馬鹿と煙はお寿司がお好き


席に座るが否か、粉の茶を淹れて俺と自分の前に起き、醤油と箸をセットして、流れるレーンを真剣な眼差しで見てはメニューを見て…を繰り返し始めた上戸野は、悩みに悩んだ末に一皿目は海老にしていた。

「海老うまっ!」
「良かったな」
「身がプリプリで、でもギュッとしてて…噛めば噛む程海老の旨味が口に広がる…!そしてこのシャリも良い酢加減で文句無しです、美味しい!」

少し良い所の回転寿司屋。
サイドメニューは少ないが、その分ネタに拘ったこの店は上戸野がリサーチをして見つけてきた。
現在、俺達は伊豆滞在三日目。一日目は宿にて情報収集と疲労回復に務め、二日目も似たようなもん。そして三日目、追手も特に今は大丈夫だと判断し、こうして温泉宿から出て飯を食いに来ていた。

海老の次はブリ、ブリの次はカツオ、カツオの次はネギトロ…と、カウンター席の隣では早くも皿が積み重ねられていっている。俺はそれを横目に頼んだビールを飲みながら、ガリをつまみつつ光り物を食うなどしていた。

「それにしても…お前は本当良く食うな、美味いものだけは」
「美味しいは正義なので…」

頼んだ貝の味噌汁に口を付けた上戸野は、ズズッと啜ると、はあ…と幸せそうな溜息を吐き出す。
その姿を見ていると、どうにも腹の辺りが満たされるような心地になった。

上戸野はよく食べる。美味いものだけ。
温泉宿で出てくる朝と夜の飯は毎回完食しているし、何なら朝は白米を数回おかわりしている始末だ。
今日なんてとうとう、出されたおかずを使って自分でオリジナル丼を作って食っていた。あまりにも良く食うもんだから、俺の分の味付け海苔を渡してしまった。
そんな良く食べる上戸野を、宿の女将さんは「良い食べっぷりね〜!」と褒めて喜んでいる。

上戸野が潜伏先にと見つけてきた温泉宿は、値段の割には綺麗で静かな宿だった。
男女別の温泉があり、広さはそうでもないが、外風呂の作りがそこそこ良い。湯の効能が特別有名なわけでもないため、観光シーズンでない今は人も疎らだ。
部屋は一部屋で和室、布団は二組。朝食と夕食は食堂となっている居間のような場所で食べ、昼食は希望者に麺類等が振舞われる。
上戸野と俺はそんな宿に『訳ありの兄妹』として二週間程滞在することとなり、彼女は人前で俺の妹として器用に振る舞っていた。

「なあ、聞きたかったんだが」
「ん、」

甘エビを頬張り幸せそうにする上戸野に、俺はふと疑問に思ったことを尋ねる。

「なんでアイツらのこと毛嫌いしてたんだよ」
「アイツらって…五条くんと夏油くん?」
「そう、そいつら」

彼女は俺の方をチラリと見、それから茶を呑む。

「アイツらが問題児過ぎて、先生が構ってくれなくなったんですよ。私と先生が話してる時にすーぐ邪魔してくるし…」
「それは…アイツらがお前に構って貰いたかったからじゃねぇのか?」
「あ、え?そういうことなんです?」
「上戸野、お前もう少し他人の感情に興味持った方が良いぞ」

うそ〜〜、マジかそれ〜〜。と、イマイチ分かっていなさそうな反応をする上戸野は、マイペースに煮あなごとハマチの皿をレーンから取っている。

前々から思っていたが、コイツは周りの感情を一々気にしない節がある。興味が無いというよりは、深く気にしないのだろう。そもそも、他人にそこまでの関心を向けることそのものが稀なのだが。
だが、本人はそんな自分の一面を理解していない。理解していないから、今こんな状態になっているのだ。とことん馬鹿だと思う。

「やっぱ馬鹿と煙ってセットなんだな」
「聞こえてるからな伏黒甚爾ぃ」
「馬鹿過ぎて救えねえから、守ってやんねぇとなあ?報酬は術式使った首絞めセッ、」
「おい、それ以上言ったら武器代と旅費諸々請求するぞ」

昨日夜出歩いて行ったパチンコで盛大に負け、今日行った静岡ボートレース場でも負けた俺は、そう言われると黙るほか無かった。

というか、コイツだって派手にやりまくって色々処理や何やらに金使ってるんじゃなかったか?だったら、コイツも金無いんじゃねぇのか?と思った俺は、デカイあなごを一口で頬張り頬を膨らます上戸野の頬を人差し指でぶすぶすと突っつきながら、「お前はどうなんだよ、金あんのか?」と聞いてやった。
嫌そうな顔でジットリとこちらを見る上戸野は、モグモグと暫く咀嚼を繰り返し、ゴクッと口の中の物を飲み込んでから喋り出す。

「あの時裏で複数依頼を請け負っていましたし、情報もかなり仕入れられました。あと、この後一件仕事がある。全部合わせれば結構良い額が入りますね」
「まだ何かやんのか?働きモンだな、お前は」
「ね、誰かに褒めて欲しいものです」
「頭出せ、撫でてやるよ」
「生魚触った手で触ろうとしてくんな。というか、別に貴方に褒められたくはない、ウザい」

今日も今日とてしっかり俺を嫌ってくれる上戸野に、勝手に口角が上がった。そんな俺を見て彼女はさらに嫌そうな顔をして、眉間にシワを寄せた。

こうして一緒に居て分かるようになったことがある。上戸野水面は、信頼をこうして表現する人間なのだということを。つまりは、天邪鬼で捻くれたガキだということだ。
随分と、歪んだ信頼の置き方だと思う。けれど、この惨めで可哀想な女はこれが精一杯の示し方なのだろう。正しく相手にされ、愛された試しが無いから、他人への感情の寄せ方が分からない。そういう人の頼り方も甘え方も分からない不器用さを、手に取るように分かった。
何故ならば、自分もまた同じ根っこを持つ人間だからだ。

そしてさらに分かったことがある。
どうして、何故、そもそも俺はコイツに焦点を当てたのか。

それは、鏡写しのような人間が幸せになっていく様を見ていると、まるで自己のことのように満たされていくからだった。

自己投影、とも言い換えられるこの気持ちは、第三者視点で考えると物凄く気持ち悪いであろうことは理解している。
良い歳こいた男が、惨めで可哀想で不器用な女を取っ捕まえて、その女に自己投影して安心と幸福に触れようとしている。なんとも気持ち悪い。馬鹿らしい。だが、笑えない。

可哀想なコイツを見ると、自分のことのように安心する。一方で、幸せそうに飯を食うコイツを見ると、我がことのように満たされる。
コイツに酷く扱われると、今コイツは自分で自分を傷付けているのだと歓びを覚えるし、コイツが殺しの才能を研ぎ澄ませる程に、早く俺のようになれと興奮した。

つまりは、コイツが何をしようと俺にはメリットしか無いというわけだ。
ならば、離れる気など起きるはずもなかった。
勿論、そんなことを知らない上戸野は今日も俺に文句を垂れながら仕方無さそうに行動を共にしている。本当に、不幸で可愛いガキだ。

「うーん…デザートは別のとこで食べようかなぁ…」
「仕事、この後何時からだ。付き合ってやるから教えろ」
「二十五時から始めます」
「なら、一旦戻るか」

シメにマグロを食べて箸を置いた上戸野は、俺の方をチラリと見る。僅かに余っていた酎ハイを飲み干しグラスを机に置けば、そんな俺を見てから上戸野は両手を揃えて「ごちそうさまでした」と言った。

二人揃って席を立つ。
さっさと会計を終わらせ、腹を擦りながら店を後にした。
辺りは日が落ち、頭上には疎らに星が輝いているように見えた。いや、詳しくないから分からない。もしかしたら、人工衛星とかいうやつかもしれない。

「あー…食った、寝てえ」
「仕事まであと五時間は暇ですし、宿に戻って一眠りしましょうか」
「あとあれだろ、甘いもん」
「じゃあ、コンビニだけ寄らせて貰って」

腹が膨れてご機嫌らしい上戸野の後ろを歩く。
飯を食うのに邪魔だからと束ねた髪をそのままに、洒落っ気の無い黒い服を着るこのガキが、つい数日前に数多の死体を築き上げ、一夜にして辺り一帯に恐怖を示した人間だとはすれ違う人間の誰も思わないだろう。

彼女の葛藤と苦しみ、そしてその技術を見ていたのが自分だけだという事実を思うと、不思議と酔いが回るかのように気分が良くなった。
彼女が煙のようにフラフラと何処かへ昇って、そのまま手元から消えてしまわないように、後ろから取っ捕まえてやる。勿論上戸野は鬱陶しそうにするが、そこまでの嫌悪では無かったのだろう、「重いから隣歩くだけにして」と言って片手を出してきた。
存外その仕草が嬉しくて、差し出された手を取って握る。


そうだ、お前はそれでいい。高専なんかじゃなく、俺を選べばいい。

上戸野水面。
惨めで哀れで、救いのない人間。
高い所などには昇ってくれるな。落ちて来い、早く。

俺と同じ地獄まで落ちて、俺と同じ空虚を孕め。

俺と同じお前ならば、俺はどこまでも慈しめる。
だから早く、ここまで堕ちてこい。
煙も見えない闇の底まで。




___





ダイビングスーツに身を包み、シュノーケルと酸素ボンベ、マスクにフィン、グローブなどを装備してから夜の海に潜った。
暫く泳いで辿り着いた一隻の船に、持ってきたトラップを仕込み、そのまま陸地へと静かに戻って行く。
陸地では甚爾さんが暇そうに待っており、海から上がって来た私に一度手を挙げてきた。それに私も同じようにして返し、ダイビングスーツとグローブ以外の装備品を外して一息つく。

「絶対術式使った方が早かっただろ」
「呪術を使うと残穢が残るから…」
「それもそうか。で、なんでまた船を始末することになったんだ?」

荷物を持って見晴らしの良いその場を離れ、船が目視で確認出来るギリギリの人気の無い闇の中へと行き着いた。

「あそこに何船かあるでしょ?あの、右から三番目のやつ。あれ、偽造してるけど今回私に賞金を掛けて来た奴等の指揮所なの」
「ほーん…」
「中では田舎者のワル達が必死こいて情報集めて頑張っててさ、それは別にどうでも良いんだけど…」

つまりは、私に依頼をした金持ちは、彼等よりも私に価値があると判断したのだ。
だから、金を払ってやるから競争相手を消してくれって話なのである。
それを胡座をかいて地べたに座る甚爾さんに説明してやれば、彼は「俺が殺っても良かったんだがなぁ?」と、ニヤニヤしながら私を見て言った。

「やだ。報酬にセクハラを要求されたくないから」
「寂しいこと言うなって、頼れよもっと」

そう行って私が片付けた荷物を変わりに持ってくれた甚爾さんは立ち上がり、船に背を向けた。
その瞬間、トラップの発動スイッチを押す。

恐らく、二、三分もしたら跡形も無くなるだろう。船も人も。術式の痕跡すらも、海に流れておしまいだ。

「任務完了、帰りましょう」

煙に包まれ死に逝く船を見つめ終え振り返ると、私を楽しそうな顔をして見ていた甚爾さんと目が合う。同じように見つめ返せば、彼はニンマリとご満悦な笑みを浮かべてみせた。

「早く俺と同じとこまで来いよ、上戸野。お前なら来れるはずだ」
「ちょっと意味分からないし、気持ち悪いので近寄らないで貰えますか…」
「何でだよ、褒めてやってんのに」

そこまで言われて、私はやっと気付く。
あ、この人…楽しんでるんじゃなくて、喜んでいるのだと。

同族が出来て嬉しいのだ。
今までずっと馬鹿みたいに一人で、誰かを理解することも理解されることも無かったのだろうか。いや、もしかしたら一度くらいはそういう奇跡に恵まれたのかもしれない。
けれど今は堕ちるとこまで堕ちて、一人で汚く醜く可哀想に生きている。そんな人が、私を同族だと認識して、同じになれと言っている。

「…気持ちわるっ」

思い浮かんだままの言葉を咄嗟に吐き出した。
彼は案の定、そんな私を見て笑みを深めて喜んだ。
私はそんな彼に、いつかのように煙になって逃げることはしなかった。

残穢がどうのと理由を付けて、隣を歩く。

彼が見ていてくれる、という安心感はもう手放せない。
こうして私は大きな嫌悪と引き換えに、小さな拠り所を手に入れたのだった。


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