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どうやらここは海らしかった。

というのも、私は海というものを見たことが無い。小さい時から海とは無縁のところで生きてきたからだ。そんな私が、今、初めて海というものの前に立っているらしい。
私はとりあえず確かめるために、人を探しているところ、一人の少年を見つけた。赤い服を着た少年の手にはスコップとバケツ、いったい何をしているのかわからないけれど、私は一生懸命に穴を掘る彼に声をかけた。


『あの』
「はい?」
『ここは何ですか』
「何って……浜ですけど」
『え、浜?海じゃないんですか?』
「いや海ですけど」
『え、じゃあ何で浜って言ったんですか?』
「だって浜ですし」


意味がわからない。どういうこと。浜って何。海じゃないの。海なのに浜なの。何それよくわかんない。五つも違いそうなこの少年は、大人なのに無知な私をからかっているの?
むっとした顔をしてみせると、少年は少し眉を下げて笑った。


「あなたが立っているこの海に面した砂場は、砂浜って言うんですよ」
『え、じゃあ、海は?』
「数メートル先の、あの青い水の部分です。砂浜も含め海ですけどね」


ああ、なんだ、そうなんだ。どうやら少年は私をからかってはいなかったみたいだ。
そうかそうか。
私は一言その少年に感謝の言葉を述べ、海へと近づいた。波というらしいそれが、砂浜というらしいそれを濡らして、たくさんの曲線を描いている。
不思議だ。これが海なんだ。
私は靴のまま、海へと一歩、また一歩と進み始めた。
冷たい。秋に入ったこの季節はまだ少し暑いとはいえ、水の温度は冷たくて、私はぷるりと震えた。靴の中は既にぐちょぐちょとしていて、ひらひらと長いスカートは私の足にひっついたり、波にさらわれたり。急におもりを足にくっつけたように重くなっていく。
ああ、どうせなら全部脱いで、裸で海に入ればよかったかしら。
どこかで見た、海とはそういうものだと。洋服を全部脱ぎ捨てて、下着だけ身につけて入るのだと。腰まであった水は、次の一歩で急に胸の上までに来ていた。押し返されそうになる力に抗いながら、一歩、一歩。必死でかきわけながら進んでいこうと、前を向いた瞬間だった、急に盛り上がった水面が、私めがけてなだれ込んできたのだ。

海って不思議なんだ。
初めて見た海は、なんだか新しい世界のように見えた。
だからみんな、海へと沈んでいくんだと分かった。
でも実際は、苦しい。暗い。果てが見えない道を歩かなければならなかった。
足も動かない、手も動かない、肺も口も動かない。
冷たくて、寒くて、意識すらだんだんなくなっていく中で、急に、私の口に、肺に、全身に、酸素が注ぎ込まれていくのがわかった。喉が塩で焼けてひりひりして、私の口の端から塩水がこぼれていった。
目をゆっくり開けると、さっきの少年が、私を見下ろしていた。眉を下げて、きゅっと寄せて、見下ろしていた。


「何……してるんですか!」


声も出なくて、ただひゅうひゅうとなるだけ。


「もう少しで、死ぬところだったんだ!」


私が?死ぬ?
ううん、私は死ぬためにここに来たんだ。誰かが言った。海は死ぬところなんだって。どうしてこの少年は当たり前のことを口にするんだろうか。少年の瞳には大粒の涙がため込まれていて、私の頬にぽたりと落ちた。


「海は、死ぬところなんかじゃない」


じゃあ、なんなの。海が死ぬところじゃなければ、海はなんのために存在しているの。
ねぇ、海の存在意義を教えてよ。
ぽたりぽたりといくつもの涙が私の頬を濡らしていく。


「海は楽しむところなんだよ……!」


大粒な涙できらきらと輝いてる少年の瞳に言われると、何故か本当にそんな気がしてきて、私は少年に笑ってみせた。
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