1オクターブと絆創膏
…〜♪
あ、珍しく神童君がピアノを弾いてる。今日は部活、休みなんだ。ああ、そういえば浜野君達、「釣り行こうぜー!」って言ってたな。
神童君のピアノ、久し振りだなぁと思いつつ、日誌を書く。日直なんて面倒くさい。だけど神童君のピアノが聴けるのは、ラッキーだ。毎日弾くわけじゃないしね。レアレア。ああ今日日直でよかった。
「あ、そうだ」
日直の感想のところに、“神童君のピアノが素敵でした”とでも書いておこうか。うふふ、きっと神童君がこれ見たら吃驚するかな。
日誌を閉じて、鞄へ今日の授業で使った物とかを詰め込む。何で今日作品持ち帰り日なんだ。お陰でポスターが鞄からはみ出してる。アイドルのとか、そういうポスターだと勘違いされてしまうじゃないか。まあ、体育が無い日でよかったけど…。
さて、詰め込んだことだし、日誌を職員室に持ってかなきゃ。あーあ、帰ったら聴けなくなっちゃう。渡したらこっそり音楽室の近くにでも行こうかな。
†ー†ー†
「失礼しました」
そう言って職員室のドアを閉めた。くそ、色々喋りやがって…。音楽室と職員室は離れているから、全然ピアノの音が聴こえない。もしかしたらもう帰ってしまったんじゃないか、という想像が頭の中を掠めた。そう思った瞬間、私は全速力で廊下を駆けた。
窓から外を見れば、少し赤みがかっている。そういえば今日は私が食事当番だったっけ。面倒だなぁ。兄さんにでも押し付けてしまおうか。スカートのポケットを探ったら、絆創膏しかなかった。そういえば教室に鞄を置いてきてしまった。鞄の中に携帯もある。淡い期待は直ぐに消え去った。
だけど、徐々にピアノの音が聴こえてくる。良かった、まだ神童君居るじゃない。走るのをやめて、ゆっくり歩いた。ピアノのテンポに合わせて、一歩一歩廊下を踏みしめる。
段々と音楽室に近付いたと思ったら―――ガン!!と何かがぶつかる音が音楽室からした。その音と同時に、ピアノの音が消えた。私は慌てて音楽室へと向かう。
「神童君!?」
思いっきりドアを開けると、両手で額を押さえる神童君が居た。
「あ…榎本…か」
「大丈夫!?平気!?」
「最近寝不足で…。弾いていた途中で寝てしまったようだ」
「流石神童君。名前に神が付くだけあるね。普通寝かかったりとかしたら弾けないからね」
私みたいな一般人だったら、そんな神業は出来ない。寧ろ弾くだけで精一杯だ。
ああそうだ、さっきの絆創膏でもあげようか。
「神童君、これ使って。効くか判んないけど」
「あるだけマシだ。ありがとう」
「ついでだから貼ってあげるよ」
「すまない」
ぺた。前髪を退けて赤くなった場所に絆創膏を貼った。退かしたふわふわの髪の毛。私はそんなふわふわしていないし、綺麗な茶髪でもない。極普通な黒髪で、セミロング。味っ気の無さに溜め息が出る。
見下ろすと、ぶつけたのにまだ眠そうだ。よっぽど寝不足なんだなぁ。うつらうつらになる神童君に「起きて」と一言。
「ん…」
と目を擦って、何とか起きようとする。、可愛いんだけどね、うん、可愛い。いやそうじゃなくてさ、寝ないでよ。擦っても眠そうだ。
「しーんーどーうーくーん」
「何だ…?ふわぁ…」
「ほら、部活無いんだったら帰った方がいいよ。久し振りにピアノ弾けてラッキーなのかもしれないけど、寝不足なら寝なって。部活にも支障を来すよ」
「はっ…部活!俺帰って寝るよ。ありがとう榎本。絆創膏も、助かった。よかったら今度の試合見に来いよ」
「う、うん。行く」
「それじゃあまた明日な」
爽やかに音楽室を出ていく神童君。まさか部活で起きるとは思ってなかった。
蓋が開いて、剥き出しの鍵盤。押しながら指を滑らせば、気持ち良く音が流れる。私には理解し難い音階。音階すら理解出来ない私は、到底神童君のピアノは理解出来ない。
1オクターブと絆創膏
(ところで…)
(蓋じゃない方のどうやって閉めるんだろう)
(まあ、いいか)
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