おおきくなるっていうことは、




急募:親族がヤクザ屋さんになっていた時の対処法。
なんて文字が、頭の中を高速で過ぎっていった。
現在目の前に居るのは、ワインレッドのシャツに質の良い黒いスーツを纏った大柄な男。彼は焦る私とは打って変わって、それはもうニコニコと、心の底から嬉しそうに姉弟の再会を喜んでいた。

「また会えて嬉しいよ、姉さん」

黒く鋭い瞳が弓形にしなる。
首にぶら下がる厳ついネックレスが照明の光を反射して、鈍く瞬いた。
私はそんな、あからさまに物騒な見た目になってしまった弟を見つめながら、震える喉に力を入れて声を出す。

「大きく、なったね……」

座っていても分かる背の高さ、胸板は厚く、窮屈そうに折り曲げられた脚はいったいどれだけ長いのか。
彼は、幼少期に親の都合で離れ離れになった私の弟、傑くん。

私が長いこと忘れていた、私のことを小さな頃に大好きと言ってくれた弟である。

………

遡ること数ヶ月前の話だ。
大手飲料会社の運営する地方の工場にて総務の仕事を請け負っていた私は、色々あって研修も兼ねての本社勤めになった。
故郷の山々と澄んだ空気に別れを告げ、遠路遥々地元とは比べ物にならない程栄えた都会へと少ない荷物を持ってやって来たわけである。
しかし、経済の低迷、働き方改革、その他諸々の要因が重なった結果、私は「若いから次がある!」という謎にポジティブな理由で集団リストラに抜擢された不幸な一名となってしまったのだった。
その後、失業手当などの様々な国の制度を活用しつつ、貯金を切り崩してハロワに通う生活を続けること数ヶ月。三社受けて三社落ち、もう有期契約労働者でもいいから働き口を探そうと足掻いていた所に現れたのが、空調設備会社らしき不透明な情報をした会社の事務職募集の知らせだった。
藁にもすがる思いで応募したのが一週間前のこと。
念入りに面接練習を行い、スーツも靴もピカピカにして、私は指定されたビルへと革靴を鳴らしてやって来た。
何だかやたら厳ついお兄さんが案内してくれるな、だなんて思っていたら、通された部屋の先で出会った相手が"ザ・ヤカラ"といったような男だった。
そして、その男から開口一発言われた言葉が次の通りである。

「姉さん…会いたかったよ」

言葉を失い、表情も失う。
人間、理解し難い現実に直面すると頭が働かなくなるのだろう。私はその場に突っ立ったまま、練習した面接の回答全てが何の意味も無くなったのだけを理解した。

そんなこんなで、幼少期振りに再会した弟はヤクザになっていたのだった。

そっか、うーん…そっかぁ…ヤクザかぁ…。
怖いとか逃げたいとか、そういう感情よりも先に、幼少期の弟の可愛い夢や眩しい笑顔を思い出す。
傑くん、幼稚園生の時は将来の夢に「おねえちゃんと、けっこんしたいです」とか言ってたのにな…。あんなにフニフニのフカフカで小さくて可愛かった弟が、ツリ目ロン毛ヤカラスーツのドデカヒューマンになってしまった現実へのショックの方が、正直大きい。

質の良いソファに深く腰掛ける彼の体型を見れば、自分の貧相な体型と全く似合っていないビジネススーツに腹が立ってきた。
傑くん、もしかしなくても私よりバストサイズが大きいのでは?ついでにお尻も大きく見えるんだが…なんか全体的にムチィッとしている。これもそれも全てはヤクザになったからなんですか?

「姉さん」
「あ、はい」

現実逃避をしていた脳に、低くなった弟の柔らかい声が入ってくる。

「一緒に暮らそうか。ああ勿論、姉さんは働かなくていいから」
「いや、あの、」
「家族は一緒に暮らすのが一番だからね」

再びニッコリと微笑まれ、念を押すように「ね?」と言われてしまえば何も言えない。
ああ、私はなんて憐れで無様な人間なのだろうか…でも正直、働かなくて良いという言葉だけ聞くとグラつくとこがある。意思が弱すぎる。この駄目人間が。

だってほら、現実を見てほしい。
新卒採用から数年間頑張って働いてきた会社から、理不尽な理由で遠慮無く首を切られ、せまっこいアパートで安い添加物まみれの菓子パンを食べ続けて飢えを凌ぐ生活。安くしたシャンプーのせいで髪は軋み、毎日通帳とにらめっこ。
一方全うな稼ぎ方をしていたないであろう弟は、丸が何個付くのか想像も出来ないスーツを着て、ムチムチワガママボディとなって登場だ。
貧富と胸囲の格差社会がここにはあった。
まともにやってらんねーよバカタレが、頑張ってきたのがアホみたい…とか思っちゃっても、仕方無い気がしないでもないような。

「あの、でも、掃除くらいはするよ」
「ハウスキーパーを雇ってるから大丈夫だよ」
「じゃ、じゃあ…クッキーを焼きます…」
「え?姉さんが私にクッキーを?」

それくらいしか出来そうなことが無いんで…。
クッキーを作るのが唯一の特技と言っても過言ではないので…あと出来そうなことは、シャボン玉をでっかく膨らませて吹くくらいしか…私にはもう……。

自信無く、声を落として言った提案は、しかし傑くんにとっては嬉しいことだったらしい。
先程までの計算したかのような笑みから一転、無邪気な笑みを覗かせながら、「嬉しいよ、本当に嬉しい」と言って椅子から立ち上がってこちらに近付いて来た。

「これからはずっと一緒だよ、姉さん」

両脇に手を入れられ、いとも簡単にヒョイッと身体を持ち上げられる。
そうしてそのまま腕に抱かれ、奥の扉へと傑くんはご機嫌そうに歩き出した。

入ってきた方の扉。
つまりは、今までの当たり前だった現実から、こちらの意思などもう関係無いと言わんばかりに引き離されていく。
名残惜しくなって後ろを振り返ろうとすれば、耳元で「こら」と囁かれた。

「外はもう、姉さんには関係の無い世界なんだから」

理解力の乏しいオツムは今もまだ、状況を正しく分かっていないのだが、そんな中で二つだけ理解したことがあった。

一つ目は、私はきっともう故郷の美味しい空気を吸えないだろうこと。

二つ目は………やっぱり弟の方がお胸が豊かなこと。
ついでになんか凄い良い匂いもする。

うーん………やっぱり、やってらんねぇよ現実!



短編


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