刻印





ふと畳のいい香りが鼻腔をくすぐった。
気づけば淡い桃色の花びらが足元に散らばっていて、変えたばかりの畳の萌黄と相まって綺麗だった。



「何をぼけっとしてんだよ」
「っっ!?いでぃっ!!ばかやろういてえよ!!」




鋭利な先端で皮膚を刺され思わず悲鳴が出た。
振り返って睨めば背後に座る顔なじみの彫師は手元の針を弄びながらふん、と鼻を鳴らした。





「馬鹿はおめえだよのんきに花なんか見つめやがって。」
「だからって刺す奴があるか・・・」
「これから嫌ってほど刺すんだが?」
「まだ心の準備が出来てねぇんだよ」






またもふん、と鼻を鳴らした彼は心の準備ねぇ・・・と呟いてから目の前の男を見据えた。
その瞳の中に一瞬憐憫の色がよぎる。





「本当にいいのかい?彫っちまって」
「言ったろ、これは戒めだって」
「・・・・・・」
「んな顔すんなよな」
「・・・・・・あーあもったいねえ、こんな綺麗な肌なのによーお。親からいただいた人様の大切なお体に傷をつけるなんて俺の良心が痛んじまわぁ」
「くくっ・・・よく言うぜ」




わりぃな、恩にきるぜ。
いつもはどこか引っかかるこいつの冗談めいた口調が、今は頼もしくて仕方ない。
戒めて抑えて。あの頃の思いは今日で封印する。この体に残る傷としてしまい込むのだ。

もう誰かを愛したりはしない。





深呼吸されるように促され言われた通りに息を吸えば何かが皮膚を引っ掻いた。じくりじくりと疼く左腕が鈍く脈打つのを感じて、思わず歯を食いしばった。治療に使う針とは違う断続的な痛みに冷や汗が噴き出して頬を流れる。





「全身刺青なんて何時ぶりかねぇ・・・ふふっ」
「おいおい・・・顔が狂気じみてんぜ・・・」
「ああ、悲しくて楽しくて仕方ねえや」
「ふ・・・そりゃあよかったなぁ・・・っぁぐっ!!・・・は、」
「・・・・・・」
「おぅい・・・途中でやめんなよ。ったく泣きたいのは俺のほうなんだぜ」
「わり」





ずるずると鼻をすする音がして、彫師は涙を拭った。
哀れみなんて要らないんだ。
悪いのは全部おれなんだから。
おれの毒はやっぱり毒なんだ。
結局癒しになどなりはしなかった。
誰彼構わず侵し食い尽くす凶器と狂気を刻み込んで、おれは一人生きていくと決めたのだから。

ためらってくれるな。
哀れんでくれるな。





「いくぞ鴆。泣いても続けるからな」
「俺はいつでもいいんだぜ、おめぇが泣くからだろ」
「・・・とりあえず左腕な。魂こもるように少し深めにいく」
「ん・・・・」





そうしてまる一日かけてやっと、忌々しい刺青は出来上がった。全身を覆い尽くすような紺を含んだ黒い刺青が。
元々無い体力を使い切った俺は終わると同時に気を失い、鈍い痛みで一晩中呻き続けていたらしい。



「『早く・・・早く迎えに行ってやんねぇと・・・』だってよ。夢の中でも親ばかなのな、お前」




翌朝目覚めた俺に痛み止めを飲ませながら彫師はけたけたと笑った。
確かに家で部下に預けてきた息子も気になって仕方がなかったが、戯言はきっとそれだけではなかったはず。下手くそすぎる嘘もこれからしばし聞けなくなるかと思うと少しだけ寂しくなった。





「あのな、明日から本家預りになるから此処にちょっと来れなくなるんだよ」
「本家預かり・・・?あ、そっかお前奴良組だっけ」
「まあな。ま、ちょっと行ってすぐ帰ってくるだろうけどよ、薬はいつもどおり薬鴆堂に行ってくれりゃ渡してやれるから」
「ああ、でもなんだっていきなり本家預りに?」
「さあな・・・今回の件で俺が狂いやしねえかと心配なんじゃねえか?唯一の薬師だからな」





半ば本気で口にしていた。
初代総大将からだと届いた手紙にはただ一行

“薬師一派頭首鴆とその息子を明日より本家預りとする”

と記されていただけだった。



確か初代は隠居して二代目に代紋を譲ったんじゃなかったか・・・しかも俺と同じくらいの・・・あれ、名前なんだっけか。
俺にとって今の奴良組はそんな存在だった。






「・・・そうか、向こうでも友達できるといいな、鴆」
「どこの寺子屋だ。つか、まずお前ぇを友達と思ったことはねぇぞ俺」
「まさか親友」
「・・・便利な脳みそだな」






こんな会話が出来る奴が向こうに居るのだろうか。
軽口をたたき合って一緒に桜を眺められるような相手が居るのだろうか。




布団から上体を起こしてふと見た庭には桜の花びらが一面に降り積もっていた。
季節は巡り、昔の記憶は消えゆく。
満開の桜が青葉に変わるように、思い出も塗り替えられていくのだろう。


まだじわりと疼く左腕を軽くさすって、二代目鴆はまたも旧友との会話に花を咲かせた。






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