番傘さしてお迎えに



優しく頬を撫でる程度だった雨が地を激しく打ち始めたのはずいぶん日が暮れてからだった。

患者の家でついつい話し込んでしまったのが悪かったのか、タイミング良く雨に降られてしまったようで。

出る時は雲の切れ間に茜空が見えていたのに、今では空はもう真っ黒に塗りつぶされている。
夜の闇と雨雲の暗さで視界はだいぶ悪い。




「冷て〜っ、傘持ってくんだったな」




バタバタと駆け込んだ軒下で鴆は軽く頭を降った。

飛んだ水滴が空き家になった窓ガラスにくっついた。

このままでは風邪をひいてしまうので自前の袋からタオルを出してできる限り体の水分を拭き取る。




「あーあ、こりゃしばらく帰れねえかな。朧車呼んどくんだったな」




トタンの屋根を激しく打ちつける雨はまるで鴆をここに閉じ込めたがっているようだった。

帰らないでと袖を引かれるような、少しの恐怖を覚えて後ろを振り返る。

くすんだガラスに映る自分を一瞥して戸を開ける。



寂れて動きの鈍くなった引き戸を力づくでこじ開けて中に足を踏み入れた。




「空き家っつうか…何もねぇな」




外見だけを見れば何とか家だとは判断がつくが、戸を開けてみればそこは外と何ら変わらなかった。

柔らかな土の上に雑草の生えた湿っぽい空間。

けれど雨をしのぐには十分な場所に思えた。

風がないだけでも室内は暖かく、自分の身体がずいぶん冷えている事に気づく。




「しゃあねえ、少し雨宿りさせてもらうか」




持ち物を草の上に置いて、とりあえず濡れた袖を絞ろうと着物を脱いだ時、




「フーーッ!」

「え!?」




家の隅のほうに何かいた。

着物を上だけ脱いだ格好で身構えたが夜目に捉えた姿を見てすぐに警戒を解く。

そいつは四足でゆらりと一歩鴆に歩み寄ったが金色の双眸でさらに威嚇してきた。


――真っ暗だったから全然気づかなかった





「なんでぇ、おめぇさんの住みかだったのかい」

「ニァーー」




長細い尾を揺らめかせて近づいた黒猫は低い声で返事するように鳴いた。

最初からこの中にいたのなら荒い鴆の行動にさぞかし驚いた事だろう。

引き戸の開け方だとか、独り言だとか。

それでも根は人懐っこいらしく、黒猫はさっきより優しい声で鳴くとゴロゴロと喉を鳴らした。

その体の線に沿って撫でてやる。




「ふぅん、案外可愛いじゃねぇか、おめぇも1人で寂しかったんだな」




ん?おめぇ…も?
なんかオレも寂しかったみてぇじゃねぇか。




そこでふと思い出したのは遠い昔の記憶。
まだ幼い頃父につれられて知らない町に診察に来た時、今日と同じように雨に降られた事があった。
外で遊んでいた鴆は慌てて近くの家まで走ったがそこには妖の姿は無く、ましてや人の姿も無く、唐突に不安になった鴆はすぐさま空き家を出たが。


――あ、ここ…どこだ…?




闇雲に走った知らない土地はあっという間に幼い鴆の土地勘を狂わせていた。


帰るに帰れず、父にも会えない状況はもう絶望的だった。

空き家で膝をかかえしばらく泣き続けて、雨が上がる頃。
待ちわびた声はどんな音より鮮明に届いた。






「鴆」

「あれ、リクオ?」

「あれ、じゃねーだろ。なんつー格好してんだよ」




見上げた先には紅い番傘をさしたリクオが立っていた。

あんなに重かった引き戸を難なく開けて鴆を見下ろしているが、何やら息が荒い。

肩で息をするたびに呼気が白いもやになって空気に溶けていった。




「探したんだぜ」

「探した?オレをか」

「他に誰がいるってんだよ。ったく呑気だな、お前ん家行ったら診察行ったまんま帰ってこねぇっていうから来たのに」

「悪い悪い、いきなり雨降ってきたからさ」

「なら、もっと分かりやすいところで雨宿りしろよな。ほらオレの羽織り着ろ」

「……なあ、」

「何、」

「何でオレがここにいるって分かった」




唐突な鴆の質問にリクオはキョトンとした。



そこでまたあの記憶が蘇った。

空き家で泣いているのを父に見つけられて、手を引かれながらの帰り道。
大きくて温かい父の手を二度と離すまいとしっかりと握りしめたまま何となくたずねた。



「父さん、何でオレが空き家にいるって分かったんだ?」

「ん〜それはなぁ…」









「鴆とオレは赤い糸で繋がってるからかな」



思わず目を見張った。
全く一緒の返事が返ってくるなんて。



「ぷっ……ははっ、なんでぇそれ」

「うっせぇな、早く帰んぞ」

「くくっ……。リクオ」

「なんだよ」

「ありがとな」

「……おー」




腕を引かれるまま立ち上がり荷物を担ぐ。

――あ、猫。

ふと思い出して振り返ると黒猫は隠れたのか、それとも逃げたのか、既に空き家にはいなかった。




「うわー、まだ激しいな。鴆、濡れないか」

「ああ」




ぱたぱたと番傘に打ちつける雨音が耳をつく中、リクオは着物の袖を引いて鴆を自分にくっつけた。




荷物を奪う動作も、雨に濡れる右肩も、背中に軽く添えられた左手も。

全てがあの頃握りしめていた父の手のように、大きくて温かいと思った。



――手を、握ってみようか



屋敷に帰るまでのほんの数十分。

紅い番傘の中で昔の父のように大きくて温かな主の手を取り、歩いてみよう。

そしてもう一度、ありがとうと言ってみよう。






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