2-4
あの子が死んだことは、離反を考える一因であったことは間違いない。
ただ、それよりもあの時、ただただ目を離さなければ良かったていうことを、私は後悔し続けた。
何もせず甘えていれば良かったのに、戦いたく無いと泣くあの子に私は何度も「戦わなくて良い」と言ったのに。
それでも彼女は最後に甘えを捨て去り、祈ることをやめて、自分が自分であることに拘った。
必ず帰って来たい場所が出来た、その場所を守るために強くなるんだと決意を固めてしまったあの子に、私は何を言えば正解だったのだろうか。
五条悟の妹であるために、帰りたい場所を守るために、友人の命を優先するために戦い抜き生き切った彼女の人生は、呪術師としては感動的で美しい物語だったのかもしれない。
でも、そんなエンディングを私は見たくなんてなかった。
ただ、甘えながら息をしていてくれるだけで良かったのに。触れれば笑い、言葉を交わして癒されて、そうしていつか広くて何の憂いも無い部屋で二人、一緒に生きたいという願いが果たされることは無くなってしまった。
今になって思えば、あの子は私にとって愛玩以上の意味を持っていたのかもしれないが、今更気持ちを深追いしても虚しくなるだけだ。
私が買い与えボロボロになるまで使った靴やハンカチやブラウスを、彼女は捨てずに大切に仕舞っていたことを遺品整理で知った。
同じように、私も君を大切に囲っておきたかったんだよ。
君は私よりも兄を、兄よりも友人の明日を最後に選んでしまったけれど、きっとあの日地獄まで一緒に来てくれるという約束だって、嘘ではなかったはずなんだ。
あのまま生きていて、私が高専を離れる日が来た時、彼女は絶対に共に来てくれたであろう。
「だって、一人ぼっちなんて夏油さんが可哀想よ」
主人の背中を追って駆けて来るであろう足音はあったはずだったのに。
隣で私の方を見ずに、好きな物や気を引かれる物を眺めながら、しかし同じ速度で離れること無く歩いていたであろう愛玩相手はもう居ない。
大切にしてあげたかったという気持ちだけが大きく残って、私は呪詛師を続けている。
幾度かの命日が過ぎ去り、いつか地獄に落ちたその時に会いに来てくれるようにと私は祈っている。
いつか彼女が私に祈ってくれたように。
どうか、君の祈りが私だけの物でありますように。
………
甚爾お兄さんの作戦により、私は再び門を開くことになった。
存在定義が失われた場合、互いを定義し合うことで価値を保つ作戦……名付けて
「カラスは白い作戦!」
「わかりづれぇ、他に無かったのかよ」
「蝿の王作戦!ブタをコロセ〜♪ブタをコロセ〜♪」
「尚更わかんねぇだろ、そんで俺も分かんねぇよ」
ムムムッ、社長が「カラスは白い!」って言ったら社員も「その通り!」って言わなきゃいけない…そのように、私が「甚爾おじ様!」って言ったら甚爾おじ様は「はい、貴女の素敵なおじ様です」って言う…そういう作戦でしょう?
蝿の王は、ほら……気の狂った奴が豚の頭を蝿の王として崇めるシーンが、定義付けってとこに掛かるかなって…あんまり掛からないわね、これはやっぱり無し。カラスは白い作戦でいきましょう!
しかしそれよりも、私には先程から一つ気になってることがある。
「なんでスッキリした顔してるの?」
「運動してきたからな(平気で騙す男)」
「あ、なるほどね!(騙される馬鹿)」
適度な運動はストレス解消になるものね。
気になったことも分かったし、あとは門を開くだけだ。
ドキドキ!ワクワク!代償支払いルーレットの幕開けである。
肉体を持ってかれさえしなければ後は何とでもなる。あ〜〜、適当にいらない雑学知識でも持って行かれますように!
「それじゃあ、始めましょうか」
程よく緊張する身体に呪力を流す。
そうすれば、背後のグランドピアノが独りでにひっちゃかめっちゃか鳴り出した。
狂ったように、意味も価値の無い旋律が脳を揺さぶる。
天の庭におわす主が奏でる無上の喜びが詰まった伴奏を背に、私は赤い土に両手をつけた。
正常では無い、反知性的な音色が私の声と重なりあう。
「右手は空へ、左手は海へ捨て、我が魂…天を仰げよ」
日と月と並び、我が庭園を賛美せよ
やがて四方を囲い、かの地へと我等の魂嫁ぎたまえ
錆びた魂に、灯火を
「真秀場呪法、星の法典第一条」
精神を乱すデタラメな音が、ピタリと鳴りやんだ。
フワリと足元が揺れ、身体が無窮の宙へと落ちていく。
髪が揺れ、指先に熱が伝わった。耳を風が撫でる、これまで体験したことの無い心地の良い一時の別れであった。
離れていく庭へ挨拶をするため振り替えれば、視界が砂嵐で覆われる。渇いていく喉に力を込めて、「素敵な伴奏だったわ!」とお礼を言えば、遠くから天の庭の主が発する奇怪な喜びの叫びが聞こえた。
目を瞑る。意識が徐々に遠退いていく。
ああ、どうか…どうか、甚爾お兄さんの行きたい場所へ行けますように。
あの侘しい人の寂しい心が満たされますように。
そう願って意識と別れを告げた。
ここまでが、私が五条悟の妹として歩んだ人生であった。
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