1-1

理論と教条主義(ドグマ)、知識と信仰を人は混同しがちである。
しかしながら、この二つは精神的には全く異なることであり、互いに対立し、その対立がしばしば悲劇をもたらすことは歴史が証明しているとおりである。
本来であれば進化論と神学は区別すべき学問であるが、しかし敢えて私は言おう。

人間とは、神の姿に似せて創られし、この世で最もふざけた脊椎動物であると。

だからそう、この力はまるで創造主たる神のようであった。

インテリジェント・デザイン。
和訳すると、神の計画。
我々は大いなる知性に基づき作られた、美しい生命だ。

どうか、その事実を忘れることなかれ。
その事実が覆った瞬間、私は支配される側となりうるであろう。

(■月■日の日記より抜粋 )



___



自分の足元で泣き崩れる人間を前に、私は何も出来ずにただ突っ立っていることしか出来なかった。
人間、訳の分からない現象に巻き込まれると、一周回って冷静になるらしい。いや、これはただの現実逃避かもしれない…もしくは、思考停止というやつだ。
人間は考える葦だと言ったのは何処の哲学者だったか…確かに、自然界において単純な力比べでいったら何物にも劣る我々人類は、思考を働かせ続けることこそが最大の武器とも言えるだろう。

しかし、現状その思考がまともに働かなくなったので、私は生物として途方もなく役に立たない状態になってしまったという訳だ。
いや本当に、マジで、なんか…もう、わけわかんないんですよ。なんすかコレ。


「良かった、良かった…!アナタが生まれて来てくれて本当に良かった…ああ、私の…私の……」


自分の産んだ娘に呪力と術式が備わっていることを知ると、途端に顔をクシャクシャにして泣き始めた女性は、しかし喜びに口元を歪めて笑いながら私に何度も礼を言ったのだった。一体全体、どうして礼など言われているのか分からない私は、ただただその場に立ち尽くし、唖然と眼下で縋り泣く女を見やる。
そんな私達を、遠巻きに見ている二つの影と一人の男が居た。
私は助けを求めてそちらをチラリと見るが、彼等は一向にその場から動く様子を見せず、ただひたすらにこちらを冷たく見つめてくるだけであった。
その間も、女性は喜びを身の内から溢れさせるように泣きながら、幼い私の身体に縋って礼を口にし続けていた。

そんな女性を前にしながら、私は遠い目をしてボンヤリと思う。


異世界転生ってのは、もっときらびやかでお胸の大きなヒロインとのエッチハプニングから始まるもんなんじゃないの???




………




あれは語るも涙、聞くも涙の悲しい事故だったね…。
そんな思いで私は散り散りになり霞みゆく前世の記憶達を必死に掻き集め、忘れないようにとA4のノートに書き記した。


忘れもしない冬の終わり、まだまだ外は寒かったけれど気持ちだけは春を感じて、皆して薄手の服を箪笥から取り出し始めた頃の話だ。
誰が言い始めたかは忘れたが、研究所でパーティーをしようという話が持ち上がった。あともう少しでチーム解体になる研究所に属していた私達は、誰かの閃きと感情消化のために最後のパーティーをすることになったのだ。
アルコールにツマミ、余興と笑い声。沢山の苦難を乗り越えてきた思い出話に花を咲かせ、私達は残り少ない研究生活を目一杯楽しもうと約束を交わし合う。

しかし、天才と何とかは紙一重。
我々はその日、紙一重の向こう側へと身を乗り出してしまったのだ。

誰かが言った、「実は私、異世界転生について研究しているんだ」と。
酔っ払いは酔っ払いでも皆研究者、天才や秀才の集まりばかりだ。彼等は酒の席に放り込まれた"未開拓の分野"に興味を惹かれ、我先にと話し込み始めた。

酔っ払い共の話をまとめるとこうだ、異世界転生とは一種の臨死体験なのではないかと。
心肺停止から一分間の臨死体験、その間に見る幻覚。蘇生後にその幻を別の世界での出来事として脳が処理していると……まとめるとこんな感じだ。

いやそれはただの臨死体験についての話だろう、異世界関係無いじゃん。そもそも多元宇宙論があるのだから、異世界の存在があるのは今更考えるまでもないだろう馬鹿馬鹿しい。

しかし多元宇宙論にも穴があってだな……
宇宙の可能性はあーだこーだで……。

こんな感じで、いつの間にやら異世界についての話題は大盛りあがり。
私は一人輪から外れて、ボンヤリと「異世界かぁ…」と、アルコールの摂取により回らない頭で話を聞き流していた。

「だから!!やはり別次元に行くには速さなんだ!速さこそ全て!!」

誰かがそんなことを言っていたのを覚えている。
ガラガラと倉庫からわざわざ引っ張ってきたピッチングマシーンを見たような…記憶もある。
あと、「今からこの豆腐を、この超改造ピッチングマシーン…WWZを使って最高速度で打ち出し、次元の壁を突き破ってやる!!」とかいうアホみたいな声も聞いた…気がする。

そのすぐあと、私の頭に何かとんでもない速度で鋭利な物が打ち込まれ、意識と首と脳がグッキリベッチャリ逝った感覚がした…気がする。多分。全然覚えてないけど。


というわけで、私は恐らくだが…豆腐の角に頭をぶつけて異世界転生してしまったのだと思われる。
よりにもよって、ヒロイン成分の欠片も無い、呪いが跋扈する激渋な異世界に。

数年前…我、爆誕。
そして数年後…我、覚醒。
この呪いが存在する世界にて私が産まれたのは、禪院家という…言っちゃ何だが時代遅れも甚だしい一族の住まう屋敷であった。
男権社会、女性軽視、旧態依然、差別的、男尊女卑、古臭い、時代錯誤……この家を表す言葉は他にもまだあるが、まあ一先ずこんな所だろう。
そんな場所で女が産まれて生きてみろ、嫁ぐか何かして家を出るまでは、可哀想なくらい惨めな人生を送るはめになる。

そんな中、私の立場もまあまあに酷いものだった。
上の姉二人は落ちこぼれと言われ両親からは疎まれ、母は母体として優秀な結果を残せなかったからと精神を擦り減らし、父は劣等感と神経質とプライドとが折り重なった面倒な男。
オマケに周りは古い風習が染み付いた人間共だらけ、あと当主は酒臭い。

噂に聞く異世界転生ってのは、もっとこう…エルフのエッチなお姉ちゃんとか、私のことが初手から大好きなお姉ちゃんとか、生意気だけど可愛いお姉ちゃんとか、そういうのに囲まれて冒険したりする物じゃなかっただろうか。
現状、右見ても左見てもそんなものは無く、あるものと言えば目からハイライトの失せた女と、威張り散らす男達ばかりである。なるほど、ロックじゃねぇの。

現実を上手く飲み込めなくなった私は、とりあえず「ロック」という言葉で現状を片付けておいた。
まあいいです、異世界転生物って最初は散々な生い立ちだったりも珍しく無いらしいし、ここからだここから。


私の一日は朝の四時に起床するところから始まる。
いくらなんでも早すぎませんか?とは思ったが、少しでも寝坊すると父が叱ってくるので仕方無く起きる。
目覚ましが鳴り響く前に意識を覚醒させ、布団を畳み、顔を洗い、水を一杯飲んでから着替えをする。
その後は軍人もビックリの朝の訓練タイムである。
準備運動、走り込み、基礎訓練、戦闘訓練、その他諸々。スパルタ王もビックリなスパルタ具合だ。
最初の頃は流石にこんな運動量可笑しい、私には無理だ、やりたくないと訓練を見守る父に訴えていたが、今は諦めて毎日死ぬ思いで頑張っている。
だって言っても無駄だし、体力的にも精神的にも時間的にも無駄にしかならないし。そもそもノルマが終わらないとご飯も水も貰えないし、だから生きるためには嫌でも無理でもやり遂げなくちゃならない。

本当どうかしてるよ、この家は。
まだ六歳にもならない子供が血反吐はいてしごかれてるのに、皆何も言わずに見て見ぬふりだ。
それが当たり前で、気に掛ける方が異常なのだと、私は早々に理解したので何も言わずに今日も父に言い渡されたトレーニングメニューを淡々と熟している。
この分だと昼前にはどうにか終わりそうだな…と、犬のように息を切らせながら仮想敵を頭の中に用意して、それを倒すべく身体を動かし続けた。

地を這うように、低く、低く。
急所を深く刺せなくても、浅くとも何度も何度も切りつければ肉体は動かなくなる。
ジャンプは駄目、空中はあまりに無防備だから。そんな行為を敵の前でするなど、「もうどうにでもして下さい」と言っているようなものだ。
関節からは力を抜き、手首のスナップを利かせる。屈伸運動によるバネを利用した移動法は、音を立てず揺れるように素早く動くことが可能。
時には大胆に、しかし冷静さを忘れずに。
これら全ては父から教わったこと……ではなく自己流である。前世のイカれた同僚達と共に研究した、「進化」に関する肉体の可能性についてを元に、考えて考えて考えて…戦い方を模索している最中だ。何せ、父は私にばかりかまけていられるほど暇な御仁では無いらしいので。大体ボッチトレーニングである。ちょっと寂しい。

そんな、絶賛健気に頑張り中の私を見る影が二つ。
きっとバレていないと思っているのだろう、双子の姉達はいつも私の訓練風景を少しだけ見に来ている。

それにどんな意味があるか、何の意図があるかなどは分からない。何せ私は姉二人に関わることが殆ど無いからだ。
母が良しとしないのだ、姉達と私が関わることを。
無駄ないざこざは嫌だし、これ以上タスクが増えても困る。そんな薄情な気持ちで、私はあの二人を無視して生きている。
大人気無いとは言わないで欲しい。私だって、もうちょっと体力と時間に余裕があったら頑張っていたさ。だが、この小さな身体では今の現状維持で精一杯。悪いとは思うが、私は姉達のことまでは手が回せない。

「………あとは、もういっかいはしって…それから…」

空を見上げ、太陽の位置と風向きから大体の時間を割り出す。
現在時刻10時半、今日も朝ご飯は盛大に食べ損ねてしまった。果たして、私はこんなんでちゃんと身長が伸びるのだろうか。禪院家の皆さん、大体身長が高いので…そんな中にちっちゃいのが居たら嫌じゃんね。
ということを考えながら、次の行動に移るために一歩前に踏み出そうとした瞬間、鼓膜に掠めた僅かな音と爪先で感じ取った気配を頼りに、大きく素早く左に身体をズラした。

ザッ!!!
小さく足元に立った土埃を無視し、後ろを振り返る。
しかし、私が振り返るより先に出された足によって、私は顔面を靴底でぶたれてそのまま身を地面に投げ打った。
強かに打った後頭部と背中に広がる痛みを無視して立ち上がろうとする、しかし、それより先に肩を踏み付けられて身を起こすことは敵わなかった。

タラリ…鼻から流れ出た血をそのままに、私はゆっくりと顔を上げて私を高くから見下ろす男を冷たく見上げた。

「またパパに虐められてるん?ホンマ、女の子なのに可哀想になぁ」
「なおやくん……」
「せっかく可愛いお顔に産まれて来たんやさかい、こないなことしてへんでお琴やお裁縫の勉強だけしとったらええのに、可哀想になぁ」

可哀想可哀想と言いながらも、私の肩をグリグリと踏んづけ続ける御仁に、私は気付かれないように小さく息を吐き出す。

「なおやくん、おはよう」
「おはようさん、今日もえらい頑張ってるやん。で、どうせまた朝飯食いっぱぐれたんやろ?扇の叔父さんも頭イカれてるわ。飯食わせな将来ガキ産めへん女になるのに」
「そうなんだね」
「そうやで、何の価値もあらへん女になってまうで」

肯定的な相槌を打つ私を愉しげに鼻で笑ってから、もう一度蹴っ飛ばしてきた彼……直哉くんは、やっと私から足を退かしてくれた。
あーあ、最悪のタイムロスだ。これは酷けりゃ昼ごはんも食べられないぞ。なんたって、飯を食いっぱぐれようと誰も私を気に掛けちゃくれないので。
…………というのは嘘で、どんな形ではあれ、ここに一人確かに私を気に掛けている人物は居るのであった。

彼は禪院家御当主、禪院直毘人の末子にして次期当主候補の一人、禪院直哉くんである。私よりも十個以上は歳が離れているが、一応従兄にあたるので「くん」付けにさせて貰っている。色々と難儀な奴ではあるが、その辺は何故か許されている。そう、何故なら彼は…私を虐めながらも守ってくれているので。

実際こうして血を流す程の虐めにあっているのだが、それは単に一番効率の良いパフォーマンスだからなのだろう。それが分かっているから、私は文句を口にしない。

彼が私を虐める時は、大体他の人が私を虐めようとしている…もしくは、面倒臭い事に巻き込まれそうになっている時だった。
今日はどうやら前者らしくチラリと視線だけを周囲に動かせば、少し離れた所に歳の近い少年達が数人居るのが確認出来た。彼等は突然虐められ始めた私を見、巻き込まれないようにとどんどん距離を取って行ってしまう。
あーあ、可哀想に。あの子達あとで直哉くんに虐められるんだろうなぁ。

彼等が見えなくなってから、私は服に付いた砂を払い落としながら立ち上がる。
直哉くんは何処かを見ながら一つ舌打ちをしていた。多分、直哉くんが来たから何処かへ行った父にムカついているのだろう。
あの人は娘が傷付こうがどうなろうが守っちゃくれない。私は別にそれでも構わないが、直哉くん的にはナシらしい。彼はこう見えて、自分に属する人間への対応は"それなり"なのだ。お陰様で、私も何かと助けて頂いている。やり方は最悪だが。

遠くに向けて厳しい目線を送っていた彼は、暫くすると私を見やってまた眉間にシワを寄せた。まあ、見るも無惨な状態でしょうからね。でもこれ、実は八割くらい貴方のせいなんですよね。

「女の子がこないに顔も身体も汚して…さっさと風呂入って着替えて来ぃや」
「わたし、ひとりでおふろつかえないよ」
「………面倒くさ」
「おとなのひとがいないとつかっちゃだめなの」

ッチ。頭上からまた一つ舌打ちが降ってくる。
いやそんな態度されましても。私だって風呂くらいゆっくりゆったり一人で浸かりたいですよ。でも大人が駄目って言うからさ…そりゃまあ、六歳にもならない子供に一人で風呂入れなんて言って、溺れて死んでたら大変でしょうからね。こればっかりは仕方無い。

直哉くんは物凄く面倒そうな態度を取ったが、次の瞬間には私の細っこい手首をグイッと引っ張って引き摺るように歩き出した。
歩幅を気にしてくれるなんてことは一切無いため、私は自身の足を絡ませながら、転ばぬように何とか着いて行く。

「風呂入ったら飯にするさかい、ちゃっちゃと脱いでちゃっちゃと泥洗い流しや」
「いっしょにはいるの」
「俺も稽古終わって汗かいてるさかいついでやで、勘違いせんようにな」
「うん」

勘違いとは一体……あ、なんか唐突に閃いたぞ。

ピコン!私の灰色の脳細胞が急に働き出す。
勘違いするなという言葉、それから虐めながらも私の危機を回避してくれる行動……イコール、彼はもしや「ツンデレ」というやつなのでは…?
そこまで思い至った瞬間、私は一つ前世の記憶を思い出した。異世界転生物が好きな研究員が確か言っていた…異世界転生物には、ツンデレヒロインが必要不可欠だと。
じゃ、じゃあまさか、直哉くんが"ソレ"なのか…?異世界転生メインヒロイン、ツンデレ世話焼きヒロインなのか…?

…え、やだな。
なんか、普通にやだ。
もっと他に無かったんですか?という気持ちになる。
異世界転生物に詳しくない私でも分かる、メインヒロインはもっと可愛くて健気で初手から私のことが大好きでなくちゃいけないと。あれ…でも、私にピンチが迫りそうになると直哉くんはいつも来てくれるな…暴力と一緒に…。
いや駄目だ!揺らぐな、しっかりした価値観を築き上げていけ私!!
いやでも今もお風呂に一人で入れない私のために、一緒にお風呂へ来てくれているし…。

とか何とか悩んでいたら、いつの間にか服を毟り取られて風呂に放り込まれていた。先程出来たものも含め、大量にある細かな傷にお湯が滲みたが、文句も言わずに頭からザバザバ掛けられるお湯を受け止め続けた。

「ちゃっちゃと湯船浸かりや、十数えるまで出たらあかんで」
「いーち、にーい……」

私がゆっくり数を数え始めると、直哉くんは自分の身体にサッとお湯を掛けてから湯船に入って来た。
お湯がとぷんと波打ち一瞬バランスを崩しそうになるも、伸びてきた手にグイッと引かれて体制を立て直す。
そのままその手は私のオデコに張り付いた髪をかき上げ、一度頬をムニッと摘んでから離れていった。

「身体傷だらけやん、こんなんじゃお嫁に行けなくなるで」
「そうだねぇ」
「ホンマ、可哀想になぁ」

今日何度目かも分からない「可哀想」を言われ、私はいつものように遠い目をして適当な相槌を重ねた。


異世界転生して早数年…研究所のみんなへ、私はツンデレヒロインに哀れまれながらも頑張って健気に生きています。
早いとこヒロインを攻略して世界の危機を救って元の世界に戻るつもりなので、私の研究データは売っ払ったりしないで下さい。

私は今暫く、ここでガチヒロインが訪れることを期待して待っているので。

mae ato
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -