Happy Birthday Levi 25/12/2019
18 朝、手を繋いで
私とリヴァイ兵長との出会いは決していいと言えるようなものではなかった。それは、彼に対して悪い印象しか持ち合わせていなかったから。でも何故か、接するうちに彼を認めるようになり、気が付いたら尊敬や憧れを通り越して……今は惹かれている。彼が自分の事をどう思っているかなんて分からないし、知りたくはない。だって自分は兵士で尚且つ所属兵科は『調査兵団』。いつ死ぬやも分からぬ自分が恋などに現を抜かしている暇などないのだ。ましてやそれが人類最強と言われるようになった男になんて……だから男としてではなく、兵士として人として接する。
それはずっと変わらない。そう、思っていた。
―――――
844年 某日
「新しい仲間を紹介する。皆に自己紹介を」
朝、珍しく全調査兵に集合の号令がかかり、壇上にはキース団長と男2人、女1人の3人が居た。自分はハンジ班の隊列に並んでその様子を眺める。
「リヴァイだ」
背の低い、黒髪の男は名前だけ告げる。え…それだけ?、きっとこの時そう思ったのは自分だけではないはず。あのリヴァイという男は目つきが悪くて何だか近寄りがたい。まぁ、自分と接触することはあまりないだろうと深く考えなかった。
「なまえ、あの新しく来た3人の訓練見た?」
「ううん、私は別の場所に居たから見てないけど…」
「凄かったわよ?それに、なんでも王都の地下街からエルヴィン分隊長が引き揚げて来たらしいのよ」
「ぇえ!?エルヴィン分隊長が??」
今は昼餉時で同期と一緒に食事を摂っていた。同期はフラゴン班の兵で乗馬や立体機動の動きを見たらしい。彼の立体機動の事は耳にしていたが、本当に凄いらしい。そして同期はファーラン、イザベルと話をしたようだが……
「話をしてたら地下街から来たとは思えないほど普通なのよね」
「えー、でも気を付けなよ?こんな中途半端な時期に入団するなんて変でしょ。絶対何か裏がある」
「考えすぎよ」
同期はそう言って笑っているが自分はまだ納得がいかない。今言ったように入団時期がおかしいのだ。彼らの事を怪訝に思っているのは自分だけではないようで兵の中からも不満の声が多数上がっていた。
そんな中、次の壁外調査にも彼等が参加すると情報が回ってきて不満が爆発した。
「ハンジさん!なんで彼等も参加するのですか?!まだ入団して間もないというのに!!」
おかしいです!、自分の直属の上司に数人の仲間と一緒に訴えに来ている。団長もエルヴィン分隊長も何を考えているのかと。
「なまえ。君の言いたいことは分かる。だが、団長が決めた事だ。私達は従うしかないだろ?」
「ですが…!」
「言っとくけど、私はすごーく興味がある。特にリヴァイって彼は……」
ぐふふ、とメガネを光らせ始めたハンジさんを見て慌てて退室する。いくら立体機動の扱いに長けているからと言っても実戦は違う。壁外に出ても泣き言を言うに決まっている。
――――……
「……す、凄い…」
なんて思っていたけれど、今、目の前で起きた事は夢だろうか。
エルヴィン分隊長が考案した"長距離索敵陣形"と言われるものを試すために壁外にいる。そして巨人が現れたのだが初日のそれも運悪く奇行種。応戦するも兵が殺られるのを後方から見ることしか出来なかった。
「ハンジ分隊長!救援に入りましょう!」
「ダメだ!私達はこのままキース団長達と合流する!」
「…しかし!」
「いいかい、ここは壁外だ。1人でも多くの兵を残して帰還するのが懸命だ」
ハンジさんが言ってることは最もだ。それぐらい自分でも理解している……でもあそこにはフラゴン分隊長の班が。つまりは自分の同期もいる…。歯を食いしばり、断腸の思いで無事を祈った。ハンジさんの合図で横にそれ始めたがそこへ誰かが巨人の足へ切り込みを入れたと思えば次の瞬間には巨人が蒸気を上げて倒れていた。目の前でそれを目撃して思わず"凄い"と呟いてしまう。
ハンジさんも同じだったようで暫く呆けていたが「急ごう!」馬を蹴って加速する。チラリと先程まで巨人が立って居た場所には風でなびく黒髪が見えた。紛れもなくつい先日入団したあの男が巨人を討伐したのだ。
その瞬間、彼はこの兵団にとって欠かせない人材に成りうるのではないかと思うのと同時に嫉妬した。訓練兵団を経ていない人間が、いくら立体機動を上手く使いこなせてるとはいえいきなり巨人を仕留めたのだ。しかも奇行種を。自分ですらまだ補佐ぐらいだというのに…。邪念が渦巻き握る手綱に力が入る。
数日後―――……
前方に高い高い壁が見え始め、近付く頃には鐘の音が鼓膜を揺らした。数日の壁外調査も終え自分は生きて帰還する。今回はいつもより被害が少ない方だ。それでも悪天候に見舞われ犠牲者が出た事には変わりない。ただ、被害が少なく済んだのも全部彼、ことリヴァイの力量があってのもの。帰還する頃には彼の実力を認める者が大勢居た。
「なまえ、今回の報告書は君にお願いしよう」
ローゼの調査兵団本部に到着してハンジさんに指示される。各々で報告書を書かなければならないのだが、ハンジさんが言ってる事は恐らく隊の報告書。いつもはモブリットさんが纏めていたはず…。
「構いませんが…何故ですか?」
「モブリットが手を痛めたんだよ」
「?!大丈夫ですか?!」
モブリットさんの怪我なんて自分達、ハンジ班の存命危機だ。誰がハンジさんの暴走を止められるのか…。
「大丈夫だよ。数日もすれば治るはずだ」
それを聞いて安堵する。それならばと報告書を追加で作成していく。自分の分を書き終えた後に隊の分を書くが…
「釈に触るなぁ……」
所々に出てくるあの男の名前。今回の調査で自分達は何度か彼に助けられているのだ。握るペンを置き背伸びをする。窓から外を見れば既に闇が訪れていた。体感的に今は深夜を過ぎたくらいだろうか。
外の空気を吸おうと部屋を後にした。いつも不眠時に足を運ぶ場所へ歩を進めたが既にそこには先客が。後ろ姿でその人物が分かり胸にある塊が更に重さを増す。
「…俺に用か?」
部屋に戻ろうとしたが足音がどうやら彼の耳に届いたようだ。そんなに大きな音ではなかったが……地獄耳だ。
「いえ、別に……貴方に用がある訳ではありません」
「そうか…ならばガキはさっさと寝るんだな」
チラリとこちらを見やる彼の物言いに溜まっていたものが一気に溢れ出した。
「…貴方こそ。こんな時間に、こんな所で何をしてるの?」
拳を強く握り締め、語気も強くなる。
「あ?ただ酒を飲んでるだけだ」
「支給された酒を勝手に飲むなんて……これだからゴロツキは…」
自分でも酷い言い草だと思った。けれど、彼に対して抱いている負の感情が相まって攻撃的な言い方になり止まらなかった。彼も応戦するように睨みを効かす。
「な、何よ。どうせ地下でもくすねてたんでしょ!」
その鋭い眼(まなこ)にたじろぎながらも吐き捨てる。何か言われる、そう思ったが彼は何も言わず酒を口にした。さも眼中にないですと言わんばかりの態度に腹が立つ。何なんだこの男は。そこで一緒に地下街からやって来た2人が巨人に殺られた事を思い出した。
あれは出発してから数日後の事だった。嵐のような雨に濃霧という悪天候に見舞われ視界不良になり、巨人の存在に気付かず幾つもの隊が壊滅したのだ。彼と一緒の班だったフラゴン分隊長も…同期も……彼だけ生き残っていたのだと。あれだけ強いなら何故…。
「…今回の調査で死んだ仲間だって地下にいた方が良かったんじゃないの?巨人に喰われるよりゴミだめの中で死んだ方がよっぽど…」
更に握る拳に力が入る。色んな感情が混ざりそれが言葉となって目の前の男にぶつけた。
「…やめろ。それ以上は言うな」
ここでやっと彼が口を開く。それでも視線は酒に注がれこちらを見ない。
「本当の事でしょ…?わざわざ死にに来なくなって…まぁどうせ死んだって誰も何も思いやしな……っ!!」
何が起きたのかすぐに理解出来なかった。一瞬のうちに彼に胸ぐらを掴まれ呼吸が苦しくなる。同じ背丈ぐらいだというのに体が浮く。それでも目の前の男を見下ろし睨んだ。
「…このまま喋れなくしてやってもいいが?」
「や、やれるものなら…やって、みなさい、よ…そうすればまた…汚い地下に…戻れるかも…よ?」
息も絶え絶えに話す。掴んでいる手に力が入り更に気管が狭くなる。酸素が肺に上手く入らず流石にヤバい。意識が遠のきそうになる中、薄目で彼を見下ろした。星明かりの元、照らされる彼の瞳は鋭いまま。でも微かに光って見えるそれに何故だか胸が……
「…く、苦し……」
呼吸が出来ず、自分はここで死んでしまう…やっと壁内に戻って来れたのにこんなところで…しかも人間に…自責の念を感じながらも虚しさが襲い、目から涙が零れる。それが頬を伝う頃、胸元から手が離れた。地面に崩れ落ちた体を僅かに起こし、急速に気管を通る酸素にむせ込む。
「…なんで…?」
「女を殺るのは主義じゃねぇ」
「…こほっ…あんたや仲間を、貶したのに…?」
「あ?自覚があるなら殺った方が良かったか?」
「嫌よ!人に殺される、なんて…調査兵団の恥よ!」
「ほう…人間以外になら殺られてもいいのか?」
「うぐっ…そ、それは…というか、なんで殺られる前提なのよ!そんな簡単に死にやしないわ!」
失礼な男だ、そんな事を思って激怒する。そうさせたのは自分なんだけれども。
「威勢のいいガキだな」
「な…っ!ガキじゃない!」
「何言ってやがる。そうやってピーピー喚いてんじゃねぇか。ガキで充分だ」
「な、なんですって…!」
人を子ども扱いするなんてやめてほしい。自分はもう19歳だというのに。この男こそガキなんじゃないかと思わずにはいられない。
「…あんたこそ口は悪いし背も小さいんだからガキなんじゃ……ぅぶっ?!」
「…おいてめぇ……二度とその事には触れるな…さもなくば…」
片手で頬骨を思い切り挟まれこれはこれで痛い。ミシミシと骨を伝わり音が直接脳に響く。あまりの痛さに何度も頷けば数秒睨まれた後解放される。頬を擦りながら男を見上げた。
「…いたた…容赦ないのね…」
「当たり前だ。こっちは貶されてんだ。怒るだろう」
「…何よ…それでも余裕そうじゃない…これじゃ本当に、私がガキみたい……」
冷静な彼と自分との間に得体の知れぬ何かがある事だけは分かった。でもそれがまた自分を惨めな思いにさせて情けなくなる。それに同期や仲間を失った悲しみも加わり気が付けば頬に冷たいものが伝っていた。彼に見られまいと急いでジャケットの袖で拭う。
「…泣くな」
「何よ…あんたには関係ないでしょ」
「ああ?そんな面して何言ってやがる…黙ってその汚ねぇ面をどうにかしろ」
そう言われて投げつけられたのは白いハンカチ。言葉は乱暴なのにその几帳面に折り畳まれている事に驚く。
「…あなた…彼女でもいるの?」
その女子力の高さに思わず出た疑問。彼は舌打ちをして何も言わない。そうか、こんな彼にも大切な人がいるのか…そう思うと彼はそこまで悪い人間ではないのかもしれないと思うのと同時に先程までの自分の態度が恥ずかしくなる。人は見かけによらず、とはこの事だ。涙を拭いて彼に向き直った。
「さっきは…ごめんなさい…言い過ぎたわ…」
「別に構いやしない。事実だからな。だが、仲間を侮辱する事だけはやめろ。あいつらはどんな理由があっても此処の一員になった。俺も、命を賭した彼奴らも、お前も…平等だ。そうだろう?」
地面に座り直し、酒をまた口にして話す彼の言葉が意外でしばし呆ける。どうやら彼は仲間を大事にする人らしい。
「……意外です…」
「どういう意味だ」
「いえ…地下街のゴロツキなんて悪いイメージしかなくて…」
「当然だ。無法地帯だからな…だからと言って仲間を悪く言われるのは胸糞悪りぃ…」
彼のその言葉に何も言えず罰が悪くなる。なんと返せばいいのか…。
「…星が、見事だな」
重苦しい空気が漂う中、突拍子もなくそんな事を言い出す彼に時が止まる。彼が星を愛でるとは。また意外だと言えば彼の機嫌を損ねかねないのでそれには触れず応える。
「…そうですね…今晩は一層綺麗です…リヴァイ、さんは星座と言うものをご存知ですか?」
「…なんだそれは」
「星で形とったもので、たくさんあるんです。中には夜の暗闇での道標となったり…誕生日を星座で分けたりもされています。それが12個あって…」
「ほう…お前物知りだな」
「昔、親の仕事関係で街の書物庫に入り浸っていて…読んだ事があるんです。古びた本で…とても興味深かったです」
彼が星を好きなのか定かではないが自分は好きだ。だから思わずペラペラと話してしまう。けれど、自分は彼に対していい印象を持っていなかった。流されちゃいけないと思いながらも話が止まらない。気まずい空気を気遣って話題を変えてくれたのか…兵士である自分が嗜好の話をする事なんて滅多にないから熱が入る。
「何でも神話からきているらしく…見た事もない形がたくさんあります」
そして星空を仰ぎ見て今見えている星座を幾つか彼に教えた。
「なかなか興味深いものを聞いた。礼を言う」
「礼には及びません。兵士には必要のない戯言です」
「そうでもねぇんじゃねぇか?少なくとも俺は新しい知識を得た。今後の夜の楽しみになるだろう」
自分の話をそんな風に言って貰えたのは初めてで何だか照れくさくなる。さっきまで自分を殺そうとしていたのに…変な男だと思った。そして自分も夜の星を通し彼の一部に触れた事でここに来た時の感情が薄らぐ。何だか複雑な気分だ。
「そんな事を言われても嬉しくないです…仲間として受け入れますが私はまだ貴方の事を認めてませんから」
やはり何となく彼に流されてるような気がして慌てて取り繕うように言い放った言葉。彼はそれを聞くと「そうか」、それだけ言って何も言わなくなった。
ここに居ても気まずいだけ。失礼します、一声かけて踵を返す。やり残した報告書を纏めなければ。彼に対しての蟠りが少しだけ払拭されペンが進む。少しだけ認めてやろう……上から目線だろうが関係ない。静かな自室に蝋燭の燃える音と紙の上を滑るペン先の音が夜の闇の中へ消えていく。
手を動かしながら先程の彼とのやり取りを思い出す。そして彼の小さな呟きも。本当に小さな声で幻聴だと思った。けれどもしあの呟きが本当なら…聞こえたと認めれば胸の苦しさが増してしまう気がした。
ポタ、パタ……
気が付けば手元の書類に幾つか染みを作ってしまう。彼の前で止めてしまったそれが今になってまた溢れ出す。机の隅に後で洗濯しようと持って来た彼のハンカチが目に止まる。もう一度それで目元を拭い彼の呟きと失った仲間達の顔が浮かんでは楽しかった日々の記憶を思い返した。
もうあの日々は戻って来ない。誰も居ないけれど声を押し殺し静かに、涙を流した。ハンカチから鼻腔を通る香りに何故だか安心感を抱いたのは自分だけの秘密。
―――――――
(Levi side)
その年の冬。
調査兵団に入ってから数ヶ月が経った。初めての壁外調査で最も信頼していた仲間を失い、取引で自分を此処に招き入れた男は分隊長から団長の座に就こうとしている。彼奴は分隊長におさまる野郎じゃないと思っていたがやはりこうなったか。キース団長も彼奴の器量が計り知れないと感じたのだろう。
「めでてぇな。晴れて団長だ」
此奴の執務室に用があって来たのだが、ついでに祝いの言葉をかける。
「はは、めでたいのだろうか。団長に就任し果たしてそれが吉と出るか…」
「何言ってやがる。なりてぇ面してたじゃねぇか」
「そんなつもりはないが?」
自分が団長になれば思うように部下を動かせる。仕組みも変えることが出来る。ずっと此奴にはそんな気持ちがあったに違いないと出会ってから感じた。
「…どちらにせよ、俺はあんたについて行くと決めた。せいぜい団長業にこれから励むんだな」
「君も、兵士長の座に就くじゃないか。私が団長になった暁には力量を発揮出来るように計うとしよう」
「…余計な事を…面倒くせぇことをしやがる」
チッ、舌打ちをし部屋を出る。恐らく今頃気味の悪い笑みでも浮かべてるに違いない。何を考えているのか理解しようとも思わないが。
「あ、リヴァイさん」
エルヴィンの執務室を出てから廊下を歩けば向かい側から名前を呼ばれる。視線を僅かに上げればあの女兵士が書類を両手に抱え歩いていた。
「エルヴィン分隊長は執務室にいらっしゃましたか?」
「ああ。今頃、嬉々として書類整理に追われてるだろう」
「嬉々としてって…リヴァイさんも大変なのでは?」
「彼奴と一緒にするな」
「心配してるんじゃないですか」
「そうか…気持ちだけ受け取っておく」
もう素っ気ないですね!、眉根を寄せて怒る此奴は自分に容赦なく思った事を言ってきやがる。感情が豊かなのか喜怒哀楽がよく分かった。所詮、ただのガキに過ぎない。
此奴と初めて言葉を交わしたのは自分が初めての壁外調査から帰還した日の夜のこと。イザベルとファーランを亡くし、後悔をするなとエルヴィンに言われ何か大きなものを持ってる彼奴について行こう、その決意表明と命を賭した仲間に酒を手向けていた所に現れた。その酒はエルヴィンの野郎が隠し持っていたらしく、執務室を出る際「流石に疲れただろう。寝不足は体に良くない。これでも飲んでゆっくりする事だ」、そう言って渡された。初めは断ろうとしたがボトルを見て上物だと直感が働き有り難く頂いたわけだ。
此奴は当然それを知らない。だからゴロツキだの、くすねただと散々な事を言いやがる。此奴が自分の事をよく思っていないことは気付いていた。他の奴らにも居たようだしな。何を言われようが地下街での生活もあって慣れていた。だが、自分の事ならまだしも途中で仲間を貶された事に胸糞悪くなり気付けば相手の胸ぐらを反射的に掴み締め上げていた。
だが、俺も女を殺るのは後味が悪い。ましてやここは地上で調査兵団の兵士だ。別に殺るつもりでもなかったがこれで大人しくなるだろう。こんな奴でも謝罪する素直な心を持ち合わせているようで悪くないと思った。
言葉を交わすつもりは無かったが、あの眼鏡の変人に此奴の話をチラリと聞かされた事を思い出した。数年在籍しているが、巨人討伐補佐は腕がいいらしい。亡くなった同期が良きライバルとなって腕を磨いていたとか。その同期もイザベル、ファーランと同じ巨人にやられちまったようだった。だからこそ負の感情が自分に向けられる事はある程度理解していた。
「例えば…ほら、あそこに一際大きな星があるでしょう?あれとここと…あっちを繋げると…鳥が飛んでるように見えるんです。そして、広げた羽の間に無数の星達が集まって、流れる星の道が…」
星の事となると先程の態度が一変して楽しそうに話す此奴の横顔をチラリと見やる。恐らく友ともこうして話したに違いない。
「…すまねぇな」
聞こえるか分からない程の小さな声で呟いた。どうやら聞こえていないようで何も言わずに話を続け、会話が途切れると去って行く。足音が完全に聞こえなくなってからもう一度彼奴が教えてくれた星とやらを見上げた。ここにイザベルが居ればはしゃいでいたに違いない。ファーランも地上から見る星々に形があるのだと知ったら喜んでいただろう…。
いつも隣にいた彼奴らが欠けてしまいなんとも言えない虚無感が心の中にあった。後悔の念は、あるだろう…だが、あの金髪野郎の言う通り俺達は無知で巨人の事について何も知らない。こんな事になったのも"巨人"がそうさせている。だからあの時、あの男に誓った。此奴の元にいれば何か分かるやもしれない、と…失った仲間の為にも最期まであの男に着いていくと誓った。
酒を喉に流し込んで夜風に当たりながら、今後の自分の在り方を考えていた時の記憶が甦る。
あの夜から1週間程経ったある日、隊編成のために兵士達が集められた。自分は部下は要らないと伝えている。だが、一匹狼で居ることは出来ないようで第1分隊に配属された。あの女兵士は変わらずあの変人眼鏡のところのようだが…自分には関係ない。隊が違う分、そこまで接点はない。ないはずなんだが、あの眼鏡はろくに仕事も出来ないようで…
「ハンジさん!またこんなところでサボって!」
「なまえ!勘弁してくれ!もう寝不足で頭が回らないんだ!」
「みんなそうですよ!ハンジさんがやらなきゃいけないことが沢山あるんですから!」
「モブリットはどうした?!」
「モブリットさんは別件で資料室に篭っています!」
「あぁぁあー!そんなぁ!それじゃあ尚更時間がぁ!」
眼鏡の絶叫が食堂に響く。あの女兵士が…なまえと言ったか…彼奴が両手を腰にあてて叱責している。それでも動こうとしない眼鏡の側に立った。
「…おい、そこの眼鏡…さっさとここから出て行け。まともに食事も出来ねえだろうが…」
「リヴァイ?!」
「…あ"あ?」
此奴に名前呼びをされただけで胸糞悪い。それに…此奴から放たれる微かな異臭に己の眉間が深くなったのが分かった。
「…此奴は風呂に入ってんのか?」
近くにいるなまえに声をかけた。まさか話しかけられるとは思っていなかったのだろう。間があった後に首を横に振った。どうりで、と舌打ちをし眼鏡の首根っこを鷲掴みにし引きずり出す。
「痛い痛い!離してくれよ、リヴァイ!」
「何言ってやがる…まずは体を清潔にしろ」
「まだ3日だ!1週間は入らずともいけるよ!」
それを聞いて歩を止めた。此奴は馬鹿なのか…。そんな正気でない返答に眼鏡を睨みつける。
「…てめぇ…冗談じゃねえだろうな…毎日汚れを落とせ…」
「君じゃないんだからいいだろう?」
「ほぅ…此処は清潔さに対しての躾がなってねぇようだな」
眼鏡をひと睨みした後になまえへ視線を向けこの眼鏡をシャワー室へ連れて行き、その後眼鏡の執務室へ向かった。入った途端に怒りが頂点に達し無言で部屋を出て掃除道具を用意する。
「今からここを掃除する。別の部屋で執務にあたれ」
「いいよーそんなの要らな…!」
眼鏡が反論しようとするのを箒の柄の先を勢いよく顔に突き付け口を閉じさせる。
「いいか…こんなゴミだめの中で執務にあたれるか。体を壊す。お前も、部下もだ。それが理解出来たらさっさと必要なもん持って出て行け」
眼鏡は観念したかのように「分かったよ」と言っていくつか書類を持ち部屋を出て行こうとする。勿論あの女兵士も眼鏡の後を追うが…
「お前はここに残れ。流石に1人でこの量は限界がある。手伝え」
「わ、私がですか?!」
「他に誰がいる。あの眼鏡の執務はそいつの仕事だ。自分でやらせろ」
リヴァイはケチだなぁ、と不貞腐れるような声が聞こえたが無視し、なまえへ白い布を手渡す。
「頭と顔半分をそれで隠せ。埃をあまり吸わねえようにな」
はい…、おずおずと受け取り言う通りにするなまえ。自分が怖いのか、何故かよそよそしい。無理もない。初めて言葉を交わした時、絞め殺そうとしたんだ。だが、今はそんな事は言ってられない。このゴミをどうにかしねぇと…窓を開けて掃除を始める。なめた掃除をするなまえに厳しくしていたがやはり女性とあってか飲み込みが早い。それとも要領がいいのか思っていたよりも早い時間で綺麗になる。
「これだけやりゃ上出来だろう」
「すっきりしましたね…ありがとうございます」
「礼は要らない」
「意外でした…」
「あ?またか」
「男性なのに綺麗好きだなんて…」
「悪りぃか」
「いや、そういう訳じゃ…!」
「別にどうでもいい…お前の方こそ意外だった。飲み込みが早くて助かる。これから掃除の時は手伝え」
「なんで私が?!」
「俺が掃除の在り方を仕込んでやる」
「ええー…私でなくても他にも兵はたくさんいますよ?新兵にやらせたらいいじゃないですか…」
「…まだ教えるには早い。一先ずお前が先だ」
此奴に仕込ませれば新兵にもいずれ伝わる。どうやら自分は恐れられているだしな。
「あ、そういえば…この前のお借りしたハンカチをお返しします」
顔をしかめていた此奴は、今度は伏し目がちに自分が手渡したハンカチを差し出していた。ハンカチとそんな様子の女を見て視線を逸らす。
「…やる」
「そんな訳にはいきません」
「人が使ったもんに用はねぇ」
「なっ!ちゃんと洗濯してます!」
「そうだろうが、要らねえもんは要らねえよ」
それだけ言えば眼鏡の部屋を出る。背後でまたもピーピーと叫んでいたが対応するだけ無駄だと何も答えなかった。
その後、掃除の度に此奴の手が空いてる時は清掃に付き合わせた。だからなのか…色々と口答えもするようになってきたのだが、そんなやり取りが懐かしく地下街の頃を思い出すようになった。イザベルとはまた違うタイプだが物怖じせず話すところは悪くない。数ヶ月経った今でもそんな関係は変わらない。そう思ったんだが…
パタン――…
背後であの女兵士がエルヴィンの部屋に入る音が聞こえチラリと視線を向けた後、自分もこれから使うであろう執務室の部屋を掃除するために廊下を歩く。
あの女兵士との出会いを思い出した事で地下街の記憶に触れる。寝不足のせいか…感傷的に浸るのはらしくない。あの女の事も……彼女に対する気持ちが日に日に増していくのを感じながら小さく息を吐き、乾いた靴音が誰も居ない廊下に響いていった。
――――――
「エルヴィン分隊長。頼まれていた資料をお持ちしました」
「すまない。君は私の班の者でないのにな」
「そんなことを言われたらハンジさんの班にはたくさん人が駆り出される時もありますから。資料の頼まれごとくらいお安い御用ですよ」
エルヴィン分隊長の執務室に入れば少しばかり申し訳なさそうにする彼を見て苦笑しながら応えた。冬になれば雪も降るため壁外調査は出来ない。暖を取るための物資が余計に増え、尚且つ寒さ故に緊急時に上手く対応出来ない可能性もあるからだ。そのため冬の間兵達は鍛錬や訓練の合間に溜まっていた執務をこなしていく。
だから自分もハンジさんの分もサポートしながら書類を整理していたところにエルヴィン分隊長から声をかけられたのだ。資料を手渡し敬礼をすると部屋を後にしようと踵を返した。
「一つ、聞いてもいいか?」
扉のドアノブに手をかけたところで声をかけられた。向き直ってドアの前に立つ。分隊長が自分に質問するなんて稀なこと。緊張しながらもどんな内容なのか胸を膨らませた。
「なんでしょうか?」
「彼……リヴァイとは上手くいっているのか?」
エルヴィン分隊長からまさかの問いに呆然とする。一体どういう事なのか質問の意味が分からない。瞬きを忘れ問いかけにも無言のまま、テーブルに就いている上司をガン見した。
「…すまない。変な事を聞いたな」
「あ、いえ……その、どういう事でしょうか…」
やっと声が出たけれど弱々しい声だ。彼とどうとは、何がどうなってそんな疑問に繋がったのか…。
「彼は此処に入団して数ヶ月経つ。初めての壁外調査で仲間を失ってどうなるかと思っていたが……どうやら彼は君を気に入っているようだ」
「へっ?!」
分隊長からの言葉に素っ頓狂な声が漏れ出た。慌てて手で口元を押さえ謝罪する。
「…何を見てそう思われたのか分かりませんが…私は彼に殺されかけたのですよ…?」
「彼が君をか?」
「…はい。私が悪いのですが…」
エルヴィン分隊長は初め驚いていたようだがことの事情を説明すると納得していた。
「…そんな事があったとはな。知らなかったよ」
「こんな事、誰に話せますか…」
ハンジさんでさえ知らない事だ。確かに掃除に付き合わされているけれど…ただの兵士同士の付き合い程度だ。
「だが、君といる時の彼は楽しげに見えるがな」
「どこがですか…ちくちく小姑みたいに言ってきて……こっちはたまったもんじゃないです」
そこまで口にすると溜息を漏らす。まぁ…何だかんだでよく見てくれていて、褒められる事もあるからそんな時は嬉しくなるけど。そうするとまた頑張ろうと思えたり…だからと言って彼に褒められたい訳ではない。断じてそれはない。
「はは、君にそんな顔をさせるとはハンジの他に彼だけだ」
「そんなに変な顔でしたか?」
「いや。魅力的な顔だ」
「…エルヴィン分隊長…それ、本気で言ってます…?」
「冗談だ。引いてしまったか?」
「ええ、まぁ少し」
思はずはっきり応えてしまい、しまった、手で口を覆う。エルヴィン分隊長の顔色を伺えば苦笑いをしているがそこまで機嫌を損ねた訳ではないようで安堵しつつも姿勢を正し謝罪する。
「すみません…思わず本音を…」
左胸に拳をあてるが彼は片手を挙げてそれを制す。
「いや。私が悪かった。だから謝る必要はない」
「しかし…」
それでも上司に対して失礼な事を言ったことには変わりない。もう一度謝罪しようとしたその時、扉が勢いよく開いて誰かが入って来た。
「エルヴィン!居たな!ああ、君も居たのか」
「ハンジ分隊長、慌てた様子でどうされたんですか?」
危うく扉にぶつかりそうになるのを寸でで避け、登場人物に少々驚きながらも声をかけた。
「また余計な事を考えているんじゃないだろうな」
「違うよ、エルヴィン。実は来月に彼の誕生日があるからみんなでお祝いしないかと提案しに来たんだ」
「彼、とは……リヴァイの事か?」
「そうさ。彼が来てから歓迎会らしきものはしていないだろう?丁度いいと思ってね」
エルヴィン分隊長からリヴァイの名前が聞こえて何故か体に緊張が走った。なんだか居てはいけない気がし、自分には関係ないだろうと部屋を後にしようとしたのだが…
「待ってくれ。良かったらなまえも参加しないかい?」
「いえ、私は結構です。任務が入る可能性もあるので…」
「任務が入らなければいいんだね?」
まさかの誘いに断りを入れる。彼の誕生日なんて知ったこっちゃない。それに先程のエルヴィン分隊長との会話で変に意識してしまった。なのにハンジさんの眼鏡が光ってこれは仕組んででも参加させられる予感。
「ハンジ…無理強いはよくない。任務が入らなければでいいだろう?」
そこへエルヴィン分隊長が助け舟を出してくれる。この感じだと強制参加ではなくなりそうだ。少し安堵しつつ2人に向き直る。
「参加は任務次第ということでお願いします」
2人は自分の言葉に承諾してくれ今度こそ部屋を出た。ゴツゴツ、と靴音を廊下に響かせながら誕生日だという彼の事を考える。地下街ではお祝いなどするのだろうか…。美味しい料理や飲み物をみんなで囲み、プレゼントをもらって有意義で特別な時間を過ごす事を知っているのだろうか。そんな事が頭を過ぎるが自分が考えたところでどうにもならない。
「誕生日会、か…」
ポツリと呟いたそれは静かな廊下を響かせる靴音に掻き消された。
――――……
翌日。
「なんで私がこんな羽目に……」
自分は今、執務室の空き部屋を掃除している。自分が使うのかというとそれは違う。この部屋の持ち主は無類の綺麗好きで容赦のない彼だ。ハンジさんの執務室にある書類を整理していたところに何故か声をかけられた。昨日、部屋の掃除をしようとした所でハンジさんに捕まったのだとか…。だけど昨日の今日で何だか気まずい。それは自分だけなのだろうけど…
「私は召使いじゃない」
「そりゃ悪かったな」
「わぁぁあ!リヴァイさん!?」
扉の近くに居たが、開けっ放しにしていたところに彼が腕に荷物を抱えてやって来た。気配に気付かずボヤキが聞こえたようで……
「俺は召使いなんぞ思っていないが?」
「うっ……だってこうも掃除の度に声をかけられるとそうも思いますよ…」
項垂れながらも正直に話す。彼は自分にチラリと視線だけ投げ、奥にある机に荷物を置いた。
「他の奴じゃなめた掃除をするからな」
そう言って机の反対側に回るとその裏を手のひらでなぞった。その瞬間、緊張が走る。それをやられて何度やり直せと言われたことか。だが、彼は何も言わず荷物を整理し始めた。
「あの……どうでしょうか?」
「ああ、悪くねぇ」
それを聞いて安堵する。それならば自分はもう用はない。掃除道具をまとめて部屋を出ようとしたが、「待て」と彼に止められた。
「まだ何かあるんですか?」
半ば嫌そうに態度に出しながらも彼の次の言葉を待つ。だが、彼は何も言わない。黙って距離を縮められ目の前に立つリヴァイ。身長はさほど変わらないが威圧的な眼差しはいつもと変わらない。この視線にもだいぶ慣れてきた。
「あの……私まだ任務の途中なので失礼します」
黙ったまま何も言わない彼を少し怪訝に思いながら敬礼をする。すると彼は徐に腕を伸ばした。驚きのあまり体が硬直する。
「これはどうした?」
彼の指先が左頬に触れて問われる。そこは掃除中に怪我をしたもの、大した傷ではないのでそのまま放っておいた。
「これは掃除していた時に引っ掻いてしまって……」
これくらいの傷すぐ治りますよ、早口で伝え彼の手から一歩距離を取る。
「馬鹿野郎。小さな傷でもそのままにするな。そう教わらなかったか?」
「それは…でも本当に大した傷じゃ……っ!?」
ないです、言葉を続けようにも出来なかった。だって彼が……頬を、舐めたから。頬に添えられた手は少しひんやりしているが、ペロっと舐める舌は温かい。突然の出来事に体が動かず声も出なくて、箒の柄を持つ両手に力がこもる。
彼が一度離れ、至近距離で視線が交差する。切れ長の瞳に自分の姿が見えた。どうしていいのか分からなくてそのまま見つめればまた顔が近付く。
「…んッ、」
また頬をなぞる熱い舌。思わず瞼を閉じてその刺激に耐える。傷口を舐める行為は応急処置の一環だと分かってはいても彼の舌が艶めかしく感じるのは気のせいだろうか。思わず出た自分の声に顔が熱くなる。
この行為はいつまで続くのだろう。そう思うくらい時間を長く感じた。
「…なんて面してやがる……」
最後に舌先でチロリと傷をなぞられた後に彼が発した言葉。どんな面をしているのか分からないが自分は恥ずかしさと動揺でなんでこんな事をするのか疑問でいっぱいだ。
「…消毒のつもりだったんだが…すまねぇ。後で医務室へ行って手当てをしてもらえ。いいな?」
彼の言葉にしばし呆けたが、時間差で返事をすれば慌てて部屋を出る。一体何が起きたのだろうか…廊下を足早に進んで一つ角を曲がった所で立ち止まる。胸が苦しくて思うように呼吸が出来ない。自分を落ち着かせようと数回深呼吸をしているところで背後から声をかけられた。
「なまえ、丁度良かった。リヴァイさんの手伝いが終わったんだね。これからハンジ分隊長の書類整理を……どうしたんだい?」
「も、モブリットさん……」
ゆっくりと振り返ればモブリットさんが心配そうに眉尻を下げて尋ねる。
「顔が赤いな……熱でもあるんじゃないか?」
そう言って額に手のひらを宛てられる。「やはり熱い…」確信したのかモブリットさんが真剣な表情になった。
「君は今から休むといい。風邪の引き始めなら早めに休息をとればすぐによくなる。ハンジさんには僕から伝えておくから」
道具も返しておくよ、荷物を素早く取られ流石にと思ったのだが彼に怒られてしまう。
「無理して長引かせる方が周りに迷惑をかける。こっちの事は大丈夫だからしっかり休んでくれ」
今度何かあったらハンジさんの事を頼むよ、苦笑いしながら引き返すモブリットさんの背中を見送り自分はまだ冷めない頬の熱に戸惑いながら一度医務室に寄り、自室に戻った。けれど、ベッドに横になっても彼の熱い舌を思い出し休める訳がなく数時間ゴロゴロしたのちにいつの間にか眠っていた。
その日の夜、休んだお陰で本来の調子を取り戻した自分は遅めの夕食を摂りに食堂へ足を運ぶ。
「あ?お前…今から飯か?」
食堂の入り口でバッタリと出会したのは昼間、風邪を引いたと間違われるほどの事をした張本人。一番会いたくなかった人物だ。
「…誰かさんのせいでこれからなんです」
「その誰かというのは俺か?」
「さぁ……ご自分の胸に聞いてみたらどうです?」
せっかく冷めた熱がぶり返しそうになり、気付かれないように早口で話して「では」と彼の横を通り過ぎようとした。
「待て」
それなのに腕組みをして壁に寄りかかるようにして立ち塞がり進めなくなった。壁際を歩いてしまった自分を恨む。
「な、なんですか…」
「お前、風邪でも引いたらしいじゃねぇか」
「なんのことですか?私は元気ですよ?」
「ほう……ならばモブリットが嘘をついていると?」
モブリットさんの名前が出てきて身体が小さく跳ねる。彼の視線が痛い。思わず壁の方へ視線を流したが「こっちを見ろ」と威圧的な態度を取られる。反抗すればまた何をされるか分からない。そう思って彼に向き直り視線を上げる。
「…まだ熱でもあるんじゃねぇか?」
顔が赤ぇ、額と額がくっついて間近にある三白眼に吸い込まれそうだ。モブリットさんは手だったのに何故彼はわざわざ額で熱を確かめるのだろう。また、驚きと疑問と羞恥心のせいで体温が上昇し、その熱が体中を巡回しているようだった。
「…さっさと休め」
彼は何事も無かったかのように私の頭に手を乗せ一言言い残し、去って行った。廊下に取り残された自分は壁に身を預けたまま、脚の力が抜けその場にゆっくりと座り込む。石造りの床が冷たくて心地いい。本当になんなんだ。彼のやることに戸惑いが隠せない。
「ん?君は……こんなところでどうしたんだ?」
そこへやって来たのは自分と同じく遅めの夕食を摂りに来たであろうエルヴィン分隊長だった。急いで立ち上がろうとしたが腰が砕けて上手く立てない。分隊長がそれを見兼ねたのか自分を抱き上げると食堂へ入り椅子に座らせてくれた。上司に抱えられるとはなんて様なんだと思ったが「気にする必要はない」と気持ちを汲んでくれるエルヴィン分隊長。
「分隊長…ありがとうございます」
「いや、構わない。今日は大変だったようだね。モブリットに話を聞いたよ」
いつもより柔らかい表情で話す彼が気遣ってくれる。普段は何を考えているのか分からないような顔をしているのに、こういう時は優しい。
「そうなんですね。疲れが出たのでしょうか…管理がなってない証拠です…」
気を付けます、苦笑しつつ呼吸を整えた。そうなればお腹も空いてくる。体も動かせるようで胸を撫で下ろすと分隊長の分まで夕食の準備をした。
テーブルに対面で座り、食事を頬張る。向き合って座ったのはいいものの、何を話していいのやら分からない。黙ったままパンやスープを食していく、のだが……
「先程はリヴァイと何かあったのか?」
何の前触れもなくいきなりそんな事を聞かれスープが気管に入り咽せこんだ。慌てて水を飲み気持ちを落ち着かせる。
「いきなり何を言うんですか…」
「すまない。ここへ来る途中でリヴァイを見かけたものでな」
彼に何かされたのか?、蒼い瞳が自分を見つめる。どんな反応をして良いのやら…なんと言葉をかけようか、何かされたと言われればされたし、かと言ってそれが特別なものではないかもしれないし……参ったな、本当に何と応えればいいのか分からない。
「さしずめ、熱でもあるのかと額で確認されたのではないか?」
エルヴィン分隊長の言葉に驚愕する。正しくその通りな事で目が点になった。
「もしかして…見ていたのですか…?」
「いや。君は顔が赤いし何より手を額にあてていたからな。そうではないかと推測したまでだ」
流石だ、頭のキレ方が違うと感心し間を置いたのちに小さく頷き肯定する。
「本当に驚きました……彼が何故あんな事をしたのか…」
「だから言っただろう。彼は君の事を気に入っている、と」
「まさか…そんな事、信じられません…」
彼が自分を意識しているとでもいうのか。そんな訳がない、彼はいつだって険しい顔つきで…けれど、脳裏に浮かんだのは先程の行為や褒め言葉…なんだかんだで気にかけてくれている彼の姿だった。
「君も満更ではないんじゃないか?」
「そ、そんな事…!」
「はは、そんなに慌てれば肯定と捉えられるぞ」
楽しそうに笑うエルヴィン分隊長を不満げに見つめることしか出来ない。
「彼の誕生日会は参加自由だが…君を優先させよう」
「…余計なお世話です」
「連れないな。だが、これからが楽しみだ」
ほくそ笑む彼は立ち上がると自分の食器を持って食堂を出て行ってしまった。ハンジさんもエルヴィン分隊長も何を考えているのか。私に何か期待しているようだけれど彼とは何もないのだ。兵士として、調査兵団の仲間として、ただそれだけだというのに。
「そんな事言われると…意識しちゃうじゃない……」
自分のボヤキは誰かに届く訳もなく、食堂を灯している松明が燃える音と重なった。
――――――………
「大丈夫?」
「なまえさん……すみません…」
「いいのよ。ゆっくり休んで?任務の代わりは私が引き受ける」
「そんな……今日は大事な用があると言われてたのに…」
「いいのいいの。用があると言っても大したものじゃないから」
気にしないで?、ベッド脇の椅子に座って苦しげな顔で横たわる後輩に声をかける。額に濡らしたハンカチを乗せて一度部屋を出た。いつもより静けさが増している調査兵団本部の廊下に自分の足音が響く。喉の乾きを潤すため食堂に立ち寄りテーブルに就いた。グラスに入った水に映る自分の顔をぼんやりと見つめる。ポケットから取り出したそれをテーブルに乗せ小さく息を吐いた。
「…エルヴィン分隊長に報告しなきゃ…」
今日は"彼"の誕生日を祝う日。
自分は参加しないつもりでいたが、運も重なってか任務も予定も入らず参加する羽目になっていた。だから不本意ながらも一応プレゼントを用意していたのだ。自分の意思ではない。決して。
けれど、今朝になって後輩が熱を出し、当番になっていた任務を代わりにする事にしたのだ。これで誕生日会に参加せずに済む。ただ、これを知った分隊長達はどんな反応をするのだろう。
重い腰を上げて食堂を出た。エルヴィン分隊長の部屋まで来たのはいいとして中に入りずらい。何故かというと、それは……
「おい、金髪野郎。何がおかしい?」
「いや。なんでもないさ。君は意外と繊細なんだな」
「あ?気色の悪いことを言うな。削ぐぞ」
「はは、一度削がれかけた事はあるが?」
「……チッ、口を動かす暇があるなら手を動かせ」
中からエルヴィン分隊長と"彼"の声が聞こえてきた。よりによってこんな時に何故いるのか。拳を作ってはその役目を果たせず、結局扉に背を向けて今度はハンジさんの執務室へ向かった。
コンコンコン…、
「はいはーい。開いてるよ〜」
ノックをすれば聞こえてくる声。この声は……"忙しいけど楽しくてわくわくしている感じ"、だろうか。ハンジさんは裏表がないからはっきりしていて凄く分かりやすい。調査兵団に入ってハンジ班に配属されてから数年経つけれど……声だけでどんな様子かが分かってしまうようになってしまった。
「なまえです。失礼します」
中に入りハンジさんは机に向かって何かと睨めっこしている。こちらを見ていなくても姿勢を正して敬礼をした。
「こんな時にやって来るなんてね〜…誕生日会の事かい?」
何も話していないのに分かってしまう上司に脱帽だ。勘が鋭い。
「はい…その事でお話が」
そして誕生日会には参加困難である事を伝えた。ハンジさんは残念そうにしていたが案外あっさりとしている。もっと引き留められるかと予想していたから少し拍子抜けた。
「任務なら仕方ない。ちなみに何の任務だい?」
「見張り番です。夜なのでこれから仮眠をとって準備します」
「そうかい…分かったよ。寒過ぎてくれぐれも任務を放棄しないようにね」
「何言ってるんですかハンジさん。あなたじゃないんですから。ちゃんと任務は果たしますよ?」
「それならいいんだ。頼んだよ」
そう話すハンジさんの顔が若干ニヤけてるように見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと言うことにしておこう。
執務室を出て、後輩の様子を見たのちに自室に戻って準備をする。今は昼過ぎでこれから仮眠をとるには丁度いい時間だ。部屋着になってベッドへ横になる…けれどすぐには眠れず兵服の間に挟んだものを取り出す。
「せっかく用意したのにな……」
ポツリと呟き、手に持つ"それ"は茶色い紙に包まれ赤いリボンで結われている。こんなもので喜んでくれるのだろうかと散々悩んだ挙げ句の結果が、これだ。きっと渡せば喜んでくれる、彼はそういう人だ。だが参加できなければ意味がない。
はぁ、と小さく息を吐きそれをまた兵服の上に乗せて睡魔の訪れを瞼を閉じて待った。
―――――………
その日の夜。
本部である古城の見張り台に立ち任務に就く。真冬の真っ只中で夜はかなり冷え込む。立ち昇っていく白い息を目で追いながら空を見上げた。真っ黒な闇に大小様々な星々が煌めいている。彼と初めて言葉を交わした日もこんな風に星が綺麗だった。
初めは横暴な口振りや態度、ゴロツキの出だと聞いて嫌だったが……接するうちに彼の人柄に触れ、彼女がいると思うほど綺麗に畳まれたハンカチは潔癖であるが故に自分でやっていた事…人に興味のないような素振りだが実は周りをよく見ていて仲間思いである事…。
見た目とは裏腹にその人柄はとても繊細だった事に驚きが隠せない。今ではその強さもあってみんなからの信頼も集まっている。
けれど、自分にだけ……
「…なんでいつも口煩いのよ…あとあれは何のつもりで……」
額に手を宛てその情景を思い出す。彼の瞳が至近距離に。視線が熱を帯びている様に感じたのは気のせいか…。それを思い出しては頬を染める自分に戸惑う。そしてポケットから取り出したのは彼が必要ないと言って渡したハンカチ。これには何度も世話になった。それはあれから何度か壁外調査があったが、命を賭して戦った彼らを想い涙する事があったから。ぼんやりとその事を考えていたがふとある事に気付く。
「…もしかして、その為にハンカチを…?」
可能性は十分考えられる。あの時から彼の人柄が出ていたのだと知って胸が苦しく、温かくなるのを感じた。それと同時に大きくなる感情。気付いていた、けれど認めたくなかったその気持ちに向き合える気がした。
「でも…私達は兵士で、彼は…とても強い…」
彼の実力が調査兵の中で大きくなり、他の兵団にも伝って民間人の耳にも届くようになった。"人類最強"なんて謳われるようになり始め彼は嫌そうだけれど。
――『強くても、守れるもんを守れなければ意味がねぇ…』
ある時、彼と話した事があった。でも彼は間を置いたのちにそう口にしたのだ。たまに思い出す事もあるが今なら分かる。表情は変わらなくともその言葉に彼の思いが詰め込まれている事を…。
その時、近くの森から鳥の鳴き声が聞こえ驚きのあまり銃を肩から落としてしまう。いけない、任務中に物思いに耽けるとは兵士失格だ。銃を再度肩にかけ、意識を周りの気配に集中させた。
数時間、西の空が黒の闇から濃い紺色、藍色、群青色…とグラデーションを作りながら夜が明けていく。もう彼の誕生日会も流石に終わっただろう。渡せないと分かっていても彼の姿がチラつき用意したものが別のポケットに入っている。そっとそれに触れ、ため息が零れた。
「…結局渡せないまま、か…」
「何が渡せねぇんだ」
「?!?!なっ…?!」
んで此処に?!、頭文字だけ音になり、それに続く言葉は声に成らず魚のように口をパクパクさせてしまう。心臓が飛び出そうな程煩く音を鳴らし始めた。
「…なんて面だ。そんなに驚く事でもねぇだろう」
「…いや、驚きますよ…」
どんな顔をしていいのか分からない。任務中に貴方の事を想って気持ちを認めた矢先に、なんて言えるわけもなく。というか、言いたくない。
「…もう誕生日会は終わったんですか?」
「ああ。だいぶ前にお開きになってはいたんだが…」
そこで言葉を止めた彼を不思議に思う。
「…寝付けねぇ」
「あ、リヴァイさんは慢性的に寝不足なんでしたっけ…」
とある掃除に付き合わされた時、あまりにも隈が酷く顔色も悪かった為早々に切り上げた事があった。その時にいつも熟睡出来ないのだと話を聞いた。
「こんなところに来られたら風邪を引きますよ?」
そう言ってマントの上から羽織っていた毛布を彼の肩にかける。
「あ?要らねえよ…そこまで寒くねぇ」
「いやいや。寒いですよ。真冬ですから」
「地下はいつでも寒みぃ。慣れてる」
初めて彼から地下街の話を聞いた。いつも寒いとは…過酷な環境である事はそれだけで十分に理解出来る。
「そうだとしてもここは地下じゃありません」
無理矢理毛布を肩にかけてにまりと笑う。大人しく毛布を見詰める彼に優越感が湧く。
「なら有難くもらおう」
「どうぞ」
少し寒いけどもう数時間もすれば日が昇る。自分だって兵士だ。我慢くらい出来て当たり前。何より彼が来たことで急激に上昇した体温を冷ますのに丁度いい。視線を彼から周囲の森へと移し任務に集中する。
簡素な見張り台に2人でいると狭さもあって触れ合ってる部分が次第に温もりを持ち始めた。
「俺は後ろを見る」
彼は自分の後ろに立ち背中にその存在を感じる。その温もりで寒さも幾分マシになった。
「…もう見えねぇな」
「何がですか?」
「…星だ」
「ああ…そうですね。もう朝がきますから」
脈絡のない彼との会話はいつも単発で終わりがち。でもずっと黙ってる訳でもなく喋る時は喋るため驚いたものだ。
「…俺の"せいざ"とやらは、見えねぇのか?」
そこで彼が尋ねた問いに面食らった。まさか初めて会話した時の事を覚えているとは…しかも、もしかしなくても星座を探していた…?そんな姿を想像して思わず吹き出す。
「…何が可笑しい…」
一気に不機嫌になる彼を余所に笑いが込み上げて止まらない。
「だって…そんな無愛想な顔をされてるのに星座がみえないか、なんて…」
ギャップありすぎですよ、と目に涙を溜め笑う。
「…チッ、今のは忘れろ」
「そんな、ごめんなさい。ちゃんと答えますから」
その前に笑いを止めなければ。深呼吸で気持ちを落ち着かせると空を仰いだ。段々と空が色を抜き取られていくように明るさが増していく。かろうじて見えるのは一際輝く星のみ。
「…残念ながらリヴァイさんの星座は見えないんですよ」
それを伝えると間があった後に「…そうか」と一言聞こえた。
「リヴァイさんの星座は夏から秋にかけてでしょうか…秋頃が見えやすいかも知れませんね。次の年…見られるといいですね」
生きていれば、その言葉を飲み込んだ。口にすれば胸が苦しくなりそうだったから。
「…ああ。秋なら壁外調査にも出てるだろうしな。よく見えるだろう」
「…そうですね」
しんみりする空気に冷たい風が通り過ぎる。思わず身震いすれば「おい」と短く呼ばれた。
「なんでしょう……わっぷ?!」
振り向きながら声を掛けたが急に視界が暗くなった。
「何するんですか?!」
「寒みぃんじゃねぇか。痩せ我慢するな」
「…大丈夫ですよ。風邪引いてもすぐに治ります」
「引かれちゃ困るんだがな」
「なぜリヴァイさんが困るんですか」
「あ?じゃねぇと掃除が大変じゃねぇか」
「私はリヴァイさんの使いっ走りじゃないですよ」
「…そんなんじゃねぇよ…」
「??どういう事ですか?」
彼は舌打ちをし「なんでもねぇ」と口を閉ざした。一体何なのだ。ここに来た訳も分からない。彼の行動はたまに意味不明で、あれだって…とまた額に手を宛て思い出した。
「なんだ。熱でもあるのか?」
「違いますよ!か、髪の毛を払おうとしただけで!」
「あ?髪なんざ掛かってねぇぞ」
そう言った彼との距離が縮まる。後退りをしようにも狭くてすぐに行き止まり。切れ長の瞳が自分を捉えて離さまいとしている。途端に鼓動が速くなって話題を逸らそうと考えを巡らせた。
「あ、あの!実は誕生日だったのでこれを用意しました!」
早口で告げポケットから取り出したもの。彼の顔を隠すよう目の前に出せば彼の動きが止まり包み紙を手にする。
「…俺に、か?」
「はい…あ、でもハンジさんやエルヴィン分隊長達からも貰ってますよね…」
自分が用意したものが安っぽく思えて彼の手から奪おうとしたが手をすり抜けてしまった。
「お前が選んだのか」
「そうですが…」
「なら貰おう」
そう言ってリボンを解き中を見る彼から目が離せない。だってどんな反応か気になる。
「ほぅ…ハンカチか」
「前に頂いたのでお返しにと思って…ありきたりですよね…」
「いや。よく使うからな…助かる」
彼の反応に安堵し胸を撫で下ろす。とりあえず渡せた事で気分は晴れやかだ。これで少しは自分に対する態度を改めて欲しい…。
「大事にする」
彼の言葉に視線を移せばその表情に釘付けになった。あんなにいつも無愛想な顔をしてるのに今はほんの少し……
「…笑ってる」
「なんだ」
「いえ!何も!!」
手を思い切り振って、勢いよく背を向けた。彼の微笑みを見るのは初めてで、頬を緩めた表情に鼓動が一定の速度で速まる。顔も熱いようで両手で押さえた。冷えた手が気持ち良い。
「おい。日が昇る」
彼の言葉に西へ体を向けた。彼も隣に立ち日の出を共に迎える。
「…本当はお前にも来て欲しかったんだがな」
「何のこと……っ!」
横に視線を向けるのと同時に触れた熱く柔らかい感触。額でも頬でもなく、言葉を紡ぐそこに。
数秒経ち、ゆっくり離れ視線が交わる。
「…なんて面してやがる」
「え、あ…えっと……」
なぜ彼が自分に口付けをしたのか疑問でいっぱいでしどろもどろになる。
「これで分かるだろ」
「な、何がですか…?」
「…お前…」
小さく息を吐き頭に手を乗せ、そのままグリグリ撫でる…というのか正直ちょっと痛い。それに髪の毛がぐちゃぐちゃだ。
「もう!何するんですか!」
「ああ?ガキにはこっちで十分だ」
「だから私はガキじゃないと!」
「…ああ。知ってる。さっきのは女の面だったな」
ふっ、と頬を緩ませ言うその言葉に、何も言い返せず顔を赤くすることしか出来なかった。
「締りのねぇ面しやがって…まだ任務中だぞ」
「…誰のせいだと」
「何か言ったか」
「何でもないです!」
また彼と背中合わせに立ち視線を森へと向けた。そろそろ兵達が起き出す時間になる。体は森へと向いているのに意識は背中合わせの彼に。必死で任務に集中させようとするのにそれが途切れてしまう。
「あの…なんのつもりですか…?」
「何がだ」
「いや…その…手を…」
「…理由を言う必要はねぇだろ」
「いりますよ!だから何で私にこんな事を…」
「やはりまだガキだな」
「失礼ですね……」
何でこんな事をするのか、これまでの事を踏まえ考えると流石の自分でも分かる。だけど、"言葉"で聞きたい。でも彼は何も言わず沈黙したまま。
「……守りたい、特別なものが出来た。それだけだ」
聞き取れるか分からないくらいの声で紡がれた言葉と触れ合うそこを握り締める彼。それだけで胸が締め付けられ苦しくなった。それは自分だって同じだから。
「なら……何があっても守って下さいよ?」
「言われなくてもそうする」
「…頼もしいですね」
会話をしながら強く握り合う。そこは毛布で隠れているから誰にも見えない。
「あ…誕生日おめでとうございました」
「なんだ今更」
「言ってなかったなぁと…」
「要らねぇ。お前が居れば十分だ」
なんて言うもんだから体が熱くなることこの上ない。兵士として接してきたのにこれではそうもいかなくなる。
これから先、どんな未来が待っているのか分からない。自分達は兵士で尚且つ『調査兵団』。人類の為に心臓を捧げる兵に大切なものなど出来ても仕方がない…恋などに現を抜かすなど以ての外。そう思っていたが彼ならきっと…そんな事でさえも覆してくれるような気がした。
彼の強さは本物だ。私達人類の希望となる……。そんな彼の"守りたい特別なもの"を知って胸の高鳴りが抑えられない。
背中からの温もりに身を預け、今、この瞬間を噛み締める。明日も分からぬこの命。触れ合っているこの時だけはあなたを想わせてほしい。
朝日を受け、照らされる2人。離れぬ様に、離さぬ様に、そっと、でも強くその手を握り締め……。
――――――――――
数日後。
「あれぇ?リヴァイ…ハンカチをじっと見つめてどうしたのさ」
「…眼鏡には関係ない」
団長執務室で今後の引き継ぎについて幹部会議を行なっているところにハンジが目敏く気付いた。
「ちょっと見せてよ。何か秘密を隠しているんだろう?!」
「近寄るんじゃねぇクソメガネ」
「お前達、ふざけるのも大概に……」
二人の掛け合いが聞こえ始め、キース団長が注意したその時、カップに入っていた紅茶がテーブルに広がり資料に染みを作ってしまう。キース団長の拳がハンジの頭に制裁を入れている脇でリヴァイの様子がいつもと違う事に気付く。
「リヴァイ、何故クラバットを……いや。何でもない」
「あ?なんだ金髪…言いかけるんじゃねぇ」
「何でもないさ。ハンジが気にする訳だ」
「…なんの事だ。気持ち悪りぃ」
とか言いながら胸元にあったクラバットを外しテーブルを拭き始めた。…眺めていたハンカチを使わずに。彼が何故それを使わないのかすぐに理解し目を細める。
数日前の誕生日会でハンジが『なまえなら今日来ないよ?後輩の代わりに見張り番だってさ。行かなくていいのかい?君も男だろう?!』…とか言って、彼を焚き付けたのだが…どうやら上手くいったようだ。
彼等の運命はこの先自分が握る事になる。出来ることなら天秤になどかけたくはない。だが、そんな訳にもいかず苦渋の選択が迫る時がくるだろう。それでも恐らく、自分は迷いはしない。
「…おめでとう。幸せにな」
その時が来るまではどうか…、ささやかながら祝福を願う。それが彼の耳に届いたかどうかは本人にしか分からない。
fin.
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