Happy Birthday Levi 25/12/2019
07 A Christmas Blessing
真っ白なドレスのような雪で覆われたこの街に、待ちに待ったその日が訪れた。
どこもかしこもお祝いムードだ。
普段は、人類の存亡と希望を繋ぐために命を懸けて戦っては、残酷な現実に藻掻き苦しむ調査兵達も、今夜だけは、何の迷いも心配もないような顔をして笑っている。
資金繰りに苦しい中で、いつもは厳しい調査兵団の団長は、あの手この手でかき集めた金と自分の配給金の大半をつぎ込み、何日も前から豪華な料理とたくさんのプレゼントまで用意しているから、仲間達に「まだ早い」と笑われていた。
調査兵団の兵舎でさえ、舞い上がった奇行種が、友人達を集めて施した装飾に着替え、嬉しそうに喜びを共に分かち合っているようだった。
今夜だけは、誰も明日の命を憂いたりしない。
ただ、未来への希望と喜びに満ち溢れているのだ。
そんな中、俺だけが、仲間達が幸せそうにしている温かい居場所から離れ、白い雪を踏みしめて歩いていた。
そうして辿り着いたのは、兵舎に併設された教会だ。
こじんまりとしたそれは、志半ばでこの世を去らなければならなかった同胞の魂を想い、ただ祈りを捧げる為だけに存在する。
俺は、教会の中には入らず、入口のそばに置かれた白い石像の前で歩みを止めた。
とても丁寧に彫られているその石像は、胸に抱く赤ん坊を慈しむような目で見つめる女性の姿をしている。
アイツが言うには、彼女は、この世のすべてを許し、愛し、そして、もう二度と会えない愛する者の元へ俺達の声を届けてくれる心優しい女性らしい。
だから俺は、アイツのように穢れひとつない真っ白な雪の上に膝をつくと、アイツがいつもそうしていたように、見様見真似で両手を組んだ。
そして、今年一番の寒空を見上げる。
今夜、幾千の星が光る中に、ただひとつだけ、美しくも力強く輝く星がある。
俺は、アイツとの約束通り、彼女に話しかける為に、ここへ来た。
伝えたいのは、君のことだ。
別にそんなことしなくてもいいんじゃないかと思っていたのだけれど、いざ、その日が訪れると、どうしても君のことを話さずにはいられなくなった。
俺が、君を心から愛しているからだ。
まだ会えてもいないのに、おかしなことを言ってるのは分かってる。
でも、みんなが、君に会えるのを今か今かと待ち侘びているのだ。
俺だって、君を抱きしめるそのときが、待ち遠しくて仕方がない。
でもきっと、生きているのだと教えてくれる君の鼓動を感じたら、俺は泣いてしまうのだろう。
俺はもうすでに、涙を堪えているところなのだ。
あぁ、彼女に、ちゃんと聞こえるだろうか。
俺は、歯を食いしばって、這いつくばってでも、生きてきた。
何度、膝をつきそうになっても、負けるもんかと大地を踏み、歩みを止めることもせずに、自由の為に空を飛んだ。
彼女も知っての通り、俺の人生は決して、恵まれているとは言えないものだった。
むしろ、ないものの方が多く、不幸で可哀想だと哀れむ奴だっているだろう。
確かに、苦しい選択を強いられてばかりの人生だったけれど、俺は、生まれたことを後悔はしていない。
この世に生を受けたからこそ、触れられた温もりや優しさがあることを、俺はもう知っているからだ。
そうして築き上げた幸せを、誰にも、自分自身にも、台無しにされたくはない。
だから、俺を選んでくれた君のことを、この命を懸けてでも、必ず守り抜こうと覚悟している。
もしも、君の幸せの代償に、世界中の不幸や苦しみを誰かがひとりで背負えというのなら、俺は喜んで引き受けよう。
君が生きてくれてさえいれば、俺は他に何も望まない。
ただ、これだけ、彼女に、祈らせてくれないだろうか。
しっかり聞いていてくれ。
俺の君への祈りはこれだけだから。
アイツがそうだったように、君に愛する心がありますように。
アイツがそうだったように、君にも許す心がありますように。
生きていれば、いつも思い通りにいくわけではない。
世界は時々、君に冷たくあたるだろうし、不公平なことばかりで溢れる日々に、うんざりすることもあるかもしれない。
恐ろしい脅威まですぐそこにあるこの残酷な世界は、怖いだろう。不安だろうな。
それに、こんな鳥籠の中じゃ、君にはとても息苦しく感じるはずだ。
俺もそうだったから、よく分かる。
だから、俺に会った瞬間、君は、大声で泣きじゃくるんだろう。
俺が君を助けてやりたくても、君がいつも俺を必要としてくれるわけではないということも分かっている。
それでも、遠く離れたって、すぐそばにいたって、どんな距離が俺達の間にあっても、俺はいつでも君の味方だ。
絶対に君から背を向けたりしない。君を諦めたりしない。
立ち上がろうとする君に手を差し伸べ、愛おしいその手をいつまでも握り続けよう。
だから、心配しないで、俺達に会いに来てほしい。
生きていることさえ許してもらえず、唾を吐かれたことのある俺だって、心からの幸せを手にすることが出来たのだから、君なら必ず、幸せになれる。
約束する。
絶対に後悔をさせないと、俺は、神でもなく、彼女に誓う。
あぁ、彼女には、聞こえているだろうか。
届いているだろうか。
ガラにもなく祈る俺の姿が、ちゃんと見えているのだろうか。
愛する者達と共に幸せを噛みしめて生きる俺の姿が、どうか、彼女にも見えていますように。
降り出した美しく白い粉雪が、両手を固く結んだ俺の肩に舞い降りた。
それはまるで、彼女が俺を抱きしめるように優しく、祈りを捧げる俺の両肩にしんしんと降り積もっていく。
それは、ひどく温かくて、懐かしさが胸に広がっていった。
今日のこの日には、どうしても思い出してしまう。
アイツに出逢い、アイツを愛し、俺が初めて、愛することを知ったあの日々のことを。
大切な友人が、死んだ。それも、呆気なく。
友人達の亡骸は、まるで、手加減を知らない赤ん坊に好き勝手遊ばれた挙句、壊れて使いものにならなくなった玩具のようだった。
でも、俺にとっては、そんな惨い遺体すらも、大切な友人だ。
幼い頃に母親を亡くし、育ててくれた男にも捨てられた俺にとって、彼らは唯一の家族だったのだ。
でも、もうアイツらはいない。
俺はまた、独りに戻ってしまった。
壁外調査から帰った翌日の早朝、エルヴィンに、今日は葬儀だと言われたことまでは覚えている。
気づいたら俺は、調査兵の紋章が縫われた兵団服を着て、誰のとも分からない幾つもの棺が、まるで吸い込まれるように教会へと運ばれていくのを、ただぼんやりと眺めていた。
死人の多い調査兵団のために、とってつけたような小さな教会だ。
いつの間にかすべての棺が運び込まれ、教会に入った俺は、エルヴィンの号令で、他の調査兵達と一緒に整列させられる。
そして、神父の有難いお言葉ってやつを聞かされた。
「彼らは、とても素晴らしい魂と共に、神の元へ向かい、漸く安らぎの時を。」
アイツらのことを何も知らない神父が、勝手なことを言う。
神妙な面持ちで聞いてる調査兵達に、アイツらのことを想っている奴らなんかひとりだっていない。
アイツらは、厳かな教会で見送られるような、そんな大層な人間じゃない。
泥水をすすって、ドブネズミと罵られながらも、太陽の光を夢見て、腐らずに生きた。
それが、アイツらだ。
アイツらは、素晴らしい神様の元での穏やかな暮らしなんか求めちゃいない。
神様の前だからとお利口さんにするような、そんな礼儀を持って生まれてきていたのなら、俺とつるむことだってなかった。
そうだ。
アイツらは、この残酷な世界で、俺と共に生きていくはずだったのだ。
葬儀を終えても、俺は教会から立ち去れなかった。
俺と同じように、数名の調査兵や、息子や娘を亡くした親が残っていた。
彼らは、棺の中に眠る大切な人を抱きしめて、泣きじゃくっている。
でも、俺の前に並ぶ2つの棺は、まるで臭い物に蓋をするみたいに、釘を打ち付けられて、固く閉じられていた。
惨い遺体を晒せとは言わない。
誰も見たいと思わないのは、分かっている。
でも、俺は悔しかった。
生きていないと無言で俺に押しつけてくる棺も、アイツらの死を当然のように受け止めている調査兵達も、アイツらのいない世界も、無情に流れる時間も、すべてが悔しかった。
ほんの数日前まで、アイツらは俺と共に夢を語り合っていたのに。
アイツらは、俺達は、広い空に希望を抱き、自分達にはこれからもずっと未来が続くのだと信じて疑いもしなかった。
それに俺は、過酷な中で独りで生きて来た自分に、それなりに自信があった。
プライドもあった。
俺なら、アイツらと一緒なら、世界のすべてを手にできるんじゃないかって、そんな根拠のない自信もあった。
それは、途方もない間違いだったと思い知らされたとき、友人達の命は、呆気なく奪われた。
助けようと伸ばした俺の手は、あと一歩だったかもしれない。
でも、途方もなく遠くに感じたのだ。
あれはきっと、生と死の狭間に存在する距離だ。
もっと違うやり方で、俺達に間違いを教えることだって出来たんじゃないだろうか。
こんな残酷な方法ではなく。
だから、俺は、こんな残酷な現実に巻き込んだ男に刃を向け、この世界に牙をむくことくらいしか思いつかなかった。
俺は、無力だ。
友人1人、守ることも出来なかった。
無意識に握った拳が、小さく震えて、止まらない。
この世界は、あまりにも、無慈悲だ。
そんなこと、生まれたときから知っていた。
アイツらと過ごす時間が長すぎて、少しだけ、忘れていただけだ。
あぁ、それでも、あまりにも。
「ゴロツキさん、何してるの?」
不意に、後ろから教会の鐘の音のような細く高い声が耳に入った。
この世の穢れも、残酷さも、何も知らないような綺麗な音だ。
それが、俺や、俺の友人達の苦しみすらも、なかったことにしようとしているみたいに聞こえた。
俺に話しかけたのは、安易な呼び名ですぐに分かったけれど、返事はしなかった。
だって、そうだろう。
友人の亡骸すら拝むことが出来ない棺の前で独りで佇む俺が何をしているのかなんて、見ればわかることじゃないか。
わざわざそれを言わせようとするのは、空気の読めない馬鹿か悪魔くらいだ。
「ねぇ、君に言ってるのよ?」
聞こえていないとでも思ったのか、俺の顔を覗き込んできたのは、調査兵の兵団服を着た若い女だった。
綺麗なものばかりを映して来たような透き通る色をした大きな瞳と、赤ん坊のような小さな鼻と口の、世間でよく言う可愛い≠持って生まれた顔をしていた。
愛されることしか知らないのが、すぐに分かった。
さぞかし恵まれて、幸せな人生を送ってきたのだろう。
見覚えがあるような気もしたが、どうせ辞めるつもりだった調査兵の顔なんか見ているようで見ていなかったから、実際は分からない。
俺の片眉が上がる。
それは決して、良い意味ではないことは明らかだったはずなのに、目の前の女は、それこそ可愛い≠ニ馬鹿な男達に鼻の下を伸ばされそうな笑顔を浮かべた。
「よかったっ。目は見えてるみたいっ。」
「…邪魔だ、どけ。」
泣き声ばかりが響く教会内で、空を舞うような彼女の声は、ひどく浮いていた。
俺だけではなく、他の奴らの怒りを買ってもおかしくなかったはずだ。
「ねぇ、こんなところで何も言わない棺を黙って見てても、
あなたの大切な友達とはもうお喋り出来ないんだよ?」
「…黙れ。」
「神父様も仰ってたでしょう?
私達は生きていて、彼らは魂になって神様のところに行ったの。
ここで悲しんでたって、もう二度と会えないんだか。」
若い女の調査兵は、最後まで言い切ることは出来なかった。
俺が、ソイツの胸ぐらを掴んだからだ。
ソイツの背中を祭壇に乱暴に叩きつけると、供えられていた白い花が、まるで羽根のように舞った。
俺は、ソイツのジャケットの胸元をねじり、細い首を絞めつける。
そのときの俺は、怪物のような目をしていたはずだ。
本気でソイツを殺す気だった。
確かに、ソイツが言った台詞は、俺の神経を逆撫でた。
でも、ソイツを殺したいと思ったのは、俺を苦しめてばかりの世界への怒りのぶつけ先が見つからないところに、偶々、目の前に現れたのがソイツだったというだけだ。
理不尽だということは分かっている。
でも、人生なんていつもそんなものだ。
いつだって不公平で出来ていて、公平なものを探す方が難しい。
ソイツが俺に殺されて死んだとしても、元を辿れば、ソイツを殺したのはこの残酷な世界なのだ。
悪いのは、俺じゃない。
理不尽で身勝手な言い訳が、俺の手に力を与える。
だが、俺に殺されようとしているソイツは、苦しそうに眉を歪ませながら、笑ったのだ。
まるで、下手くそな子供に絵を描かれてしまったみたいに、不自然だったけれど、それでも笑っていた。
そして。
「ね…、そ、とにね…。あな、たの…っ、ゆうじ、、んに、
こえを、と、どけてくれ、るひと、いる、よ…っ。」
「あ?」
「あ、いに…、いこ、よ…。い、っしょに…。」
酸素を吸うのも、やっとだったはずだ。
でも、ソイツが口にしたのは、命乞いでも、助けを求める情けない喚きでもなく、わけのわからない誘いだった。
何か凄いところに行くようなことを言ったくせに、ソイツが俺を連れて向かったのは、教会の外だった。
そこにあったのは、女の石像だ。
胸には、赤ん坊を抱いている。
これが何だと言うのだ。
まるで、友人に贈ったプレゼントの反応を楽しみに待っているような笑顔で俺を見るソイツとは裏腹に、無理やり手を引かれて、こんなわけのわからない石像を見せられた俺は、訝し気に眉を顰めた。
「彼女はね、この世界で誰よりも優しくて、美しい人なのよ。」
ソイツは、瞳をうっとりとさせて、石像を見上げる。
彼女がそこに存在していることが、本当に嬉しいようだった。
「そして、とても素晴らしい人。
この世のすべてを許し、愛し、
包み込むように抱きしめてくれている。」
そこまで言うと、ソイツは俺の方を向いた。
俺は、どうでもいいという顔をしていたし、正直、本当に興味がなかった。
それよりも早く、この場から立ち去りたくて仕方なかった。
でも、そんな俺の気持ちすらも包み込もうとするようなソイツの微笑みを前にすると、思うように出来なくなった。
まるで、俺の足が、この場に縫い付けられているみたいに、ぴくりとも動かないのだ。
「それにね、彼女は、二度と会えない愛する人達の元に、
私達の声を届けてくれるの。
ほら、こうしてお祈りをすればいいの。
私達がするのは、それだけ。それだけでいいのよ。」
ソイツは、地面に跪くと、両手を組んで目を閉じた。
俺はぼんやりとその姿を見ていた。
目を閉じている間に、立ち去ればいいのに、やっぱり俺の足は地面に縫いつけられたままだったのだ。
しばらくすると、ソイツが瞼をゆっくりと上げて、俺の方を見た。
そして、面食らったように目を丸くした。
俺も一緒にお祈り≠ニいうのを捧げていると思っていたらしい。
自分でゴロツキ≠ニ呼んでおいて、俺がそんなことをするとなぜ思えたのか、不思議で仕方ない。
そんな俺に、ソイツは、困ったように眉尻を下げて言う。
「ほら、君も、大切な友人に伝えたいことがたくさんあるんでしょ?
伝えたいことは、しっかりちゃんと届けなくっちゃ。」
「そんな馬鹿みたいな格好はしねぇ。」
「ば…!?失礼だなぁ、もう。
君がしないなら、私が代わりに君のお友達に伝えておくから。
何か伝言はある?」
「・・・・・もう二度と俺の前に現れねぇように、
そのクソ女もそっちに連れていけ。」
「了解!」
嫌味が通じなかったのか、ソイツは笑顔で親指を立てた。
そして、また、両手を組んで目を閉じ、祈り始める。
今度は、俺の友人達に声を出して話しかけ出した。
「あなた達の友人は、口が悪くて、粗暴な振る舞いで、本当に嫌なやつですね。」
頼んだ伝言とは全く違うソレに、俺は表情を歪めた。
でも、目を閉じているソイツには見えないどころか、相変わらず、俺が怒ろうが、友人達の死を悼もうが、気にもしない。
そして、続けるのだ。
「どこを向いても荒ぶる刃のような彼は、まわりに敵ばかりを作っては、
この世界よりも高い壁を築いてしまうから、きっと心配で仕方ないでしょう。
でも、どうか心配しないで。私が、彼を絶対に独りにはしないと誓います。」
ソイツが、友人達に伝えた言葉に、俺は眉を顰めた。
何を言っているのか。
それは、もちろん、俺が頼んだ友人達への伝言ではなかったし、友人の死を悼んだ俺の気持ちですらなかった。
それは。
「悲しみは続くだろうけれど、これからの彼の人生に、それ以上の幸せが訪れますように。
彼が愛する人達に囲まれ、出来る限り穏やかな日々を生きていけますように。
あなた達と共に、私にもお祈りさせてください。」
ソイツは、そこまで言うと、一度、言葉を切った。
数秒黙り込んでしまったその意味が、最初、俺には分からなかった。
でも、閉じた瞼から、涙が一粒、また一粒零れては、頬を伝っていくのを見ながら、俺は認めるしかなくなった。
ソイツは、本当に、心から、俺の友人達の死を悼んでいた。
彼らの無念と、悔しさ、あるはずだった輝かしい未来に、胸を痛めていた。
俺が、その涙を疑うことなく、そう信じることが出来たのは、ひどく綺麗なその涙が、まるで、泣けない俺の代わりに流れてくれているように見えたからだ。
涙で声にならないまま黙り込んでしまったソイツは、しばらくすると、またゆっくりと口を開き、俺の友人達に話しかける。
「どうか、大切な友人をひとり残して旅立つしかなかったあなた達が、
不安も悲しみもない世界で、幸せに笑ってくれますように。
愛をこめて、心から願っています。」
跪き、涙交じりで震える彼女の声は、神父の有難いお言葉とかいうやつよりも、胸に響いた。
本当に、アイツらに届いたような気がしたのだ。
だってきっと、俺がアイツらを残して死ぬことになったら、同じことを心配したと思うから。
あぁ、そうか。
残された俺だけが、アイツらの将来に心を痛め、憂いていたわけではなかったのか。
俺とアイツらは、まだちゃんと、繋がっていた。
お互いを想って、ちゃんと繋がっている。
お祈りというのが終わり、立ち上がったソイツに、俺は名前を訊ねた。
なんとなく、アイツらが、そうするべきだと、俺の背中を押したような気がした。
少し驚いたような顔をしたソイツは、嬉しそうに笑いながら答える。
「なまえ。なまえ・みょうじよ。
私は君の名前知ってるのに、知ってもらえてなかったなんて残念だなぁ〜。
私達、仲間でしょ。」
わざとらしく頬を膨らませるなまえは、泣いたせいで少し鼻を赤くしていて、すごく間抜けだった。
だから、それが可笑しくて、馬鹿みたいで、俺はほんの少しだけ、口の端を上げてしまったのだ。
「笑った!笑ったよね、今!!いいよ!!君の微笑み、すごくいい!!
笑っていこう!!君のそういうところをもっと見せていけば。」
いきなりハシャぎ出して、食い気味に顔を近づけて来たなまえの額を片手で掴んで動きを封じた。
本当に、いちいち五月蠅いやつだ。
それに。
「俺の名前は君≠カゃねぇ。リヴァイだ。」
「そっか、そうだね。リヴァイだね。」
「覚えておけ。」
突き放すように、なまえの額を掴んでいた手を放した。
そして、兵舎に向かって歩き出しす。
葬儀があったからと言って、今日の訓練をサボってもいいわけではないのだ。
俺は、今度こそ本当に、調査兵になると決めたのだから。
早足で追いかけてきたなまえは、隣に並ぶと、嬉しそうな笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込む。
「ねぇ、リヴァイ。」
「あ?」
「ねー、リーヴァイ。」
「なんだ。」
「ねぇねぇ、リヴァイ〜。」
「だからなんだと言ってんだろおが。」
「ふふ、呼んだだけ〜。」
楽しそうにケラケラと笑いながら、なまえは、スキップをし始める。
そして、葬儀帰りだとは思えない軽い足取りで俺を通り越していった。
踊るように上下に揺れるソイツの背中に舌打ちをして、俺は空を見上げる。
友人達の魂を神ってやつのところへ見送ったらしいその日、俺は、2羽の白い鳥が、大きな翼を広げて、自由に飛んでいるのを見た。
アイツらは今頃、見ているのだろうか。
どこまでも続く広い空を、果てしなく自由な世界を、なんとか前を向き歩き出した俺の姿を。
あの日から俺は、気づけば、なまえの姿を探すようになっていた。
高い壁ばかりを張り巡らせたゴロツキとだって分け隔てなく親しく出来る明るいアイツは、いつも笑顔の中心にいた。
基本的に、誰かと馴れ合うのが好きでもなければ、得意でもない俺にとって、友人達と笑い合うアイツとの距離は、生と死の狭間くらい深く感じた。
それでも、アイツは、俺を見つけると、必ず嬉しそうな顔をして、手招きするのだ。
素直ではない俺が無視をして立ち去ろうとすれば、名前を呼んで追いかけて来た。
俺の友人達に誓ったように、アイツは、本当に出来る限り、俺のそばにいようとしてくれていた。
でも、アイツはいつも、俺のそばにいたわけじゃない。
アイツには、一番の飲み友達がいた。
団長のキースだ。
気づけばアイツは、キースの部屋で酒を酌み交わしていた。
いつだったか、真夜中に、アイツがキースの部屋から出て来たのを見かけたことがある。
俺は、声をかけられなかった。
そして、アイツも、俺に気づかずに歩き去った。
今でも時々思い出す。
キースの部屋から出て来た途端に、両手で顔を覆って泣き出したアイツに、俺は何かを言ってやるべきだったのだろうか。
俺に、何が言えたのだろう。
アイツのことを、俺は、何も知らないのに。
「なまえはまたキース団長のところか?」
「あぁ、毎晩、毎晩、よく飽きねぇよな。」
エルヴィンに書類を届けに行った帰り、談話室の前を通りがかかったところで、アイツの名前が聞こえた俺は、思わず立ち止まる。
談話室の窓から中を覗くと、奥のテーブルで、見覚えのある若い調査兵数名がカードゲームをしていた。
彼らは、確か、アイツの同期だ。
遊びながらの雑談に、アイツの話題が出たようだ。
俺は、談話室に入って彼らに声をかけることはしなかった。
でも、その場を立ち去りもしない。
そして、入口の扉そばに背を預けたのだ。
これを、盗み聞きと呼ぶのだということは知っていた。
でも、俺は知らない。
アイツが、キースを必要以上に慕う理由も、キースが、アイツに固執し特別に扱う理由も、俺は知らない。
彼女が話すこともないし、俺が聞くこともない。
でも本当は、ずっと気になっていた。
隣で楽しそうに笑うアイツを見る度に、それを聞きたくなって、何度も言葉を飲み込んできたのだ。
「確か、キース団長のせいで両親が死んだんだったっけ?」
「正確には、キース団長が、先輩調査兵だったなまえの両親の制止も振り切って
無謀に巨人に突っ込んじゃって死にかけたのを助けてもらったのに、
怖くなって見捨てて逃げちゃったの。」
「確か、遺体も戻らなかったんだよな。」
「それで、親戚中をたらいまわしにされたって噂を聞いたことあるよ。
結構辛辣な仕打ちをされてたって。」
「それなのに、アイツは、不幸の元凶を普通に許しちまって、
キース団長の懺悔の酒に、毎晩付き合ってやってるんだ。」
「信じられねぇよ。巨人と戦いすぎてどっかで頭を打ったんじゃねぇの?」
「俺がアイツなら、キース団長を絶対に許せねぇなぁ。」
「それに、まだ赤ん坊だったアイツを残して、
馬鹿な部下の為に死なねぇといけなかった
アイツの両親を思うとやりきれねぇよ…。」
俺は、自分の耳を疑った。
この世界の壁よりもデカい巨人に、がつんと頭を一発殴られたような衝撃だった。
いや、むしろ、そうして欲しかったくらいだ。
扉に預けた俺の背は、氷を入れられたみたいに冷えて、血の気が引いていく。
アイツは、両親の揃った明るく温かい家庭で、何不自由なく育ったのだとばかり思っていた。
だって、アイツは、幸せの空気しか纏っていなかったし、不幸なんて見たこともない顔をして、いつも馬鹿みたいに明るく笑っていたじゃないか。
ドブの臭いが消えない俺とは違って、アイツは空気の綺麗な世界で生きていたのだと、ずっと、そう思っていた。
でも、本当に汚かったのは、ドブの臭いがする空気ではなく、アイツとキースの関係を疑った俺の濁った心だった。
それが、ひどくショックで、俺は初めて、自分を恥じた。
雪が降り始めた街は、どこもかしこもお祝いムードだった。
この日は、普段は、人類に心臓を捧げる兵士達も、我儘に自分の為だけに、友人や家族達と時間を過ごすことを許される。
愛する者達の元へ足早に向かう楽しそうな横顔が、独りきりで教会へと向かう俺と幾つもすれ違う。
兵舎に併設された教会の隣には、調査兵達が眠る墓があった。
おれはそこで、真新しい小さな墓石を見下ろす。
刻まれている名は【Kushel】、俺の母親のものだ。
今日が俺の誕生日だと眼鏡の馬鹿に聞いたエルヴィンが、俺の為に用意して、この日にあわせてここに置いたのだそうだ。
誰もそんなこと、頼んでなんかいないのに。
そもそも、この石の下に、彼女は眠っていない。
なぜなら、彼女が死んだのはもう遠い昔で、その亡骸がどうなったのかすら、俺は知らないのだ。
裕福な家庭だけが楽しむものだと思っていたイベントは、地上の世界では、誰もが平等に喜びを分かち合う日らしい。
地下街にいた俺は、そんなこと知りもしなかった。
そうして、今までは、今日という日を、いつもと同じように過ごしていたのに、今年はいきなり、プレゼントなんてものを贈られた。
それが、この必要ない墓だ。
これが、俺の生涯初めてのプレゼントだなんて、哀れ過ぎて、あまりにも俺の人生にピッタリ過ぎて、反吐が出る。
別に今さら、聞き分けのない子供のように、俺だってプレゼントが欲しかったなんてことは言わないし、今だって欲しいとさえ思わない。
ただ、今日という日が、ただのなんでもない、いつものつまらない日として過ぎてくれるだけでよかったのだ。
そうすれば、俺はこんな風に惨めな思いをせずにすんだ。
楽しそうに笑い合う仲間達と自分の境遇の違いを思い知ることも、なかったのに。
不意に、視界の端で白い何かが揺れた。
一瞬、天使が舞い降りたと馬鹿みたいなことを思ってしまったのは、アイツが抱える大きな花束が、白い翼に見えたせいだ。
なまえは、少し離れた墓石の前にしゃがみ込むと、真っ白い花束をそっと供えた。
そして、あの教会の石像の前でしていたように、両手を組んで目を閉じる。
しばらくして目を開けたアイツは、とても優しい表情で、ただの石を見ていた。
そこに刻まれている名前を、俺はもう知っている。
だから、アイツにとってそれはただの石ではなくて、両親なのだと、それを認めることは出来た。
でも、俺にとっては、目の前にある小さな墓石は、ただの石に過ぎない。
世界で一番、不幸な石だ。
「どうして、」
俺の声に気がついて、なまえがこちらを向いた。
不思議そうに首を傾げるアイツに、俺はずっと聞きたかったことを訊ねる。
「どうして、自分の両親を見殺しにしたキースを許せるんだ。」
俺の質問を聞いたなまえは、ゆっくりと目を見開いていった。
両親のことを、俺なんかに知られているとは思ってもいなかったのだろう。
誤魔化されるのだろうかと思ったが、意外にもなまえは、柔らかく微笑んだのだ。
「パパとママが、私の憧れだからだよ。」
なまえは、そう言うと、目の前の墓石へと視線を戻した。
優しい横顔は、まるでそこに、両親が見えているようだった。
そして、そこには確かに、両親への愛があった。
「私が赤ちゃんの時に死んじゃったから、覚えてはいないけど
誰に聞いても、みんなが、パパとママを褒めるの。」
「立派な両親だったんだな。」
俺がそう言えば、なまえは、とても嬉しそうに頬を緩めた。
そして、尊敬と慈悲深い眼差しで墓石を見つめながら、自慢する。
「うん、そうだよ。私の自慢なの。
パパは、誰よりも勇敢で、どんな理不尽も不公平も許せる心を持ったとても強い人。
ママは、誰よりも優しくて、みんなを平等に思いやれるとても愛情深い人なの。」
だから。
なまえが、俺を見る。
そして、続けた。
「私は、パパのように許す心を持った人になりたい。
そして、ママみたいに、出逢えた人みんなを、心から愛したいの。
そうすれば、私は、私の中で、何度だってパパとママに会えるから。」
なまえは、自分の胸元にそっと手を添え、柔らかく微笑んだ。
その微笑みは、俺が見たどんなアイツの笑顔よりも美しく、綺麗だった。
俺が見惚れている間に、なまえは、長いスカートに降った雪を払いながら立ち上がる。
そして、俺の元へやって来ると、足元の小さな墓石を覗き込んだ。
「クシェル…って読むの?」
「あぁ。」
「リヴァイの…恋人?」
「は…っ、馬鹿か。」
思いがけない勘違いに、俺は思わず、渇いた笑いを零す。
それなら誰なのかと真剣になまえが訊ねるから、誤魔化す理由もない俺は、正直に答えた。
「母さんだ。」
「そっか。じゃあ、このお墓は、リヴァイからお母さんへのプレゼントなんだ。」
「あ?」
「調査兵になったリヴァイの近くにお墓を作って貰えるなんて、
母親想いの息子を持って、お母さんも嬉しいね。」
明るく言うなまえが、凄く憎たらしく思えた。
子供は皆、両親に愛されて生まれてくるものだと信じて疑わない。
なまえの純粋な無邪気さは、時々、俺をひどく傷つけ、腹立たしくさせる。
「ガキの頃に死んで、顔も覚えてねぇ母親に、何の感情もねぇ。
かろうじて思い出せるのは、ベッドで寝てる姿だけだ。
親らしいことなんか、一度もしてもらったことねぇよ。」
どうせ俺なんか邪魔としか思っていなかったはずだ、と吐き捨てる俺の声は、肌を突き刺すような冬の風よりも冷たく、鋭く尖り、俺の心まで抉った。
俺は、なまえのようには思えない。
同じように幼くして親を失ったのだとしても、結局、立派な両親に心から愛されて生まれてきたアイツと俺とでは、分かり合える日なんか来るわけがないのだ。
だから、なまえのように、許してやることは、俺には出来なかった。
こんなことを喜ぶと思ったエルヴィンが、許せなかった。
こんな惨めなことをされる自分が、許せなかった。
母親もやっと出逢えた友人達も亡くした俺のことなんか無視して、どこもかしこもお祝いムードの街が、許せなかった。
この世界の何もかもが、許せない。
誰も俺の気持ちなんて分かるはずがないと、全てに対して怒りの感情しか持てなかった。
するとなまえは、困ったように俺に言った。
「そんなことないよ。リヴァイは、お母さんから愛されて生まれてきた子だよ。」
「適当なこと言うんじゃねぇ。
本当はお前だって、俺のことを可哀想なやつだと思ってるんだろ。
俺に声をかけるのも、この世で一番可哀想なのは自分じゃねぇと安心してぇからだ。」
そのときの俺の声は、鋭利なナイフだった。
手当たり次第に、傷つけなければ気が済まなかった。
それがたとえ、俺の大切な友人のために涙を流し、俺を独りにはしないために、いつもそばにいてくれたなまえだとしても、関係なかった。
でも、なまえは、またあの下手くそな子供の絵みたいな微笑みを浮かべると、俺を抱きしめた。
なまえが俺に触れたのは、そのときが初めてだった。
驚き、戸惑う俺に、なまえは、教えてくれた。
あぁ、なまえはいつもそうだ。
俺にたくさんのことを教えてくれる。
このときも、そうだった。
「リヴァイって名前はね、結びついた≠チて意味があるのよ。
だから、名前を聞いた時、とても素敵だなって思って、すぐに覚えたの。」
「…だからなんだ。」
「お母さんの人生がどんなものだったかは、私には分からない。
でも、生まれたばかりの可愛い赤ん坊を見て、
すべてが結びついて彼に会えたんだと知ったとき、きっと、こう思ったのよ。」
なまえが、俺を抱きしめる腕に力を込めた。
どんなに強く抱かれたって痛くも痒くもないもない華奢な腕の中は、俺が知るどんなものよりも温かかった。
なぜだか分からないけれど、それが、ひどく懐かしく感じたのだ。
そして、まるで守るように抱きしめる腕の中で、俺は、祈りを捧げているときに、固く結ばれているなまえの両手を思い出していた。
「あなたのお陰で私の人生のすべてが報われた。あなたに繋いでくれたすべてに感謝します。
だから、まだ小さな何も知らない赤ん坊のあなたにも、たくさんの結びつきを繋いで欲しいの。
そうして、いつまでも、いつまでも、たくさんの愛に包まれて、ママよりもずっと幸せになってね。
愛してるわ、私の可愛い我が子、かけがえのない子、リヴァイ。」
愛してる。
なまえの柔らかい声が、俺の耳元で優しく響く。
俺はその声を、聞いたことがあるような気がした。
そして、俺を抱きしめているのが、誰だか分からなくなる。
まるで、時間が巻き戻ったみたいに、俺は、忘れてしまった遠い昔の光景の中にいるような錯覚に襲われたのだ。
なまえがまるで、彼女からそう聞いてきたみたいに言うせいで、俺は信じてしまいそうだった。
俺が、何気なく名乗って、何気なく呼ばれてきた名前には、生まれたばかりの赤ん坊を抱いた母の深い愛がこもっているだなんて、そんな愚かな妄想をしてしまいそうになる。
なまえのせいで、俺は。
「生まれてきたその日に、リヴァイは、お母さんからこの世で最も素敵なプレゼントを贈られたのよ。
ただ存在することしか出来ない赤ちゃんのリヴァイを、お母さんは無条件で愛したの。
それって母親にしか出来ないことだよ。
ほら、ね?リヴァイのお母さんは、君が生まれたその日にもう、最も母親らしいことをしてくれてる。」
「…っ。」
俺は、何も言わなかった。言えなかった。
言葉にしてしまったら、零れてしまいそうだった。
今まで必死に胸の内に押し込んできた弱さとか、喚き散らしたい悲しさとか寂しさ、ガキみたいな我儘、涙までもが。
だから俺は、その代わりに、なまえを掻き抱いた。
まるで、母親を求める小さな子供のように、俺は、なまえに縋りついた。
そうすると、なまえは、まるで、母親のように、あぁ、違う。まるで、彼女が本当はそうしてやりたかったみたいに、俺の頭を優しく撫でるのだ。
もうやめてくれ。
本当は、やめないで。
目頭が熱くなる。喉の奥が苦しくなって、涙がせり上がる。
このときの俺に出来ることなんて、生まれたばかりの赤ん坊のように声を上げて泣き喚いてしまわないように、必死に唇を噛むくらいしか、残されていなかった。
なまえの前で、俺はいつも、無力だ。
高く築いた壁だって軽く飛び越えられて、驚いているうちに心に入り込まれる。
そして、なんとか抗おうと手に持った意地やプライドさえも、いつの間にか、指の隙間を砂のように滑り落ちていく。
なまえはいつも、俺を無防備にさせる。
そして、それが、俺は、ひどく心地が良い。
だから、しばらくして身体が離れると、俺は、寒さに凍えて倒れてしまいそうになった。
あぁ、俺はきっと。
「私は、お母さんがリヴァイを生んでくれて、
こうして私と出逢ってくれた結びつきが、すごく嬉しい。」
兵舎への帰り道、当然のように隣を歩くなまえは、そう言って柔らかく微笑んだ。
そして。
「リヴァイが、いつか、運命の人と結びついて、幸せになってくれることを
お母さんと一緒に、心から祈ってるよ。」
なまえは、また、俺の為の祈りを増やした。
そして、スキップをして、軽く俺を通り越していく。
今までずっとなんとか気づかないようにしていたのに、自覚させられてしまった俺の気持ちなんか、知りもしないで、楽しそうに俺から離れていく。
いっそ、そのまま諦めさせてくれればいいのに、いつだってなまえは、俺の心を、まるで、お気に入りの玩具みたいに振り回すのだ。
「あ!」
ほらまた、なまえが、振り返って。
「リヴァイ、お誕生日、おめでとう!
生まれて来てくれて、ありがとう!!」
ひどく可愛らしい顔でそんなことを言うから、俺は、もっと。
あぁ、もっと。
素直じゃない俺でも、これだけは言える。
この日、なまえがくれた言葉のすべてが、俺の記憶にある一番古くて、何よりも嬉しかったプレゼントだ。
ずっと、それ以上のプレゼントなんてこの世には存在しないと信じてた。
でも、生きている限り、時は流れ続ける。
そして、人は変わり、関係も変わっていく。
この世で最も素晴らしいと信じる贈り物も、いつの日か、カタチを変えていったのだ。
運命の分かれ道があるとすれば、俺にとってのそれは、その翌年の同じ日だった。
その日は、お祭り騒ぎの好きな友人達が、食堂を飾り付けて、誕生日パーティーを開いていた。
アイツは、真っ白い雪を纏ったみたいな綺麗なレースのワンピースを着ていて、とても綺麗だった。
触れてはいけないんじゃないか、と尻込みしそうになっていた俺の背中を、眼鏡や眉毛の友人達が強引に押す。
でも、当たって砕けろと、勝手なことを言って、ニヤけた顔で見送った奴らがいなければ、俺は勇気を出せなかったかもしれない。
なまえがいると聞いて向かった教会で、アイツは、ひとりで、あの石像を見上げていた。
俺が声をかければ、少し驚いたように肩を揺らして振り向く。
「リヴァイ、誕生日、おめでとう。
生まれて来てくれて、ありがとう。」
今日の日、何度も何度も言われて聞き飽きてもいいセリフなのに、なまえに言われると、俺は、誰に言われたときよりも嬉しくなった。
そして、この世に生まれて、本当によかったのだと信じられるのだ。
愛おしいという感情を、俺はなまえから教えて貰った。
人を愛する心を、どんな理不尽も間違いも許す心を、人生が俺を苦しめたときには膝をついてもいいんだってことを、なまえが教えてくれた。
それなら俺は、なまえの為に何が出来るだろう。
ずっと、考えて来たけれど、答えは見つからない。
でも、もしも、なまえがそばにいるだけで俺が強くあれるように、俺がそばにいるだけで、なまえの美しい笑顔を守ることが出来るのなら。
「俺が、運命の人と結びついて、幸せになって欲しいと今も思ってるか?」
俺がそう訊ねると、なまえは少しだけ表情を曇らせた。
愛された記憶を持たない俺は、途端に、自信がなくなる。
やっぱり答えなくていい、と逃げ出したくなる。
でも、それではダメだ。
刃のように尖っては、触れようとするものすべてを傷つけることしか出来なかった俺を、なまえはいつも諦めずに信じてくれた。
どんなときもそばにいて、柔らかい微笑みをくれた。
だから俺も、自分の弱さに負けてはいけない。
それにどちらにしろ、なまえはまたすぐに柔らかい笑みを浮かべて、俺の足を地面に縫い付ける。
そして、いつまでも、なまえの微笑みを見ていたいと俺に思わせるのだ。
出来れば、誰よりもそばで。
「うん、思ってるよ。誰よりも、リヴァイの幸せを祈ってる。」
「それなら俺は、
お前がいい。」
「え?」
「運命とかは分からねぇ。
でも、俺の幸せは、お前が隣にいる未来だってことは分かる。
だから、」
だから。
あぁ、足が、手が、心臓が、大地が、俺が感じることが出来るすべてが震えて、うまく言葉が出ない。
こんなの初めてだ。
でも、伝えなければならない。
この気持ちは、一生のものだと、彼女の隣で過ごして来た日々が、俺にそう、確信させたのだ。
だから、俺は。
「好きだ。だから、なまえの一生の結びつきを、俺にくれないか。」
ゆっくりと見開かれていったなまえの瞳が、次第に潤んでいく。
溢れた涙が、頬を伝い、声にならないなまえは、何度も何度も頷いて、俺の願いを叶えてくれた。
だから俺は、なまえを抱きしめて、涙を拭って、誓ったのだ。
「愛してる。永遠に。」
「私、も…っ、好き…っ、愛してる…っ。」
調査兵として鍛えてるくせに、いつまでも華奢な身体を抱きしめる。
あの日、教会で声をかけられてからずっと、途方もないほどに優しく温かく俺を守ってくれたなまえを、今度は俺が一生をかけて守り抜く。
この誓いは、変わらない、ずっと。
ずっと、永遠に。
「あー!いたいた、リヴァイ!!やっぱりここだった!!」
懐かしい記憶を呼び起こしていた俺は、友人の声を聞いて現実に戻って来た。
跪いていた身体を持ち上げて立ち上がり、振り返れば、ハンジが、大きく手を振りながら走って来るのが見えた。
「もうすぐだって!!早く行ってやって!!」
ハンジが言い終わるよりも早く、俺は兵舎の医療棟へと走った。
医療棟が見えてくると、俺を見つけた友人達に、早くしろと急かされる。
遠くから、悲鳴のような声も聞こえ始めた。
あぁ、いよいよなのだ。
このときをずっとずっと待ち侘びていた。
初めて君に会うことに、不安がないわけではない。
でも、俺の心を占めるのは、未来への希望と、君への溢れんばかりの愛だ。
俺はもう、世界のすべてに刃を向けて、世界のすべてを嘆いたりはしない。
親に愛された記憶がなくたって、なまえが、俺は母親に愛されていたことを教えてくれた。
彼女の愛がどれほど偉大で、慈悲深かったかも、俺はもう知っている。
この世が、どれほどの愛で溢れているのか、どれほど優しく美しい世界なのかも、俺はもう知っているのだ。
だから、俺はしてやりたい。
君にしてやりたいことが、たくさんある。
彼女が俺を抱きしめていたように、君を優しく包み込むように抱きしめよう。
彼女が俺の成長を見守り続けてくれたように、君が俺に向ける牙だって受け止めて見守るつもりだ。
本当は彼女が自分で教えたかったことを、俺から君に教えてあげる。
俺は、彼女がなりたかった母親にはなれないかもしれないけれど、君にとって、誰よりも勇敢で、強くて、自慢の。
「なまえ!!」
悲鳴が聞こえていた扉を乱暴に開けて、転がるようにベッドまで走った。
そこは、修羅場のようだった。
医療兵達が、慌ただしく声を上げて、万が一でも対応できるように準備を始めている。
その中央にあるベッドの上で、いつも笑っているなまえが、ひどく苦しそうにしていた。
浅く息をして、額に汗を浮かべ、悲鳴のような声で叫んでいる。
なまえを支えるペトラやニファ達まで、眉間に皴を刻み、今にも泣き出しそうだ。
「大丈夫だ!俺がいる!!」
なまえの手を握り、俺はひたすらに名前を呼んだ。
そして、俺がいるから大丈夫だと繰り返した。
一生守り続けると誓ったところで、なまえの前で、俺が無力であることは、いつまで経っても変わらない。
こんな時なら、尚更だ。
俺は、なまえを信じて、そばにいてやることしか出来ないのだ。
それが歯痒くて、苦しい。
どれほどの時間が経ったのかは分からない。
俺の声も、なまえの声も、枯れ果てようとしていた頃に、漸く、その瞬間が訪れた。
一瞬の静寂の後、大地を揺らすんじゃないかというほどに、力強く大きな泣き声が、部屋中に響き渡った。
それはまるで、この世界に自らの命の誕生を宣言しているようだった。
「ッしゃぁぁああああーーーー!!生まれたぁぁぁぁあああッ!!」
ハンジが、ガッツポーズをして、雄叫びを上げる。
その声は、処置室の外で、そのときを今か今かと待っていた仲間達にも届いたらしく、扉の向こうからも大きな歓声が聞こえて来た。
「兵長、元気な男の子ですよ。
どうぞ、抱いてあげてください。」
ペトラは、真っ赤に濡れた身体を優しく拭うと、泣き喚く小さな小さな命を抱いて、ベッド脇の椅子に座っている俺に渡そうとする。
「まずは、命懸けで産んだやつが先だ。」
「なまえさんの希望ですよ。」
ペトラに言われて、俺はなまえへ視線を移した。
ベッドに横たわったままのなまえは、まだ浅い息をしていたけれど、俺の視線に気づくと、またあの柔らかい笑みを浮かべた。
「最初は、リヴァイに、抱いて欲しい。
そしたらきっと、久しぶりに、お母さんに、会えるよ。」
なまえの言っていることは、正直、よく分からなかった。
いつもだ。少し抽象的過ぎるのだ。
でも、なまえが言っていることが、間違っていたことも一度もない。
だから俺は素直に従って、ペトラから小さな小さな命を受け取った。
俺の腕に抱かれると、不思議と赤ん坊は泣き止んだ。
本当に、小さかった。
赤ん坊とはこんなに小さいのかと驚いた。
でも、凄く重たかった。
胸にズシリとかかる重みが、命の重さなのかもしれないと信じたほどだ。
死んでもいい人間なんて、いるわけがないはずだ。
こんなに、こんなにも重たいのだから。
俺は、生まれたばかりの小さな赤ん坊を、そっと胸に抱き寄せた。
そして、心臓の鼓動を感じたその瞬間に、俺は、なまえが言っていた意味を理解する。
心臓の鼓動と共に、遠い昔の記憶が、一気に頭を駆け巡る。
死ぬほど苦しかったことも、死に行く母を部屋の隅で眺めることしか出来なかったことも、育ての親に捨てられたことも、そして唯一の家族だったはずのソイツすら死んでしまったことも、友人や仲間達の死も。
辛いことなんて、理不尽なことなんて、数えきれないほどにたくさんあった。
自分の人生を呪ったことだって、1度や2度じゃない。
でも、辛かったことも幸せなことも、そのすべてが折り重なって、腕の中で俺を見上げるこの小さな赤ん坊に結ばれていたのだと思えば、やっと、俺は自分の人生を心から愛せたのだ。
この瞬間に、なんとか歯を食いしばって生きて来た俺の全てが、報われたようだった。
俺は今、心から、俺を産んでくれた彼女に感謝をしている。
そして、今までの人生で最も、彼女をそばに感じるのだ。
(あぁ…、母さんも、俺が産まれたとき、こんな気持ちだったのか。)
赤ん坊を抱く俺の中に、彼女が、母さんが、いる。
ちゃんと、俺の中に、母さんは生きていた。
彼女は、とても愛おしそうに生まれたての赤ん坊を見つめ、そして、涙を流しながら、こう言うのだ。
「ありがとう…っ。ほん、とうに…っ、ありがとう…っ。
生まれて、きてくれ、て…っ、ありがとう…っ。」
彼女が、赤ん坊の俺を抱きしめた様に、俺も、我が子を抱きしめる。
せっかく、赤ん坊は泣き止んだというのに、俺の方が泣いてしまっていたらどうしようもない。
そしたら、なぜかペトラとニファまで泣き出して、よく耳を澄ませば、扉の向こうからは、いつもは仲間を鼓舞する力強い男の嗚咽のような泣き声まで聞こえていた。その後ろからは、いつの間にか部屋を飛び出していたらしいハンジの奇声が聞こえてるし、いつもは奴を落ち着かせようとしてくれるはずのモブリットまで一緒になって叫んでいるらしい。
(やっと、会えたな。ずっと、お前を待ってたんだ。
みんなが、お前に会えるのを楽しみに待ってた。)
俺を見つめ返す大きな瞳は、なまえにそっくりだった。
きっと、母親に似てくれる。
神様に愛されて恵まれた容姿も、美しい心も、きっと。
漸くベッドに身体を起こして座ったなまえにも、赤ん坊を渡した。
なまえは、大切そうにそっと胸に抱き寄せると、とても愛おしそうに我が子の頭を優しく撫でた。
俺は、そこでも、彼女に会えたのだ。
そして、なまえが心から憧れる優しい母親にも、俺は初めて会えた気がした。
俺達の中には、確かに、彼女達が存在していたのだ。
そして、こうして、俺達は結ばれて、命が繋がれていくのだろう。
俺は、椅子から立ち上がると、なまえの隣に座るように、ベッドに腰かけた。
産まれたばかりの赤ん坊は、母親の腕の中で安心したように、俺達を見上げていた。
「ちゃんとお母さんに、この子のこと伝えて来た?」
「あぁ、約束通り、ちゃんと伝えて来た。」
「なら、よかった。」
なまえが、安心したように微笑んだ。
そして、腕の中の我が子を愛おしそうに見つめる。
「可愛いね。」
「なまえに似てる。」
「そうかな?リヴァイに似てるよ。
この生意気そうな薄い唇とか、そっくり。」
「それは残念だったな。
デカくなったら、口喧嘩はお前の負けで決まりだ。」
「なんで?リヴァイとの喧嘩は、いつも私が勝つよ。」
「俺が折れてやってるからな。
コイツは、そんなお情けかけてくれねぇよ。な?」
指でつついた赤ん坊の頬はとても柔らかくて、世界で一番の壊れものみたいだった。
そう思った次の瞬間に、木の葉のような小さな手に、俺の指を力強く握りしめられる。
あぁ、本当に凄い。
俺は、心を動かされてばかりだ。
この世に何よりも重たくかけがえのない命というものを誕生させる母親という生き物にも、両親の人生を一瞬にして素晴らしいものにしてくれる世界で一番小さな英雄にも、俺はきっと、一生敵わない。
あぁ、俺は、君の父親になれたことが、嬉しい。
君に出逢えたことが、こんなにも、嬉しい。
「なまえ、俺を父親にしてくれて、ありがとう。」
「こちらこそだよ。この子に結びつけてくれて、ありがとう。」
愛おしい我が子を胸に抱くなまえの頬に、そっと手を添えた。
いつの間にか、部屋には俺達だけしかいなくなっていて、導かれるように重なった唇を見たのは、生まれたての赤ん坊だけだ。
「幸せだね。」
「あぁ、幸せだ。」
俺となまえは、お互いを見つめて微笑み合う。
今、俺達は、人生で一番の幸せを感じている。
だって、街中がお祝いムードのこの日、俺達の元に、君が舞い降りてくれたのだ。
なんて素晴らしいのだろう。
なんて素敵なことだろう。
君は、この世界に生まれたその瞬間に、俺となまえを救ったのだ。
いつか君が、大きくなったら教えてあげよう。
君が生まれてくれたことが、俺にとって、人生で最も素晴らしい贈り物だったことを。
だって、君は、パパとママの。
You're my Christmas Blessing
地上では、どこもかしこもお祝いムードのその日、幸せの光が届かない地下街の奥深くにある娼婦達が暮らす小さな部屋で、ある女がたったひとりきりで、命を懸けて我が子を産んだ。
大きな声で泣く元気な男の子だった。
産まれたばかりの我が子を胸に抱き寄せた彼女は、力強い心臓の鼓動を感じたその瞬間に、溢れる涙を止められなくなった。
生まれてから今日まで、彼女の毎日は、苦しみばかりに溢れていた。
理不尽や不公平が、彼女の人生を台無しにしたのだ。
でも、彼女はもう二度と、自分の人生を嘆いたりしないだろう。
彼女は、知ったのだ。
今までの苦しみや悲しみのすべてが、今、腕に抱く小さな命に結びついていたのだということを。
彼女にとって、小さな小さな赤ん坊は、苦しみに打ちひしがれるばかりだった人生を救ってくれた英雄だった。
漸く、待ち侘びた幸せを手にした彼女は、腕の中で力強く泣く彼に、生まれて初めての母の愛のこもったプレゼントを贈る。
「生まれて来てくれて、ありがとう。
きっと、大きくなったあなたは、
この日のことを忘れてしまうんでしょうね。
それでも、祈らせてほしいの。
あなたに、愛する心がありますように。
許す心がありますように。
人生はきっと、あなたにツラくあたると思う。
悔しいことも、きっと、他の人達よりもたくさんあるわ。
助けようとする私を煩わしく思う日も来るんでしょうね。
それでも、私はいつでもあなたの味方よ。
そばにいても、途方もなく遠く離れてしまっても、
私はいつだって、あなたを心から愛して、見守っている。
だから、心配しないで。あなたの人生を自由に生きてね。
私があなたに出逢えて救われたように、
素晴らしい結びつきが、
あなたを愛して、救ってくれることを、心から願ってる。
愛してるわ、リヴァイ。心から、愛してる。
私は、あなたがこの世に生まれてきてくれたことが、
こんなにも、嬉しい。」
彼が、彼女の祈りを思い出す日は、訪れることはないだろう。
それでも、彼の中に、彼女の祈りは、愛は、生き続ける。
そして、彼が、とても幸せそうに胸に抱く偉大な命へと、受け継がれていくのだ。
まるで、愛が結んだ絆は永遠に消えないことを、その命を持って、証明するかのように。
So here's to the birthday boy who saved our lives!
(
この日に誕生した救世主の男の子に乾杯を!
)
- fin -
執筆者さんに応援
コメント
を送る。
コメント数:0
「#お仕置き」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -