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「おーい、帰ったぞー」
「お帰りなさいませ二代目」
「お帰りなさーい」
昼の市中回りから帰った鯉伴にあちこちから挨拶が飛ぶ。
長い廊下を歩く間に妖怪達の朗らかな笑みを見とめて自然と口が弧を描いていた。
平和って幸せな事だよな。
知らない間にそんな事を呟いてぬらりひょんに笑われたのを思い出す。
息子に大将の座を譲り隠居したとは言え、まだまだ衰えを知らない煌めく瞳が鯉伴を見ながらふわりと細まっていた。
「確かに平和が一番じゃが、あんまり平和すぎるのも問題じゃぞ」
「そういうもんかね」
「くくっ、特にお前みたいな奴はどっか抜けとるからの。つけ込まれるぞ」
「…実の息子にも容赦ねーのな」
「忠告、助言、愛のムチ。たしか早速一波乱起こしそうなヤツらが入ったろ?」
「………あー、うん」
「特に男の方。ありゃじゃじゃ馬だな、くくっ、おもしろいのに引っかかったなぁ」
「それがいろんな意味で引っかかってんだよなぁ……」
「ほぉ?」
そんな会話を朝やったばかりなのに。
「やっぱ仕掛けてあんなぁ」
廊下のど真ん中に見え見えな一本の紐が張ってあって、鯉伴は苦笑した。
部屋の中の柱にくくられた紐は廊下を渡って庭の茂みに通じている。
誰がこんなもん引っかかるかよ
…とは以前自分が引っかかった手前言えることではないので飲み込む。
「はぁ…何でおれ引っかかったんだろうな」
奴良組の二代目ともあろう者がこんな初歩的なワナにかかってつまずいたなんて、口が裂けても言えるわけがない。
この事実を知るのはかかった鯉伴と、かけた新入り2人のみである。
――ガキの遊びには付き合ってらんねえの
失敗から学ぶのは妖怪も同じ事。
鯉伴はヒョイと片足を上げて紐を跨いだ。
が、
「おおぉおおぉお!!?」
足をついた途端に床板が崩れて体が沈み込んだ。
やすやすと鯉伴を飲み込んでいた床は腰までくるとようやく落ち着いた。
「奴良組の二代目は…」
頭上から降ってきた声に顔を上げる。
光を反射する金髪の下にある形の良い眉が不思議さと苛立たしさを込めてひそめられていた。
「バカなのか?」
「首無てめぇ…」
こいつが新入りの1人であり、じゃじゃ馬である首無だ。
名前の通り首が無いが美麗な容姿を持つ。ただ、ここに来た時から既にものすごく生意気だった。
その首無が両手を肩まで上げてやれやれとため息をつく。
「いっつもこの廊下歩いてんだろ?板の色が違うことくらい気付けよな」
「おいおいどこのコントだコラ。勝手にうちの床板張り替えてんじゃねぇよ」
「お前が踏まなかったらちゃんと戻すつもりだった」
「なんだ!オレのせいか!オレのせいって言いたいのかテメェ!」
「あー!?首無何してんのよ!」
「紀乃」
騒ぎを聞きつけたのか、紀乃と呼ばれた女が顔を青くしてバタバタと走ってきた。
この女がもう1人の新入りである毛倡妓。人間時は有名な花魁であっただけに美しい容貌、体躯をしている。
ひょんな事から妖になったと聞いたが、詳しくはまだ分からない。
ただ、この首無と毛倡妓は親密な関係であるというのは確かだった。
ついでに言えば毛倡妓は首無の保護者的存在だと思われた。
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