてくれた仲間とイチコさん方には感謝しています」
「そんな!私はなにも…」
「いえ、あなた方がいなければ私はここまでやって来れなかったかもしれない」


アポロさんの無表情は変わらない。
彼が何を考えているのかは分からないけれど「ありがとうございます」という言葉に私は胸を撫で下ろした。




「イチコさんは、嘘を吐く人間をどう思いますか」




彼と目が合った。いつもなら胸が跳ね上がるほど嬉しいはずなのに、今日は何か違う。
今までの話とは何の脈絡のない質問にどんな意図があるのかと深く考えすぎて、すぐに答えが出せなかった。


「私は嫌いです」


けれどどんなに考えても意図なんて見えるはずがなくて、結局は自分の素直な気持ちを伝えるしか出来なかった。
私の答えを聞いたアポロさんは何も言わずゆっくりと微笑んだ。…とても寂しそうに。


「アポロさん…?」
「急におかしな質問をしてすみません。少し、気になっていたもので」
「誰かに嘘を吐かれたんですか?」
「いえ、そういうわけでは…ただ、貴方がどう思うのか知りたかったのです」
「…悲しいです」
「…」
「自分が嘘をついても良い存在だと思われていることが、悲しい」


彼に何があったのかは知らないけれど、私まで悲しくなってきてしまった。
どうしてそんなに寂しそうなんだろう。


「すみません」
「どうして謝るんですか?」
「貴方にそんな顔をさせてしまったからです」
「アポロさんも、寂しそうな顔してます」
「私はこういう顔しか出来ないのです」
「…今、どんな気持ちですか?」
「こんな夜遅く、若くて綺麗なお嬢さんと歩いて援助交際などと誤解されないか不安です」
「アポロさん!」
「冗談です。ほら、ステーションが見えてきましたよ」


そのあとアポロさんはずっといつもの優しい笑顔だった。
これ以上わたしに何かあったのかと聞かれるのが鬱陶しくなったのかも。
いや、きっと彼がそんなこと考えているわけないけど。
いつか彼が悩みを打ち明けてくれるような存在になれたらいいなあ、なんて。


「今日はありがとうございました!」
「いえ、こちらこそ」
「体調に気を付けて下さいね」
「ありがとうございます。イチコさんも、お元気で」
「はい」


「ではまた」


改札口で見送ってくれた彼を見て付き合いたての恋人同士みたいだなあ、と妄想していた私はやっぱり子供だなと感じた。
結局、彼の言葉の意味を最後まで考えなかった。



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『現場上空のカメラと中継が繋がったようです。どうやらこの人物がラジオ塔占拠の指揮をとっている人物ではないかとの情報が入っております。20代から30代と見られる男性です』



彼の嘘に気付いたのは、だいぶ後のこと。










(その嘘はあまりにも大きすぎて、)




 


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