愛しく苦しいこの夜に 塔内で我々の邪魔をしていた少年が私の元へ向かってくると仲間から無線が入った。 別に焦ることはない。 ここで私が返り討ちにしてやればいいだけだ。 「……」 手の震えが止まらないのは、恐怖からくるものなのか。それとも、自分が負けたらまた同じ繰り返しだというプレッシャーか。 何があろうと私が恐れ戦いてしまったらその瞬間、サカキ様のいないロケット団は終わりを告げる。 だが、サカキ様がお戻りにならない今。 このような状況の中いつまでもここに在り続ける理由もないのではないか。これ以上部下を失うのも避けたい。 ……頭が割れるように痛い。 「ランス、ラムダ、アテナ。…我々の待ち人はもう来ない。全団員に緊急時マニュアルの通りに行動するよう伝えて下さい。たとえ私が彼に勝ったとしても、人質のいない状況下でここに在り続けることが不可能なことはお前たちも分かっているでしょう」 しばらく待っても3人からの応答はなかった。 背後からエレベーターの動作音がする。 ……彼か、それとも彼女か。 18:00 「イチコさん」 先に私の元へたどり着いたのは、彼女だった。 いつの間にか、震えが止まらなかった手がおとなしくなっている。 「またお会い出来るとは思いませんでした」 暗い展望台、やっと表情まで分かる距離に来た彼女に笑顔はなかった。 当たり前か。私が彼女をそうさせたのだから。 今にも泣き出しそうな顔をしている彼女を真っ直ぐ見ることが出来ない自分は、なんて卑怯な人間なのだろう。 「私もです」 「驚かせてしまってすみませんでした。あのお二人も…私に失望していたことでしょう」 「そんな!マスターは私をここまで連れてきてくれたんです。奥さんもこれをアポロさんにって…もう冷めてしまったかもしれないけれど」 そう言って彼女が差し出したのは、見覚えのあるステンレス製の容器に入った何か。 聞かなくても分かる。きっとこれは彼らと自分とを繋ぐ唯一の――― 「それを受け取ることは出来ません」 そう言ってこれまでも、これからも使うつもりのなかった一丁の銃を取り出す。 彼女の顔が少し強張ったのが分かった。自分は今どんな顔で彼女に銃口を向けているのだろう。 「私がロケット団という組織の人間であるから。それだけでは理由になりませんか?」 泣かせてしまうかもしれない。はやくこれを下ろさなくては。 だが、彼女が発した言葉にタイミングを失ってしまった。 「ありがとうって、奥さん言ってました」 「…」 「アポロさんがロケット団の人で、何をしようと、それと奥さんの気持ちは関係ないと思います」 耳を塞ぎたくなるような言葉を彼女は次々と口にする。 「…そんなことないです。私も、アポロさんには感謝しているんです」 これ以上、そんな言葉をくれるな。 「私が今までどれだけのポケモンと人間を殺めてきたのか、ご存知ですか?」 自分が今どんな顔をしているのかなんて想像も出来ない。 私の言葉を聞いて、さっきまで無理をして明るく振る舞っていた彼女の顔から再び笑顔が消えた。 組織が目的の為にポケモンや人間を殺めることはあったが、今まで自分が手を下したことはない。 部下に指示を出したことは…記憶にはないが、あったかもしれない。 どっちにしろ自分が殺めたのと同じこと。 彼女は黙ったままだった。 そんな悪人と短い期間でも同じ空間にいたことに恐怖を感じているのかもしれない。 「もしそうだったとしたら…たしかに、感謝なんて出来ないかもしれないです」 「そうでしょう。想像してみて下さい。親族を殺めた人間が目の前にいて、珈琲を飲みながら何事もなかったように笑っているとしたら」 「やめて下さい…そんなこと、考えたくない…!」 「考えて下さい」 そうだ、自分のような人間に感謝など述べるべきではないと気付け。 そしてすぐにここから逃げ出して今までのことを忘れるといい。 「嫌です」 「それが、私という人間なのです」 目に涙を溜めた彼女はきつく私を睨む。どうやら希望通りには動いてくれないようだった。 …いつまでも睨み合っていても仕方がない。 彼女には一刻も早くここから逃げ出してもらわねば。私に関わっていたという事実を世間に知られてはいけない。 どうしたら彼女は分かってくれるだろうか。 「…」 最高であるはずのコガネの夜景は、いたるところで光る赤いライトのせいかまったく良い景色には見えなかった。 もちろん彼女にこんな景色は見せたくない。 銃を下ろしても彼女が逃げようとしないのを見て安心した自分がいる。 …彼女が私に恐怖し、軽蔑されたら伝えるのは止めようと考えていた。 今さら伝えたところで彼女を苦しませてしまうことは分かっていたからだ。 「あの店は明るくてあたたかくて嘘偽りのない世界で、あの店にいるとき自分はありのままの姿でいられた気がします。ですが、それと同時に自分のいるべき世界ではないと感じました」 一瞬でも、何も考えず自然と笑えるような時間をくれた。 組織にいる自分とは違う自分に気付かせてくれた。 サカキ様以外の人間の為に何かをするということに喜びを感じた。 自分に足りなかった何かを与えてくれた。 「私もあのご夫婦と貴方には感謝していますよ。一瞬でも自分という人間を受け入れ、必要としてくれたことに」 この思いがあったことだけは、彼女とあの夫婦には分かってほしかった。 彼女は泣いている。 伝えれば、優しい彼女は泣いてしまうんだろうと分かっていた。 それでも、もう二度と会えないかと思うと伝えずにはいられなかった。 最後にあの笑顔を見たい。 そう彼女に伝えようとした瞬間、彼女の口から想像もしなかった言葉が出てきて 「好きです」 自分はなんてことをしてしまったんだろうと後悔した。 |