隣人証明 | ナノ

2-8


麻雀には、「上がると死ぬ」と言われている手があることをご存知だろうか?
そう言われる程完成が難しい役があるのだ。もちろん、俗説に過ぎないが……しかし、今宵ここにそんな役をテンパってしまった女が一人。


いや、やっぱりこうなるのよね。


甚爾さんと稼いだお金(私は情報収集と契約窓口とのやり取りしかほぼしていない)が、一瞬で消えた。
否、溶けた。
競馬だか競艇だかに行って財産の半分を失って帰って来た甚爾さんは賭けがすこぶる弱いらしい、話を聞いて唖然としてしまった。
へ、へったくそ!賭け方が下手っぴ!直感ばかりを頼るなアホ!!
そしてさらに数日後、また減っていた貯金残高に目眩がした私は一人、年齢を偽り雀荘に来ていた。勿論、非合法な場だ。

もしものために金を稼いでおかねばならない。
そんなことにはならないと信じたいが、あの男…甚爾さんは堅実的とは程遠い人間だ。七海くんの爪の垢を飲ませてやりたいくらいには。
なので、もしものために金を自分用に用意しておこうと思った次第である。

ネオン街の裏、空き缶や吸殻だらけの薄汚く狭い道を歩き、看板のかかっていない雑居ビルに入って地下へと足を運んだ。
入り口で持ち物検査を受け、賭け金を渡す。
煩わしい煙草の煙と強面の男達、エナメル靴の踵を鳴らし、私を見て鼻で笑う。
いいわ、笑いたければ好きなだけ笑えば良い。こと賭け事において、そのうち嫌でも私がどれだけ強いか証明してあげるから。

何を隠そう、私は賭けに強い。
いや、天の庭ガチャでは散々ドブってますけど、そうでは無く所謂『賭博』金の動くゲームの方だ。
金がかかっているに限り強さを発揮出来る、それは何故か。

見えるからだ、金と勝ちの気配が。

私は昔から見える人間だった、聞いてはならない音を聞き、良くない気配を感じ取る。第六感とでも言うのか、そういう物が発達していた。
勿論、物が透けて見えるだとかは無い、ただ流れを見極める力が強かった。勝負強いとも置き換えられる。


若い女の麻雀だからって甘く見てたら内臓売るはめになるわよ、誰が向こう見ずな打ち方なんてするものですか。


ところで、さっきからこのビルの上階の方から物凄く嫌な気配がするのだけれど……こっちまで来ないわよね?


まあいい、今は集中。

南三局、運は私に味方した。
いいや、これは完全なる私の実力だ。隙を付き、守る時は守り、鳴く時は鳴く。

ラス目(点棒がその時点で一番下の人、4着の人のこと)の男の顔色を見る、如何にも苦しそうだ。

さあここからが勝負!かかるか、どうだ……!




………




今日最後の仕事は、怪しい雑居ビルを根城にしている呪霊が蛹のような状態になっていることを確認したため、それをサクッと討伐するという内容の物であった。
五条は、「これ僕じゃ無くてもいいじゃん」と何度も口にし、送迎担当の補助監督を困らせた。

現場に到着すれば、まだ人払いが済んでいない状態であったが、さっさと終わらせて帰宅したい五条は「バレなきゃいいっしょ」と呪霊の元へ行き、パパッと仕事を終わらせた。
蛹の呪霊は本当にただ消されるだけで終わる。ではもう帰宅するだけだと雑居ビルを後にしようとした所で、不自然さに足を止めた。

どうにも、変な感じがする。

まるでビル全体に蔦でも張り巡らされているかのように、見られているような、感付かれているような。
そもそも、よくよく神経を研ぎ澄ましてみれば、ビル自体がまるで何か途方もない存在の掌の上にあるかのような気配に包み込まれていた。
異常だ、何故今まで気付かなかったのか。
いや、今…このタイミングになって相手がどういう訳か、本気で探り始めたのだ。
何をだ?何を探っている、一体このビルをどうするつもりか。
どんどん気配は濃霧のように重く、濃くなっていく。ビルごと全て絡み取るように、己の手の届く範囲に強引に持ち込むように、相手を逃さないという意思を持って追ってくる。這ってくる。添ってくる。

これをこのままにしておくのは少し危険だ。

五条は状況を判断し、外に待機する補助監督へ連絡を終えると、気配がする方へと歩みを進めた。

感じる気配を追って辿り着いたのは地下。入り口で見張りをしている黒服男の意識を奪い、ドアノブをガチャリと回して五条は足を踏み入れた。

その先で見たものは………








「ロン!!九蓮宝燈!!!」
「ぐぁぁああああああああ!!!!」
「フハハハハハッ!!ヌルい、ヌル過ぎるわ!氷締めした麺を頼んだせいで温かさが失われたつけ麺のスープ並みにヌルいわね!!」
「最近じゃ温め直してくれる店も多くなって来たよな」
「そもそも冷盛りでいいだろってな」
「滑り落としってなんだよ本当、何が美味いんだ」






役満を高らかに宣言し、立ち上がって高笑いをする女と、振り込んだ絶望により撃沈する男。そしてつけ麺談義に花を咲かせる男二名。

なんだ、この空間は……。

五条は開け放ったドアをそのままに、ポカンと口を開けながら言葉を失って立ち尽くしていた。


「あー、勝った勝った、稼がせて貰ったわ…どうもありがとう、ああ半分は約束通りお返し致します」
「そりゃ助かる」
「初見で打たせて下さったお礼よ、本当にありがとうございました……ところで、あの御仁は?」

室内に居た人間が五条を振り返り見る。


彼は見た。見つけてしまった。
四人の視線、その一つ。青鈍色に錆びた瞳に灯る、燻る残り火を抱いた瞳を。
あの日失ったはずの瞳が、今、五条を見つめている。

何故。

言葉を失い立ち尽くす。四肢の末端から感覚が消え失せていくような絶望感に似た感情に襲われる。
失意、無力感、寂寞(せきばく)とした思いから、業を煮やすような憤りへ。


何故、あの子が他人の色に染まっているんだ。

誰の許可を得てあの子を、僕の物を勝手に色付けしたのか。


身震いしてしまう程に異様な雰囲気が、急激に部屋を包み込む。男達は身体を強張らせ、未散はひたすら狼狽えた。
オロオロと視線をさ迷わせた末に、そぉっと着席しようとするも、背後に感じた気配に咄嗟に振り向かないまま椅子を蹴って、雀卓の上に飛び乗った。派手な音を立てて牌が撒き散らかされる。後ろ足に力を入れ、いつでも次の体勢に移れるように振り返りながら警戒を続けた。

未散の背後に回った五条が手を伸ばした体勢で止まる。
見えないはずの瞳から感じる視線の熱量に危険を感じた未散は、五条を容赦なく睨み付けた。

「レディへのいきなりのお触りはマナー違反よ、ミスター。私、礼儀のなってない男って嫌いなの」
「…あ、うん。とりあえず話を」
「賭け金を貰ってこのビルを出てからなら聞きいてあげる。それでいいわね?」

警戒を解かないまま雀卓からスタッと軽やかに降りた未散は、周りの大人に謝罪をし、サインをしてから金を受け取った。
その様子を眺めていた五条は、未散が自分を覚えていない様子であることにさらに感情を乱した。

まるで見ず知らずの他人に警戒するような接し方、こんな風に接されたことなど一度も無い。
一体何故こんなことに、誰がこの子を…。

五条を振り返り、「出ますよ」と他人行儀に懐疑的な瞳を向けながら声を掛けてくる未散の元へ歩み寄る。
この華奢な肩幅も、小さな手も、瞳の色も何も変わっていないのに、彼女の持つ気配と髪色だけが違っていた。
モリオンよりも純度の高い透明感のある黒髪、同じ無彩色でも白とは対極に位置する色彩。
様子も違う。以前のような未知に怯え、痛みを嫌い、嘆き苦しむ様子は全く見て取れない。
向けられた背は、真っ直ぐに伸びていた。
こんなに強気なあの子の背中を僕は知らない。

この子はもう、僕の知る"妹"だった者では無い。


未散に続いてビルを出る。
深まった夜の空気と、離れた通りから賑わう声が聞こえる中、未散は薄暗い煤けた通りを悠々と小さな歩幅で歩いて行く。

「あのさ、何処に向かってるか聞いてもいい?」

無言のまま歩き出した未散の背に、声を投げ掛ける。
質問の声に立ち止まり、振り替えって五条を見上げた未散は非常に真剣な顔をして言った。


「稼いだからご馳走を食べるのよ、ずっと粗食に耐え続けた半月だったの…もう我慢出来ない、私も豪遊してやるって決めてた…だから……」
「だから…?」
「回転寿司に行ってスイーツを三種類食べちゃうの!!」
「全然貧弱な金の使い方じゃん」


あ、やっぱりこの子うちの子だわ。

五条は改めて、目の前で意気込む未散を上から下まで見下ろした。
いきなりの事態に少々平静さを失った考えを持ってしまったが、考えを改めよう。
色が変わろうが、雰囲気が変わろうが、僕を忘れていようが、この…無駄に小市民気質な所とか全然変わってない。ご馳走で回転寿司一択な所とか本当変わってなかった。

「それだけじゃ無いわ、帰りにコンビニでモチモチパンを買って明日の朝御飯にしちゃう、おつまみサラダも買っちゃうんだから」

この……豪遊の二文字を全く理解出来ていない感じ…凄く懐かしいな〜。
昔も「コンビニでアイス奢ってやるよ」なんて言ったら、めちゃめちゃ葛藤した末にチョコモナカジャンボをカゴに入れてきたっけ…僕がダッツを当たり前に選んでるのを見て、固まってたな…。

五条は今は遠き思い出に浸りながら、目の前で腹を空かせている可哀想な妹だった子に笑顔を向けて言った。

「僕が何でも奢ってあげるよ、だから話を聞いてくれない?」
「おや?今、何でもって……」
「回らない寿司でも、焼肉でも、何でもいいから選びな」

クラッと目眩がしそうな単語が並び、未散は「これが…正しい大人なの?」と自分の叔父との差に戦いた。
この世の何処かにあると言われる回らない寿司ですって…?や、焼肉?次元が違う…このままでは飲まれる…!駄目よ、負けられない、ここで負けたら豪遊のプロである叔父に顔向け出来ない…貴方の姪だってやれば出来るんだって見せ付けてやらなければ!
謎の闘志に火が着いた未散は、余裕の笑み(本人は単純に微笑ましくて笑ってるだけ)を浮かべる五条を見上げて言った。
これが私が選んだ最強の店だ!!


「ろ、ロイヤルホストでもいいんですか!?」
「じゃ、ロイホ行こっか」


ヤッター!ロイホだー!ファミレスの中では値段設定お高めなロイホ、その分パフェなどのクオリティが高く、メニューが豊富でドリンクバーの種類も凄い。
最早恥も無く「ヤッター!」と喜ぶ未散に五条は、「もっと美味しい物を食べさせてあげたい…」という親のような気持ちになった。
誰だよ僕の物を勝手に奪った挙げ句に、ろくな飯を食わせてない奴は。毎日三食しっかり食べさせてあげてくれ。見てて悲しくなって来た。なんて侘しい生き物なのだろうか妹は。
金を稼ぐために麻雀を打ち、その帰りに豪遊と称して回転寿司に行こうとし、奢ると言えばロイホ。
僕が大事にしていた妹擬きを、こんな憐れな…あとちょっと頭ユルくなってるし…あ、そういえばまだ自己紹介をしていなかった。
名前を言えば何か思い出してくれるかもしれない。

「僕は五条悟、君は?」
「ゴッッッッッ」

五条が名前を言うと、目の前の少女はピシリッと石のように固まった。

その瞬間、未散の脳内に最近の記憶が呼び起こされる。
グルグルと浮かび上がる朝の食事中のひとコマ、甚爾の声が頭の中に反復する。


「いいか、五条悟に会ったら絶対逃げろよ。最悪捕まってキメラになるからな、お前」
「ニーナ・タッカー!?」
「何でそれを覚えてて、過去の記憶全部忘れたんだよ、おかしいだろ」


回想終了。
まずい、まずいぞ……に、逃げなければ‥!
五条悟に捕まる…それ即ち、知能が下がって最後には傷のある男に殺され…い、いやよ!人語を話す四つ足生物にはなりたくないわ!

未散は固まったまま思考を高速で走らせる、脳細胞が震えシナプスが活性化した。

五条悟については甚爾さんに色々教えて貰ったのだ。
最強の呪術師、六眼、無下限術式…体術も経験も全て、私では敵わない相手だ。おまけに顔も良いらしい、顔…いや、顔なら甚爾さんも負けて無い!いやいや、そうじゃない。不味いぞ…へっぽこキックとへなちょこパンチしか攻撃方法を持たない私ではまず勝てない。
いや待て、落ち着け。そもそも勝たなくて良い勝負だ、捕まらなければそれで良し。なるほど、それならば私にもチャンスはあるだろう。


五条が未散の慌てたような反応に、「何か思い出した?」と尋ねて来たのに対し、未散は表情を整えると「強い呪術師の名前だって聞いたことがあるだけ」と答える。
そして、少々困った様子を装いながら会話を続けた。

「あの、申し訳無いのだけれど…お手洗いに行ってもよろしいかしら?」
「構わないよ、コンビニでいい?」
「ええ、申し訳ございません」

嘘だ、別に尿意なんて全く感じていない。
美少女が排泄シーンなんてものを載せないのはお約束でしょう?

さてさて金の絡む賭けで勝ったが、こっちはどうか。
上手く決まればいいのだけれど。
未散は五条の案内で、一番近くにあったコンビニへと辿り着いた。
それにしても憎らしい程に脚が長い…と、五条を見ていて思う。京都市と山口県の下関を繋ぐ在来線みたいに長い、673.8kmある。私がセカセカ脚を動かして進む歩数の半分しか歩いていない。実にムカつく。

軽快な入店音と共に店内へ入り、もう一度だけ断りを入れてからトイレへと向かう。
五条はその間、ご機嫌にスイーツコーナーへと足を運んだ。

トイレの扉を開けて、閉める。鍵を掛けて、頭を横に振ってなるだけ雑念を消した。


さてさて、理論上は確立した物だが使用するのはこれが初めてだ。
何故なら、この技は本当にただの運頼みなギャンブルだからである。
なので大切なのは雑念を振り払うこと、物欲センサーを働かせてはならない。

この技、技名は一先ず「開けゴマ」とでもしておくが、開けゴマを使用した場合「縁や所縁のある場所」限定でランダムにワープが可能となっている。
対価は先払いだ、今回は二日前に捧げた宗教画の画集で一発勝負をかける次第である。
本日二度目の博打、上手くいくよう一度指を組み小さく祈った。


一呼吸の後に、肩の力を抜いて鍵をあけて扉へ手を掛ける。
舌に音を乗せて言葉を紡ぐ。


「真秀場呪法、星の法典第六条」

ガチャリ。
勢いよく、扉を開く。

「ひらけ〜……ごま塩!なーんちゃって!!」

そうして、繋がった ピアノの音色が誘う深潭の闇へ私は勢いよく駆け出した。

さらば、かつて出会った思い出の人よ!
私は業務ミスの責任を取るため、ここから帰らせて頂きます!!



___




後に未散は誓う。
金の賭けられていない賭けは二度とやらないと。

数秒間無稽でアンリーゾナブルな旋律と共に深淵を駆けた先、小さな光を目にして足を踏み出せば、突然熱い湯の中にドボンッと落ちて服も靴も髪もびしょ濡れになった。
未散は驚きに咳き込みながら瞳を薄く開く。
鼻にお湯が入った、頭の裏が痛い。
熱気に満ちた空間は風呂場だろうか。無我夢中で手をつけば、人の肌のような感触がして驚いて咄嗟に手を引っ込める。

視界いっぱいの肌色。恐る恐る視線を上に辿っていけば、筋の通った鼻と黒髪…ガチャ成功、いや…?あれ、髪が…長い。
突然の事態に驚いたであろう、相手の見開かれた切れ長だろう形の瞳と視線が交じり合う。

たっぷり十秒互いに沈黙し、固まり合った。
先に動いたのは未散だった。入浴中の記憶に無い男の上に居る状態はマズイ。年齢制限が!青少年保護法!条例違反!ポルノ!
ザバッと湯を跳ねさせ、立ち上がろうとして、しかし伸びて来た手に腕を素早く掴まれグイッと引かれる。未散は憐れにも肌色に向かって正面から飛び込むハメになった。
羞恥や驚きよりも先に風呂場で引っ張るな、危ないだろう!という危機意識が芽生える。
いや、危ないのは引っ張られた事だけでは無い、私は一体見知らぬ男に何をされているんだ。
とにかく離れようともがけば、背中に腕を回され抱き締められて…そして、

「……スゥゥーーーーーーーーー………」
「えぇ…?」
「スゥゥーーーーーーーーー……」
「吸ってます…?」

吸われている。
風呂に入っている長髪の全裸の男に、頭部を吸われていた。

ああ、私の安住の地は何処(いずこ)に……。

prev | next



×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -