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駅前に小さな喫茶店がある。
ダリアという名前で、少し古いけれど、綺麗で落ち着いた雰囲気のお店だ。横には、お花屋さんも併設してあって、おばさま方に評判があるようで、ランチタイムは賑わっているみたいだ。
私は、そのランチタイムが終わった時間帯に、いつもここに顔を出している。
もちろん、勉強という名目で。


「いらっしゃいませ」


カランカランと控えめになる鈴に気付いた店長さんが、私に目を止めて、やんわりと笑った。
私は少し、この人が苦手だ。
目があって、会釈をして、いつもの席に座る。すぐに置かれたココアと、店長さんを交互に見渡せば、今日もこれでしょう?なんて言ってクスリと笑うのだ。今日はコーヒーの気分だったのに、なんて思うこともなく、私はそれを大人しく飲んだ。
おいしい。
店長がいれるココアは本当においしい。
苦いのが苦手なのがばれているのか、店長のいれるココアはとびっきり甘い。そして、猫舌なのもばれているらしい。あつくもなく、つめたくもなく、ちょうどいいあたたかさのココアを店長は出してくれるのだ。


「今日も勉強?」
『はい、すいません』
「謝らないで。ここはお客さんのための空間ですから、ね」


店長さんは、私が来る前からやっていた、お花を飾る作業へと戻った。ぱちんぱちん。鋏が茎を切る音が静かな店内にひびいている。
でも、その音はなんだか優しくて、心地がよくて、私は好きだった。


***


「何の勉強をしているんですか?」


心地よい雰囲気の中、勉強に没頭していたら、急に話しかけられて、驚いた私は変な声をもらしてしまった。隣を見ると、いつの間にか店長さんが座っていて、いい香りのするハーブティーを飲んでいた。


「大学生、だよね?」
『はい、立海大の』
「やっぱり。俺、そこの出身なんだ」
『そうなんですか』
「何学部?」
『文学部です』
「そっか」


通りで難しいもの読んでるわけだ、なんていいながら、古文の教科書を手に取った。ぱらりぱらりとめくられる教科書には、活字と崩し字が並んでいる。それを辞典無しでつらりと読んでいく店長さんに驚いていれば、昔少しだけ教えてもらったことがあるんだ、と、なんだか悲しげに呟いた。
何か、あったのかもしれない。
店内には珍しく私以外の客はおらず、暇を持て余していたのか。思い出語りに、私が選ばれたのは仕方がないことだった。退屈しのぎの相手であろう私には、これ以上踏み込むことはできないから、そうですか、とだけ返した。再び訪れた沈黙は、先ほどと違って居心地が悪いものだった。

花に染む心のいかで残りけむ捨てはててきと思ふ我身に

この世の事は全て捨てたはず。
それなのに、何故、花を想う心は残っているのだろうか。
全ての執着を捨てたはずだと思う自分なのに。

静かに置かれた教科書には、西行の歌が書かれていた。
店長さんにも。
もしかしたら、手の届かない、恋い慕う人がいたのかもしれない。いや、きっと、未だに忘れられない人が、いるのだろう。花を想い続ける店長さんだから。店内に綺麗に飾られる花々が、彼の気持ちを表しているというのなら。


「君は少し、あの人に似ているんだ」


私にはまだ、彼に返せるような歌は歌えない。
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