Happy Birthday Levi 25/12/2019
08 凍えるエンブレム
霜の朝。吐く息が白く染まるようになったのは、ほんの一週間ほど前だっただろうか。
12 月に入り一気に冷え込んできた。この人類の活動領域最南端のトロスト区にも、時々雪がちらつくようになった。
「朝から呼び立ててすまないな」
エルヴィン団長は、執務椅子に腰掛けたまま私に笑顔を向けた。
「いえ、いかがされましたか?」
「うん」
団長室はさほど温かくもない。貧乏兵団として名高い調査兵団は常に薪を節約せねばならないというのもあるし、エルヴィン団長は自らそれをきちんと実行しておられる。
「なまえに中央で会議に出て欲しくてね」
団長はピラリと書簡を一枚、机上から私に手渡した。中身に目を通せば、王都の憲兵団本部にて三兵団の重役が集まる会議が開催されると、そう記載してある。
「これを私が?団長は行かれないのですか?」
「ああ。丁度その日トロスト区長と町の有力者達との会合があるんだ。……わかるだろう?」
団長は意味ありげに苦笑した。
わかる。憲兵団本部で開催される会議は 9 割方無意味なものである。これは経験則だ。分隊長である私も、団長や兵長と一緒に何度も出席したことがある。
対して、トロスト区有力者との会合。こちらの方は意味のある物になり得る。資金援助を獲得できるかもしれない。
ハンジさんやミケさんも分隊長であるし、そして兵歴的にも年齢的にも私より先輩であるから、もちろん中央の会議に出席したことはある。……とは言っても、退っ引きならない状況の時に数回出席したことがあるだけだ。ハンジさんは退屈が正直に顔に出るタイプだし、ミケさんは寡黙すぎて会議で弁を奮うことができない。明らかに不適材且つ不適所である。
そういったわけで、エルヴィン団長が出席できない会議や会合は、私が代理で出席することが多かった。
「承知しました、団長。退屈な会議の方は私がこなして参ります。団長はトロスト区長と有力者達を丸め込んでください」
「おいおい、他の者の前ではオブラートに包むんだぞ」
私が冗談めかして言うと、エルヴィン団長は苦笑した。
「では、頼んだぞ。その日になまえを王都へ向かわせるのは忍びないのだが、頼める者が君くらいしかいなくてね」
「え?」
その日と言われて何のことだか分からなかった私は、書簡に記載されていた日付を確認する。12月25日。
――あ…… 。
「リヴァイの誕生日だろう?二人の大切な時間を削ってしまうのは心苦しい。
まあ午前中からの会議だから昼過ぎくらいには終わって、夜にはここへ帰って来られるだろう。宴席には間に合わないかもしれないが……」
「ちょ、ちょっと待って下さい団長」
私は書簡を持っていない方の手を前に突き出して遮った。
「何ですか、二人の大切な時間って?」
「あれ?君たちまだ付き合っていないのか?」
「……ご、冗談を!付き合ってません!」
突き出していた右手を引っ込め、書簡を思わず両手で握りしめる。紙がぐしゃりと歪んだ。声がひっくり返りそうになったが、顔のほうは平静を保てているだろうか。不意打ちだったためあまり自信は無い。
「ああ、そうか。まだだったか」
「まだというか、あの!兵長と私は、あの、そのような関係では」
「わかったわかった。下がりなさい」
ヒラヒラと手を振られれば、黙って下がるほか無い。私は言いたいことをぐっと飲み込んで敬礼をすると、皺になった書簡を手に団長室を後にした。
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兵長と私はそのような関係ではない。断じて。
――勝手に私がお慕いしているだけ、だ。
リヴァイ兵士長は、分隊長である私のいわば上官に当たる。
尊敬しているし、信頼している。私も信頼される部下でありたいと思うし、そして少なからずそうだろうと自負している。
兵長、ハンジさん、ミケさん、私の四人は、エルヴィン団長が団長に就任してからというもの一丸となって彼を支えてきた。その仲間意識は、恐らく四人全員にある。
リヴァイ兵長に対しては、「仲間」の範疇に収まらない感情が私の中にあるが、それは些事だ。調査兵団に全く関係のないことであるし、リヴァイ兵長にも関係ないことだ。
兵長と私は時々、お食事やお酒をご一緒させていただくこともある。ハンジさん達が一緒のこともあれば、二人のこともあった。
見かけによらず意外と喋る兵長との時間は、楽しくて穏やかだった。私のように近しい者や信頼できる者と一緒にいるときの兵長は、そうでない時と比べて幾分か穏やかで柔らかい。
もっとも、彼がその顔と口調にそぐわず、本来は他者に優しく情に厚い人間だということには早々に気づいていた。
彼に惹かれている自分に気づいたのは、いつのことだったか。思い出せないくらいには、昔のことだ。
ふうと寒空の下でため息を吐けば、一瞬で白く固まり、そして散る。冬の夜は空が澄んで星が美しい。
兵舎の屋上で私は白い大判のストールを身体に巻き付けて、一人夜空を眺めていた。藍色のベルベットの上に砂糖をまき散らしたような、豪華な夜空だ。
兵長だって、私の事を嫌いではない……とは思う。
「部下として」「仲間として」信頼されていることは伝わる。「友人として」も、さほど悪い感情は持っていないだろうと思われる。そうでなければ「飯行くか」と頻繁に声を掛けてはこないだろう。私が兵長と一緒にいる時間を楽しくて穏やかと感じているのだから、彼もきっと、少なくとも不快には思っていないと察せられた。
だが、恋愛感情となると話は別だ。
兵長が特定の女性と交際しているという話は聞いたことがない。素振りも全くない。私は、現在のところ特定の交際相手はいないのではないかと考えている。
しかしながら、交際相手がいないことと、兵長も私を慕ってくれているという可能性については、全く関係ない。
というか、その可能性については敢えて考えないようにしている。
彼の友愛は感じていた。だが友愛というものは、私が彼に抱いているような慕情とは異なるものだ。
そして、彼に友愛以上の感情があるのか。私はそれを確かめることも、怖くてできなかった。
「お前、ここにいたか」
屋上と兵舎を結ぶドアの方から、想い人の声がした。どきんと胸が音を立てるが、顔には出さない。私はすっと動揺を胸の奥にしまい込み、平静を繕った上で振り向いた。
「兵長、こんばんは。今日も寒いですね」
兵長はクラバットを夜風で僅かに揺らしながら、こちらへと向かってくる。兵服のジャケットの上に何も羽織らず、少々寒そうな格好だ。
「第一分隊のケヴィンがお前のことを探していたぞ」
彼の口からも白い息が広がっている。私の隣に並ぶとガシャリと音を立て、柵に両腕を凭れた。
「12月25日の出欠席を確認したいんだと」
「……ああ!兵長のお誕生日の宴席の話ですね。ケヴィンが取りまとめていましたか」
私も兵長に倣い、柵に凭れる。二人並んで夜空を見上げた。
時々こんな風に、二人きりでゆっくりと過ごす時間が訪れることがある。それは今のように屋上だったり、夜の談話室だったり、兵長の執務室だったり。
逢瀬というものとは違うと思っている。だって、恋愛感情があるのは片方だけなのだから。
それでも、私の胸を高鳴らせ、そして幸せを感じる時間だった。ハンジさんやミケさんが一緒でももちろん楽しいが、二人きりの時はもっと幸せで嬉しくて、切なくて苦しい。
私が兵長に想いを伝えれば、この幸せな時間はきっと崩れるだろう。それは嫌だった。
彼にとって、信頼できる部下であり、仲間であり、友人であること。
それが、彼の隣で長く笑っていられるための最善だと、私は信じている。
「兵長の誕生日の宴席は、毎年盛り上がりますもんね」
「うるせえったらねえよ、まったく。かこつけて酒が飲みたいだけだあいつら」
「そう言わないで下さい。皆、兵長のことをお祝いしたいんですよ。慕われているんですから」
苦笑して言えば、兵長はむっつりと黙ってしまう。もちろん兵長だって部下達が自分を慕って宴を開催するとわかっている。これはただの照れ隠しだ。
「残念ながら、私出席できないかもしれないんですよ。エルヴィン団長の代わりに、王都に行くことになったんです」
「そうか、ご苦労なことだ。プレゼントは宴席以外でもいつでも受け付けているぞ」
真剣な声で冗談を言う兵長に、私はふはっと吹き出した。
「安心して下さいよ、毎年あげてるじゃないですか。ハンジさんとミケさんと一緒に。去年は茶葉でしたね、すっごい高級なやつ。
今年もね、私達からプレゼントありますから……」
「お前の」
「え?」
兵長の声に、私は空を見上げていた顔を下ろす。横を見れば、端正な顔が視界の中心に来た。
「お前個人から、プレゼントはねえのか?」
「……」
かっと顔に熱が集まる。
「お前個人から」という言葉が、私の胸に突き刺さった。心臓がぎゅっと縮こまる。
もちろん、兵長はプレゼントを一つ多くもらおうと思ってそんなことを言っているのではない。
深い意味はないのかもしれない。いや、きっとないだろう。
だが分隊長と兵長としての繋がりではなく、まるで私個人と彼個人の繋がりを求められているような気がして、心拍数が上がった。
「……わかりました、良いですよ!今年は私個人からも何か兵長に贈り物を差し上げましょう。何をご所望ですか?」
顔が熱を持っている事を悟られないよう、必死に装い微笑んだ。兵長は顎に右手をやり、考え込み始める。
「……そう言われると、難しいもんだな……」
「何か欲しいもの無いんですか」
掃除道具や茶葉はこれまでにも散々プレゼントしてきたし、今年もたくさんの者達からもらうだろう。
しばしの沈黙のあと、ぱっと閃いた顔をして私を向いた。
「お前の羽織っている、そういうのが良い」
「……え?これ?ストールのことですか?」
私は肩から羽織っていた白い大判のストールを、羽織ったまま左手でつまみ上げる。
「暖かそうだし……コートと違って簡単に羽織れるのが良い。マフラーにもなるだろ。お前のは上等なやつなんだろうが、もっと安い物で構わない」
兵長の手が、すっと私に伸びる。
一瞬自分に触れるのかと心臓が跳ねたが、兵長の手は私ではなくストールに触れた。
「……わかりました!丁度王都に向かう用事もあることですし。今年の兵長の誕生日には、私がストールを一枚見繕って参ります」
高鳴る鼓動は自分の内だけに収め、私は彼に笑顔を向けた。
「夜の宴席には間に合わないかもしれませんが、その日のうちには帰って来られると思いますので。お誕生日中に必ずお渡ししますね」
「ああ」
兵長も、ふっと表情が柔らかくなる。
「楽しみにしている」
口の端がほんの少しだけ上がり、兵長はゆっくりと踵を返し兵舎へと入っていった。
いつも、そういう穏やかな顔をしていて欲しい。
私たちを取り巻く状況は決して楽観視できるものではないから、そして彼は背負っている物の大きすぎる人だから、いつもなんて無理なことはわかっている。
それでも。
自分の気持ちなど通じなくたってかまわない。少しでも彼が安らげる時間が増えれば。
そう真剣に願っている。
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12月24日。
翌日25日の会議は朝早くから始まるため、前泊した。
夕方のうちに王都へ入り、その日のうちに店を回り兵長へプレゼントするストールを買いに行く。
私と同じカシミヤの大判ストール。色はチャコールグレーにした。
本当は、リヴァイ兵長には白が似合うと思った。だがまるで自分と揃いの物を押しつけているように思えて、敬遠してしまった。
チャコールグレーは、白の次に兵長に似合うと思った色だ。裾の部分に金糸で刺繍が入っており上品なラインで縁取られている。金糸の刺繍の分、自分の物よりも高級だ。だが、兵長にはできる限り良い物を贈りたいと思っていた。
とにかく、自分でも納得のいくプレゼントが買えたわけである。
兵長へのプレゼントが用意できれば、あとは退屈な会議を乗り切って、調査兵団本部まで帰るのみだ。
12月25日。
会議は、最悪だった。
だらだらと実の無い話を長時間、まあこれはいつものことだし想定の範囲内だからまだ良い。最悪だったのはその先だ。
朝からちらついていた雪が、会議の途中には吹雪になった。だったら尚のこと会議なんてさっさと終わらせてくれれば良いのに、出席者の一部(大半は中年の憲兵団と見える)は、豪雪で帰れなくなることを敢えて狙って、わざと会議を長引かせるために無駄口を叩いた。そんなに職場に戻りたくないのだろうか。
いっそ憐れであるが、とにかく今、この状況は芳しくなかった。
早くトロスト区の兵舎に戻りたい。もう馬車の手配は済んでいるが、雪が深くなれば道が悪くて時間がかかることも考えられる。
兵長の誕生日中に、どうしてもプレゼントを渡してお祝いの言葉を伝えたかった。
結局会議が終わったのは、15時近かった。
昼食休憩を含めて約6時間も使った会議。決まったことや進歩したことはほとんどない。
こんな会議にエルヴィン団長が出席しなかったことは不幸中の幸いだ。あのお忙しい方に無駄な時間を使わせずに済んだ。だが今度は自分の時間が危ない。
私は大急ぎで宿に戻り荷物をまとめ、手配していた馬車へ向かう。その時点で既に、石畳の道路を数センチの雪が覆っていた。
「兵士さん、トロスト区の調査兵団本部だったね?この雪だ、時間かかるよ」
馬車前で待っていた御者は頭のてっぺんからつま先まで重装備である。裏ボアの帽子に耳当て、鼻先まで覆ったマフラーにブーツ。こんな雪になるなんて思っていなかった私は、兵服のロングコート、首元にあの白いストールを巻き付けたのみだ。
「とにかく、できるだけ急いで下さい。今日中には着きますよね?」
「流石に今日中には着くさ」
「ありがとう、お願いします」
私は寒さに震えながら、暖房のない箱に乗り込んだ。
馬は懸命に走ってくれた。足場が悪い上に、寒さに震える御者に休憩も取らせなくてはならないから、通常よりもかなり時間がかかったが、今やっとエルミハ区を通り過ぎたところである。
既に21時を越えたが、このまま行けば兵舎に着くのは23時頃だろうか。宴席は流石に終わっているだろうが、23時なら兵長はきっとまだ起きている。今日中にストールを渡せそうで、私はほっと一息ついた。
安心からか、私は箱の中でうとうととしていたが、突然箱がガッタンと大きく揺れ、目を覚ました。馬が急に足を止めた際に揺れたのだ。
どうしたのかと思っていると、箱のドアがドンドンとノックされる。開けると御者が立っていたが、御者が声を出すより先に、びゅううと強風と共に雪が入り込んできた。小さくて薄汚れた窓から見ていただけでは良く分からなかったが、外は私が思っていた以上の吹雪である。完全装備の御者は、箱の外から大声を出した。
「兵士さん、この先は駄目だあ!馬車が通れない。道が塞がれちまってる」
「え!?」
慌てた私は箱から降りる。御者が手を貸してくれたが、箱から出た瞬間強風で一瞬足元のバランスを崩しそうだった。
前方で起こっていたのは交通事故だった。この雪で馬が足を取られたのか、車輪が足を取られたのか。4頭立ての大型荷馬車が転倒し、壊れた荷台と、荷台から崩れた食材が雪の上に転がっていた。
4頭の馬は所在なげに立ちすくみ、大けがをした様子の御者は周囲の者に両肩から支えられながら、憲兵団の事情聴取を受けていた。
大破した荷台と散乱した荷が、この街のメインストリートであるこの道路を塞いでいる。野次馬達も相まって、道はすっかり埋め尽くされてしまっていた。
この道路が片付くまではこの道は通れない。迂回しようにも、この道以外に南方へ向かう道は無かった。
「兵士さん、この道が使えるようになるのはどちらにしても日が昇ってからだろう。暗いからそれまでは片付けもできない。夜も遅いし、この街で一泊していくしかない。お代は負けておくから、今日はこの街で泊まりなさい」
私はコートのポケットの中から懐中時計を取り出した。もう22時半近い。
せっかくここまで来たのに。トロスト区は目と鼻の先なのに。私の鞄の中には、兵長へのストールが入っているのに。
「なんとか……なんとか、進む方法はないですか!?」
必死の形相の私を哀れんだのか、御者はうーんと唸り、鼻から下を覆っているマフラーに手をやった。
事故があった場所から20 分ほど徒歩で進んだところに、この街の馬屋がある。私は店主を叩き起こした。
馬車ではなく、馬を一頭借りるのだ。
馬車はあの塞がれた道を進めなかったが、人が一人通り抜けることはできた。私は馬車を降り、身一つでこの馬屋に来たわけだ。
「え!?この吹雪の中を?兵士さんが一人でトロスト区まで!?」
馬屋の店主の顔は引き攣っている。
「なんとか一頭貸して下さい。必ず馬は無事にお返ししますし、お代は上乗せさせて頂きます」
「いや……そうは言っても……こんなお嬢さんがこの雪の中、馬を走らせるって?」
無理を言っているのはこちらであると重々承知しているが、いつまでも馬を貸さない店主に、時間の無い私は苛立ちが募った。
がっと店主に詰め寄り胸ぐらを掴む。睨み付けると、店主は慄いたように見えた。
「――私は調査兵です。つまりこの壁の中で一番馬を乗りこなしている集団に属する人間です。巨人の群れを馬で掻い潜ってきた人間が、雪道では馬で進めないと?」
言いながら、札束を店主の胸に押しつける。有り金ほぼ全部だったが惜しくはない。
店主は観念したのか札束に目がくらんだのか、私を渋々厩舎へ案内した。
鐙に足を掛け騎乗すると、やはり馬が心配なのかそれとも自分の馬から死人を出したくないのか、店主はもう一度食い下がってきた。
「本当に行くんですか?夜だし、危険です」
私はランプを片手に、馬上から店主を見下ろす。
「馬は必ず無事にお返しします。調査兵団の名にかけて」
「万が一落馬したら、あなたが危ないですよ!?」
後ろから叫ぶ店主を無視し、私は馬の腹を蹴った。
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俺の誕生日を祝うという名目の宴席は、21時頃お開きとなった。
散々騒いで食い散らかした奴らには掃除を命じたが、一応明日の朝掃除の具合をチェックしないといけないかもしれない。
それにしても、今年も贈り物やらなんやらたくさん貰ってしまった。まあとにかく、仲間が盛大に祝ってくれるというのはむず痒いが、幸せなことだとは認識している。
明日の命が保証されていない調査兵団だ。だからこそ、誕生日は目出度い。生を与えられたことと、その生をまた一年繋げられたこと。この壁の中で、生に対する有り難みを一番理解しているのは調査兵団かもしれない。
「彼女が間に合わなかったのは、残念だったな」
俺の隣で廊下を歩くエルヴィンが含んだ口調で言う。
「彼女」が誰のことを指しているのかはもちろんわかる。エルヴィンの代わりに、今日王都に行かせられたなまえのことだ。
実際には俺となまえは、ただの「兵士長と分隊長」というだけの関係で特別なものは何もない。だが、エルヴィンを始めとしてミケもハンジも、なんだか俺とあいつの関係を面白がっている節がある。
「なまえのことなら、宴席には間に合わないかもしれないが、今日中には必ず帰ると言っていたぞ。そのうち帰ってくるだろ」
「……え?」
俺は前を向いたまま言うと、エルヴィンは少々驚いた声を出した。滅多にそんな声は聞かないので、俺もついエルヴィンを見上げる。エルヴィンは目を丸くしていた。
「リヴァイ、それは恐らく無理だろう。お前外見ていないのか?」
「……あ?外?」
見ていない。なんせずっと兵舎の中にいた。色んな奴らが取っ替え引っ替え俺を取り囲むもんだから、窓すらほとんど見ていない。
廊下の窓から外を覗くと――
「……なんだこりゃあ……」
もう真っ暗で視界が悪いが、それでも分かる。外はとんでもない吹雪だ。地面も真っ白だ、一体何センチ積もったのだろう。
こんなに雪が降るのは珍しいことだし、南のトロストでこれなら王都側はもっと降っているかもしれない。
「この天候では帰ってこられないだろう。残念だが、彼女との逢瀬は明日以降になるな。私が王都へ行かせておいて申し訳ないが」
にやついたエルヴィンの顔を睨み付け「逢瀬ってなんだ逢瀬って」と毒づけば、涼しそうな顔で笑うのみだ。
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居室に戻り、灯りを点す。
今日は特に冷える。薪代が勿体ないからあまり暖房はつけないが、今夜ばかりは暖房が無くては凍えてしまう。俺は暖炉に火をくべた。
――今日なまえに会えないことに、ひどく落胆している自分がいた。
正直、自分で自分に驚いている。
宴席は楽しませてもらったし、もちろん有り難かった。たくさんの奴らに祝われて、俺みたいな人間に勿体ないくらいだとも思っている。
だが、今日はあいつに会いたかった。
あいつが俺のために見繕ってくるという贈り物が楽しみだった。いや、贈り物そのものが楽しみだったわけじゃない。
俺を思って物を選んでいるあいつを想像すれば、俺の胸は温かくなった。どんな顔をして俺に贈り物を渡すのか想像すれば、楽しみで仕方なかった。
しかし、確かにこの天候では無理だ。王都でもう一泊したか、もしくは途中で足止めを食らってどこかの町で宿を取っているかもしれない。
宴も終わった。なまえが帰ってこないならもう起きている理由もない。
風呂にでも入って久しぶりにゆっくり寝るかと、引き出しのタオルを取り出し――そこで、はたと思い至った。
あいつは、本当に帰ってこないのか?
俺の知るなまえは、優秀な兵士だ。
兵士の基本、上意下達を忠実に守る。今まであいつは、命令に背いたことも約束を破ったこともない。
「お誕生日中に必ずお渡ししますね」
数日前の台詞が、頭をよぎる。
俺はタオルを仕舞うと、ハンガーに掛かっているロングコートを引っ掴んだ。
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「お願い、もう少し……頑張って…… 」
私はだいぶ速度の遅くなった馬を必死になだめすかし、なんとかトロスト区までたどり着いた。
ここから兵舎まで馬を走らせれば、通常時で20分もかからないが、この天候と馬の疲労度では30分は軽く越えてしまいそうだ。
悴んだ手でポケットの懐中時計を取り出す。23時10分。本当にギリギリに兵舎に戻ることになりそうだ。
ここに辿り着くまでに、一回落馬した。馬が雪に足を取られ、バランスを崩したのだ。
この足場の悪さでは馬もスピードを出すことができないため、それが幸いした。鐙から上手く足を外すことができ、馬も私も大事に至らず済んだ。
落馬のせいで、私のコートは雪と泥でぐちゃぐちゃに汚れている。兵長が褒めてくれた白いストールも、すっかり汚れてしまった。
だがそんなことはどうでも良かった。今は早く兵舎に帰って兵長の顔が見たかった。
綺麗好きな兵長だから、お部屋へ向かう前に一先ず着替えだけして行こう。プレゼント、喜んでくれるだろうか。いや、兵長ならきっと喜んでくれる。きっと無愛想な、でも優しい目をしてくれる。あの穏やかな顔をしてくれる。私は、兵長のあの顔が見たいのだ。
彼を想えばどうしても早く兵舎に着きたくて、私は再度馬の腹を蹴った。もう疲労困憊の馬だが、それでも多少速度が上がる。
やっと兵舎が見えてきた。雪が睫毛の上に積もっているせいで視界が悪いが、見紛うはずもない。あれは調査兵団兵舎の正門だ。
思わずほっとため息をつき、瞼を一度閉じる。瞼を開くと睫毛の上の雪が少しだけ解け、視野が少々拡がった。
が、私はぎょっと目を見開いた。
正門前に、人影がある。この吹雪の中何をしているのだろうか。というか誰だろうか。
ザシュ、ザシュ、という雪を踏みしめる、リズミカルでしかし重々しい馬の蹄の音と共に私は正門へ近づき、そして、人影も大きくなってきた。
――兵長だ。
「……てめえ!!何やってんだ!!」
吹雪の正門前、腕組みをして縮こまるように立っていた兵長は、騎乗しているのが私だと認識すると雪の上を駆け寄ってきた。
「へいちょ、どして、こんなとこ」
兵長、どうしてこんなところに立っていらっしゃるのですかと言いたかったのだ。だが寒さで唇が上手く動かない。
馬から下りようとしたが、身体も上手く動かなかった。きっと安心して気が抜けてしまったのだろう。今までどうやって騎乗していたのか、不思議なくらいだ。馬上から転げ落ちそうになった私を、兵長は走り寄って支えてくれた。
吹雪の中、兵長は私を支え手綱を引く。借りてきた馬は厩舎の空きスペースに繋いでくれた。
私は兵長に半ば抱えられるようになりながら、なんとか兵舎の玄関までたどり着いた。
バタンと正面玄関の両開き扉を閉めると、やっと風の音が耳から離れ、実に数時間ぶりに私の耳に静寂が訪れた。ずっとビュウビュウという風の音で、耳がおかしくなりそうだった。もっとも音以前に、耳は冷たさのあまりに付け根から取れそうに痛い。
「……なんつう無茶をしてるんだてめえは……」
怒気を含んだ兵長の声に上手く反応できず、私は抱えられたような姿勢のまま、兵長の居室に連れ込まれる。兵長の部屋は暖炉が赤々と燃えていた。
「いいから座れ」と暖炉の前に座り込まされる。
身体が上手く動かないし、口も上手くきけない。ああ自分は凍傷寸前だったんだろうか、とぼんやり思い至った。
兵長も私の前にどすんと座り込んだ。どのくらい正門前に立っていたのだろう。彼の唇も紫色だった。
こんな日は月明かりも入らない。灯りを節約した薄暗い部屋を、暖炉の炎が橙で照らしている。
ぱちぱちという薪の音と、ガタガタという強風が窓を叩く音だけが部屋を満たす。
なんだか切なくて、私はどうしてか目の奥がじんわりと熱くなった。
「……お前、なんだこの雪と泥は?」
私の頭をタオルでわしゃわしゃと拭いていた兵長は、私のコートがどろどろに汚れていることに今気がついたのか、目を見張る。
「……すみません、お部屋汚れちゃいますね……」
暖炉の前で少しだけ温まってきた私の唇は、徐々に意のままに動くようになってきた。
「掃除は後できちんとしますから……ご容赦ください。この雪で馬がバランスを崩し、落馬してしまって」
「落馬!?」
兵長は深夜に似つかわしくない大声で怒鳴った。
「馬鹿野郎!!何やってんだ、一歩間違えれば命がねえんだぞ!!無理して帰ってくることねえだろうが!!」
兵長の仰ることは至極当然だった。
こんな日に無理に兵舎に帰ってくるなんて、普通であればしない。
普通であれば。
「すみません……判断ミスです。どうかしてました、私……」
俯いて謝れば、ふうと大きな溜め息をつかれたが、兵長はもうそれ以上は怒らなかった。
――この人はもしかして、私がどうしてこんなにも帰ってきたかったか、なんとなく気づいているのかもしれない。
「……まあ……ご苦労だったな」
そう言って、私のコートの上の雪と泥を上から順に払う。左胸の紋章も雪にまみれていたが、兵長の手によって雪が払われると、自由の翼が覗いた。
私ばかり払ってもらっていたが、兵長だって雪まみれだ。あの吹雪の中立っていれば当然だが――
何のために立っていたのだろうか。誰を待って立っていたのだろうか。
少しだけ自惚れることは、許されるだろうか。
そ、と私も兵長のコートに手を触れた。肩から順に、さっ、さっ、と優しく雪を払っていく。兵長はそれを拒否しなかった。
彼の胸の紋章もまた白を被っていたので、ゆっくりと払う。
雪やら霜やらで隠れていた私達の象徴が、そっと顔を出した。
「そうだ兵長、お渡ししたい物があります。ギリギリ、今日に間に合いました」
私は兵長にストールをプレゼントしようと、鞄を引き寄せ手を突っ込んだ。
だが。
「……えっ!?無い!?」
「あ?」
確かに鞄に入れたはずのプレゼントが無いのだ。荷物をまとめたときに、間違いなく入れた。私はこの鞄一つしか持って行ってないし、この鞄は馬に乗るときにしっかりと括り付け――
「あ……」
落馬した際だろう。鞄は馬の胴に括りつけられたままだったが、鞄の蓋が開いて中身が飛び出した。
全部拾ったつもりで、一番大事なプレゼントを雪の上に置いてきてしまったのかもしれない。
「嘘……。
私、兵長へのプレゼント、落としてきたかもしれません……落馬した時……」
「あ……?
まあ、そんなもんは良い。お前が無事に帰ってきただけで」
「良くないです!」
兵長の言葉を遮って叫んだ。
だって一生懸命選んだのだ、兵長に似合う物を。
少しでも喜んで欲しくて。喜ぶ顔が見たくて。そのために必死に帰ってきたのに。
「――本当に、そんなもんは良いんだ。
だがもしお前の気が済まねえっていうなら」
がっくりと肩を落とす私に、兵長は手を伸ばす。
俯いていた顔を上げると、彼の右手が私の首元に近づいた。
「これ、貸してくれよ」
汚れた白いストールを私の首からそっと外し、広げる。
兵長はそれを自身の首に巻き、半分を私の首に巻いた。首と首が白いカシミヤで繋がれる。
「お前のこれ、気に入ってるんだ。だから時々貸してくれ。
半分は……お前が使ったままで良いから」
私は目を丸くして、兵長を凝視した。
彼は視線が居心地悪かったのか照れくさかったのか、ふいとそっぽを向き、だがストールを首から外そうとはしない。
明々と暖炉は燃える。私達の髪からは時々雪が溶けた雫が滴った。
薪の音と風が窓を叩く音。
それから、心臓の音。
暖炉の炎が、橙の部屋の中に私達の黒い影を映し続けている。
二つの影は、黒い帯で繋がっていた。
【凍えるエンブレム fin.】
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